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『資本論』第1、第2版比較研究(si004-01)

『資本論』抄録 第1章~第2章


『資本論』経済学批判 第1版 第2版 文献比較研究
抄録 si004-01 序文 はこちら 『資本論』序文・説明
si004-02 第1章 1節はこちら 第1節商品の2要素
si004-03 第1章 2節はこちら 第2節労働の二重性
si004-04 第1章 3節はこちら 第3節価値形態または交換価値
si004-05 第1章 4節はこちら 第4節商品の物神的性格
si004-06 第2章はこちら 第2章 交換過程
si004-07 『経済学批判』 第1編資本一般 第1章 商品 
『経済学批判』A 商品分析の歴史
si004-08 第3節価値形態 概要  貨幣発生の証明の概要
(注)第1版 岡崎次郎訳 大月書店 / 第2版 向坂逸郎訳 岩波書店 
   『経済学批判』向坂逸郎訳 新潮社
 

 このページの目次 (クリックでとびます)

1. はじめに
2. 本文の注解・構成について
3. 序文
4. 『資本論』経済学批判 目次
5. 編集注意事項
 

1. はじめに

『資本論』経済学批判
  第1部 第1巻 資本の生産過程 第1版 1867年  第2版 1873年
   *参考文献 『経済学批判』第1編 資本一般 第1章 商品

 Ⅰ. 『資本論』の副題「経済学批判」について、マルクスは『資本論』第1版(1867年)で次のように注意書きをしています。

1. 「この著作は、1859年に公けにした私の著書『経済学批判』の続きであって、私はここにその第1巻を読者に提供する。・・右の旧著の内容は、この第1巻の第1章に要約されている。旧著の読者は、第1章の注で、これらの理論の歴史にたいする新たな資料が提供されているのをみられるであろう。・・・」(岩波文庫p.11)
 
 *「第1章の注で、これらの理論の歴史にたいする新たな資料」について
 特に第1章第1節商品 の(原注2、3、7)で、ニコラス・バーボン(1640 - 1698)の(注)を本文と“対話形式”で叙述を展開しています。(第2版も同様)

         バーボン・ロック経済論争と対話篇入門」参照

 旧著の『経済学批判』には、「A 商品分析の歴史、B 貨幣の尺度単位に関する諸学説」が編集されています。『資本論』では、「A」、「B」ともに本文の「注」の形で引き継がれ、“経済学批判”の文脈が継続されています。

     参照文献 ①経済学批判』第1章 ② 商品分析の歴史
 
2. 今回、『資本論』経済学批判ー第1版、第2版では、旧著『経済学批判』の趣旨が生かされるように構成しています。以下3点に重点を置いて、マルクスの指示に従っています。

(岩波・向坂訳の翻訳法は、「ヘーゲルに特有の表現法」に対して、❝禍根を残す❞ 箇所が多々あります。したがって、随所にヘーゲル論理学との整合性を図る工夫が施されています。)


(1)公然と」ー「告白したとは、かなりぎこちない <2版p.32>

 「私は、公然とかの偉大な思想家の弟子であることを告白した〔?〕〔Ich bekannte 〔bakennen:告白する、信じることを表明する〕mich daher offen als Schüler jenes großen Denkers :公言した〕。そして価値理論にかんする章の諸所で、ヘーゲルに特有の表現法を取ってみたりした。」

〔und kokettierte sogar hier:しかもそのうえ、媚びを売って・・・ここが削除されている・・〕。
〔ドイツ語→英語訳は:Ich bekannte mich daher offen als Schüler jenes großen Denkers und kokettierte kokettieren:媚びを振りまく〕sogar hier → I therefore openly avowed myself〔公言する〕 the pupil of that mighty thinker, ・・・ coquetted 〔coquet:こびを売る〕with the modes of expression peculiar to him.〕
 
 最新2019年9月『資本論』第2版の翻訳ー新日本出版社(日本共産党中央委員会社会科学研究所 監修)による当該箇所は、以下のとおり。
 「私は、自分があの偉大な思想家の弟子であることを公然と認め、また価値理論にかんする章のあちこちで、彼に固有な表現様式に媚(こび)を呈しさえした。」

 『資本論』では「ヘーゲル論理学用語」がキーワードとして援用されていますが、日本の翻訳者たちの注目度はかなり低い。ヘーゲル用語との関連が読み取れない翻訳が山積しています。
      ヘーゲル論理学の参考事例→「貨幣形態の発生」証明

 「弁証法は、ヘーゲルの手で神秘化されはしたが、しかし、そのことは、決して、彼がその一般的な運動諸形態を、まず包括的に意識的な仕方で証明したのだということを妨げるものではない。弁証法は彼において頭で立っている。神秘的な殻につつまれている合理的な中核を見出すためには、これをひっくり返さなければならない。」(第2版の後書・岩波文庫p.32)


(2)方程式 Gleichung の分析  <2版p.19>

「 第1章第1節で、一切の交換価値が表現される方程式の分析 〔 Analyse der Gleichungen〕 を通じて価値を導き出すことは、科学的にずっと厳密にやっておいた 〔wissenschaftlich strenger durchgeführt〕。同じく、第1版で示唆を与えただけにとどまっていた価値実体と社会的に必要なる労働時間による価値の大きさの規定との間の関連は、はっきりと強調しておいた。第1章第3節(価値形態)は全部書き改めた。・・・― 第1章の最期の節「商品の物神的性格云々」大部分書き改めた。第3章第1節(価値の尺度)には綿密な訂正を加えた。」(第2版の後書・岩波文庫p.19)

 日本的翻訳法が如実にー明白に発現している「翻訳事例」として、「Gleichung:方程式」があります。この訳語を「等式」とする悪しき前例主義が、マルクス=エンゲルス全集版・国民文庫-大月書店から刊行された岡崎次郎訳1972年以来、50年にわたって継続されています。「Gleichung:方程式. cf. eine chemische Gleichung 化学方程式.」に対し、「等式」と訳す独日辞書は、見当たりません。ちなみに、上記新日本出版社訳もなぜか「等式」です。『資本論』翻訳界の限界点と言うほかありません。

    価値表現と価値方程式について


(3)マルクスの分析の方法」ーElementarform の成立ー 

私が用いた分析の方法は、まだ経済上の問題に適用されたことのなかったものであって初めての諸章を読むのはかなりむずかしいのです。」(フランス語版序文・岩波文庫p.35)

 「経済的諸形態の分析では、顕微鏡も化学的試薬も用いるわけにはいかぬ。抽象力なるものがこの両者に代わらなければならぬ。しかしながら、ブルジョア社会にとっては、労働生産物の商品形態または商品の価値形態は、経済の細胞形態である。」(第2版の後書・岩波文庫p.12)

   マルクス「経済学の方法(『経済学批判の要綱』より)

「 市民(ブルジョア)社会は、最も発達した最も多様化した歴史的生産組織である。したがって、その諸関係を表現する諸範疇、その構成の理解は、同時に一切の没落した社会形態の構成と生産諸関係への洞察を与える。この市民(ブルジョア)社会は、没落した社会の破片や要素をもってつくり上げられたものであり、それらのもののうち或るものは、まだ克服されない残滓としてこの社会の中に生き残っており、僅かな暗示だけだったものが、完成された意義のものにまで発展している、等々。
 人間の解剖は、猿の解剖の鍵である。これに反して、下等動物の中にある高等動物への暗示は、この高等動物自身がすでに明らかとなってはじめて理解されうる。
市民(ブルジョア)経済は、かくして古代経済等々への鍵を与える。しかし、それは決して、すべての歴史的相違を抹殺し、すべての社会形態に市民(ブルジョア)的社会形態を見るような経済学者のやり方にはない。」(マルクス・エンゲルス選集第7巻 新潮社)

 以下は、諸注意点等が列記されています。

2. 本文の注解・構成について



 Ⅱ.『資本論』経済学批判 本文の注解・構成について

 上記3点をもとに、本文のキーワードに注解を行っています。注解には、下線を引いて参照ページで詳しい説明と、参考文献を掲示しています。
 必要に応じて、「用語資料」を散策してください。

  ■資本論ワールドによる編集注意事項:

(1)マルクスによる本文「注」は「原注」と表記。編集部による「注」は「*1」のように「*」の後に数字を記入し、リンクを貼った。
 また本文中のドイツ語の挿入は、岩波版向坂訳ではドイツ語の同じ単語であっても、意訳があり、元のドイツ語を表示した。さらに、ヘーゲル「小論理学」との関連を表示して、ヘーゲルに特有の表現法の手引きとなるように工夫をおこなった。

(例)向坂訳「 Gleichheit : 同一性 (岩波文庫p.97)、等一性:(岩波文庫p.109)」
  → ヘーゲル小論理学 §117 「相等性:Gleichheit」
(他の箇所では、「社会的等一性:gesellschaftlichen Einheit 」(岩波文庫p.89)などとある。)

(2)『資本論』第1版 第1章 商品と貨幣 を第2版第1章第1節~第4節の後に比較研究用に追記した。また、『資本論』の理解を正確に分かりやすくなると思われる場合、他の翻訳者の参照を行った。特に、*第6篇労働賃金では、中山元訳(日経BP社)が役立つ。両者の比較検討によって、『資本論』理解が深まり、キーワードの手助けとなる。 

(3)"ヘーゲルに特有の表現法"は、第1章第1節から始まり、古典派経済学と西洋科学史の伝統を踏襲している。したがって、第1章と第1節に編集部注が集中している。
 また第3節価値形態では、「貨幣形態の発生」の証明にヘーゲル論理学が適用されているので、探究が必要となる。(こちら 下線部クリック

 ★参考例 1

 1-1 資本主義的生産様式〔 kapitalistische Produktionsweise:資本制生産の方法〕の支配的である社会の富は、「 巨大なる商品集積〔”ungeheure Warensammlung":そら恐ろしい商品の集まり・集合 〕(原注1)」として現われ、個々の商品はこの富の成素形態 〔Elementarform:元素の形式〕 として現われる erscheint。

 ① 社会の富:アダム・スミス・古典派経済学との批判的連続性を意図している。
 ② 巨大なる商品集積 : 「商品集積 sammlung」は、商品の集まり・集合を表示し、ヘーゲル『精神現象学』の「物が諸物質の集合となる」事態へ、展開してゆく。
 ③ 成素形態 Elementarform は、古代ギリシャ時代・アリストテレス『形而上学』原理としての実体(エレメント)とヘーゲル論理学の「Form(形式)」を合成して、『資本論』のキーワードを創造している。 
 最後に、④ 「個々の商品は・・・現れる」論理構成を形成し、ヘーゲル論理学の「現象 Erscheinung」論で締めくくっている。

 第1章第1節・編集部注一覧 はこちら。『資本論』本文の下線部をクリックすると、用語解説と辞書に移行する。・・・準備中・・・

 ★参考例 2 

 第1章第3節 価値形態または交換価値
 「A 単純な,個別的な,または偶然的な価値形態」(第1形態)のドイツ語原本では、「ヘーゲル論理学」の用法をそのまま踏襲しています。この説明は、これまで全くなされていません。読者には、"ヘーゲルに特有の表現法"が正しく翻訳されていないのです。

 第1形態「A) 単純な・Einfache, 個別的な・einzelne oder偶然的な・ zufällige Wertform」は、価値形態・Wertformの定義の“始まり”に該当し極めて重要です。ヘーゲル「小論理学」§163-165、§166-171の文脈との連携解説が不可欠です。
 なお、「貨幣形態の発生」の証明とヘーゲル論理学  「第2章 価値形態の展開とドイツ語表記によるヘーゲル論理学の対比」を参照してください。


 参考資料:■ 古典派経済学-ペティ労働価値説と重商主義の時代 
      ■中山元訳 『資本論』第6篇労働賃金
       ■ヘーゲル『小論理学

3. 序文 ー第1版. 第2版. (エンゲルス『経済学批判』について)ー



 ■『資本論』経済学批判 ー検索利用向き・参照中心の文献資料
   *資本論ワールド編集部による探究と検索

 『資本論』経済学批判 序文  (エンゲルス「『経済学批判』について」)

                  →『経済学批判』序文 こちらsi004-07
 
  1.  第1版の序文 1867年

「この著作は、1859年に公けにした私の著書『経済学批判』の続きであって、私はここにその第1巻を読者に提供する。・・右の旧著の内容は、この第1巻の第1章に要約されている。旧著の読者は、第1篇の注で、これらの理論の歴史にたいする新たな資料が提供されているのをみられるであろう。

 何事も初めがむずかしい、という諺は、すべての科学にあてはまる。第1章、とくに商品の分析をふくんでいる節の理解は、したがって、最大の障害となるであろう。 そこで価値実体と価値の大きさとの分析をより詳細に論ずるにあたっては、私はこれをできるだけ通俗化することにした。完成した態容(すがた)を貨幣形態に見せている価値形態は、きわめて内容にとぼしく、単純である。ところが、人間精神は2000年以上も昔からこれを解明しようと試みて失敗しているのにお、他方では、これよりはるかに内容豊かな、そして複雑な諸形態の分析が、少なくとも近似的には成功しているというわけである。なぜだろうか?でき上がった生体を研究するのは、生体細胞を研究するよりやさしいからである。そのうえに、経済的諸形態の分析では、顕微鏡も化学的試薬も用いるわけにはいかぬ。抽象力 Abstraktionskraft なるものがこの両者に代わらなければならぬ。しかしながら、ブルジョア社会にとっては、労働生産物の商品形態または商品の価値形態は、経済の細胞形態である。」

 〔*抽象力 Abstraktionskraft
 
 経済的諸形態の分析では、顕微鏡も化学的試薬も用いるわけにはいかぬ。抽象力 Abstraktionskraft なるものがこの両者に代わらなければならぬ。しかしながら、ブルジョア社会にとっては、労働生産物の商品形態または商品の価値形態は、経済の細胞形態である。

 ① 抽象 Abstraktion「小論理学」§115

 「本質は自己のうちで反照する。すなわち純粋な反省である。かくしてそれは単に自己関係にすぎないが、しかし直接的な自己関係ではなく、反省した自己関係、自己との同一性( Identität mit sich )である。
  この同一性は、人々がこれに固執して区別を捨象するかぎり、形式的あるいは悟性的同一性である。あるいはむしろ、抽象とはこうした形式的同一性の定立であり、自己内で具体的なものをこうした単純性の形式に変えることである。これは二つの仕方で行われうる。その一つは、具体的なものに見出される多様なものの一部を(いわゆる分析によって)捨象し、そのうちの一つだけを取り出す仕方であり、もう一つは、さまざまな規定性の差別を捨象して、それらを一つの規定性へ集約してしまう仕方である。

 ② 力 Kraft (c相関Verhältnis)§135-137.

 「§137  力は、自分自身に即して自己へ否定的に関係する全体であるから、自己を自己から反撥し、そして発現するものである。しかしこのような他者への反省、すなわち諸部分の区別は、同様に自己への反省でもあるから、発現は、自己のうちへ帰る力が、それによって力として存在するところの媒介である。力の発現はそれ自身、この相関のうちにあるこつの項の差別の揚棄であり、潜在的に内容をなしている同一性の定立である。力と発現との真理はしたがって、その二つの項が内的なものと外的なものとしてのみ区別されているような相関である。」 〕

「ここでは、個人は、経済的範疇の人格化〔Personifikation ökonomischer Kategorien〕であり、一定の階級関係と階級利害の担い手であるかぎりにおいてのみ、問題となるのである。私の立場は、経済的な社会構造の発展を自然史(的)過程〔naturgeschichtlishen Prozeß〕として理解しようとするものであって、・・・それは、支配階級のうちにおいてすら、現在の社会が硬い結晶体ではなく変化しうるもので、不断の変転の過程をたどっている有機体であるということが、ほのかに感じられはじめているのを示すものである。」    1867年7月25日カール・マルクス

     ****  ****

 2. 第2版の後書 1873年

  ・方程式の分析
  ・社会的有機体

「私は第1版の読者にたいして、まず第2版中でなされた変更について報告しておこう。目立った変更は、各篇をずっと見渡し易いように分けたことである。追記した注は、みな第2版中と明記しておいた。本文そのものについては、もっとも重要なのは次のようことである。

 第1章第1節で、一切の交換価値が表現される方程式の分析〔Analyse der Gleichungen〕を通じて価値を導き出すことは、科学的にずっと厳密にやっておいた〔表現方式と数式の仕方を参照〕〔wissenschaftlich strenger durchgeführt〕。
 同じく、第1版で示唆を与えただけにとどまっていた価値実体と社会的に必要なる労働時間による価値の大きさの規定との間の関連は、はっきりと強調しておいた。第1章第3節(価値形態)は全部書き改めた。・・・― 第1章の最期の節「商品の物神的性格云々」大部分書き改めた。第3章第1節(価値の尺度)には綿密な訂正を加えた。」

「かの筆者(I・I・カウフマン)は私の方法の唯物論的基礎を論じた『経済学批判』の序文から引用をなしたあとで、こう続けている。
 「マルクスにとっては、ただ一つのことだけが重要である。すなわち彼が研究に 従事している諸現象の法則を発見すること、これである。そして彼には、これらの現象が完成した形態をとり、与えられた期間に観察されるような一つの関連に立っているかぎり、これを支配する法則が重要であるばかりでない。彼にとっては、なおとくに、その変化、その発展の法則、すなわち一つの形態から他のそれへの移行、関連の一定の秩序から他のそれへの移行ということが、重要なのである。ひとたび彼がこの法則を発見したとなると、彼は詳細に諸結果を研究する。法則はこの結果となって、社会生活の中に現れるのである。・・・マルクスは、社会の運動を自然史(的)過程として考察する。・・・あらゆる歴史時代はその固有の法則をもっている。・・・人の世は、与えられた発展期間を生き終わり、ある与えられた段階から他のそれに移行すると、また他の諸法則によって支配されはじめる。要するに、経済生活は、われわれにとって、生物学の他の諸領域における発展史に似た現象を示す。・・・

 現象をより深く分析してみると、社会的有機体〔soziale Organismen〕は、お互いに、植物有機体や動物有機体〔Pflanzen-und Tierorganismen〕のちがいと同様に、根本的にちがっているということが証明された。・・・
否、一つの同じ現象が、全くちがった諸法則の支配に服するのであって、それは、かの有機体の全構造がちがっている結果であり、またその個々の器官のちがい、さらにそれらの諸器官の機能する諸条件がちがっている結果なのである、等々。・・・

 このような探究の科学的価値は、ある与えられた社会的有機体〔gesellschaftlichen Organismus〕の成立・存続・発展・死滅と、この有機体の他のより高いそれによる代替等のことを規制する特別の法則が明瞭にされるところにある。そして事実、マルクスのこの書はこのような価値をもっている。」

 私の弁証法的方法は、その根本において、ヘーゲルの方法とちがっているのみならず、その正反対である。・・・しかし、ちょうど私が『資本論』第1巻の述作をつづけていた時には、いま教養あるドイツで大言壮語しているあの厭わしい不遜な凡庸の亜流が、誇り顔に、レッシングの時代に勇ましいモーゼス・メンデルスゾーンがかのスピノザを取り扱ったようにすなわち、「死せる犬」として、ヘーゲルを取り扱っていた。したがって私は、公然と、かの偉大な思想家の弟子であることを告白した

 そして価値理論にかんする章の諸所で、ヘーゲルに特有の表現法を取ってみたりした。
 弁証法は、ヘーゲルの手で神秘化されはしたが、しかし、そのことは、決して、彼がその一般的な運動諸形態を、まず包括的に意識的な仕方で証明したのだということを妨げるものではない。弁証法は彼において頭で立っている。神秘的な殻につつまれている合理的な中核を見出すためには、これをひっくり返さなければならない。・・・」           1873年1月24日 カール・マルクス


 3. フランス語版にたいする序文と後書  1872年


「すなわち、私が用いた分析の方法は、まだ経済上の問題に適用されたことのなかったものであって、初めての諸章を読むのはかなりむずかしいのです。それでこういうおそれがありましょう。すなわち、フランスの読者は、結末を知るのにいつも気をあせり、一般原則と自分たちの現に心を奪われている問題との関連を識るに急であるために、つづけて読むのを厭うようになるであろうということです。というのは、彼らにすぐ最初のところで一切がわかるというわけではないのですから。・・・
真理を求めている読者に心の準備をさせておくほかありません。学問には坦々たる大道はありません。そしてただ、学問の急峻な山路をよじ登るのに疲労こんぱいをいとわない者だけが、輝かしい絶頂をきわめる希望をもつのです。」   
1872年3月18日カール・マルクス


  エンゲルス 『経済学批判』について 1859年

 〔 科学はどのように取り扱われるべきか 〕 ・・・全文はこちら・・・

 〔■ヘーゲルからマルクスへ〕

 「マルクスは、ヘーゲルの論理学の皮をむいて、この領域におけるヘーゲルの真の諸発見を包有している核をとりだし、かつ弁証法的方法からその観念論的外被をはぎとって、それを思想の展開の唯一のただしい形態となる簡明は姿につくりあげる、という仕事をひきうけえた唯一の人であったし、また唯一の人である。マルクスの経済学批判の基礎によこたわる方法の完成を、われわれはその意義においてほとんど唯物論的根本見解におとらない成果であると考える。・・・

 この方法ではわれわれは、歴史的に、事実上われわれのまえにある最初の、そしてもっとも単純な関係から、したがっていまのばあいには、われわれのみいだす最初の経済的関係から出発する。この関係をわれわれは分析する。それが一つの関係であるということのうちに、すでに、それが相互に関係しあう二つの側面をもつということが含まれている。これらの側面のそれぞれは、それ自体として考察される。そこから、それらがたがいに関係しあう仕方、それらの交互作用があらわれる。解決を要求する諸矛盾が生じるであろう。だがわれわれがここで考察するのは、われわれの頭のなかだけで生じる抽象的な思考過程ではなくて、いつのときにか実際に生じた、あるいはいまなお生じつつある現実の事象であるから、これらの矛盾もまた実際に発展して、おそらくその解決を見出しているであろう。われわれはこの解決のしかたを追求しよう。そうすれば、それが一つのあたらしい関係の相対立する二つの側面を、いまやわれわれが説明しなければならないことなどが、わかるであろう。

 〔■人と人との関係が物と物の関係として現われる〕

 経済学は商品をもって、すなわち、諸生産物―それが個々人のものであれ、原生的共同体のものであれ―が相互に交換されるのを契機としてはじまる。交換にはいりこむ生産物は商品である。だが生産物が商品であるのは、ただ、生産物という物に、二人の人間または二つの共同体のあいだの関係が、このばあいはもはや同一個人のなかに結合されていない生産物と消費者のあいだの関係が、結びつくからである。・・・
 経済学は物をとりあつかうのではなく、人と人との関係を、究極においては階級と階級とのあいだの関係をとりあつかうのである。だがこれらの関係は、つねに物にむすびつけられ、物としてあらわれる。
 さてわれわれが、商品を、しかも二つの原始的共同体間の原生的な物々交換においてかろうじて発展したばかりの商品ではなく、完全に発展しつくした商品を、そのことなる側面について考察するならば、それはわれわれに、使用価値と交換価値という二つの観点のもとにあらわれる。そしてここでわれわれは、ただちに経済学上の論争の領域にはいりこむのである。・・・・」

4. 『資本論』経済学批判 第2版 目次


 『資本論』経済学批判 目次

第1篇 商品と貨幣

第1章 商 品
 第1節 商品の2要素 使用価値と価値
     (価値実体、価値の大いさ)
 第2節 商品に表わされた労働の二重性
 第3節 価値形態または交換価値
 A 単純な、個別的な、または偶然的な価値形態
  1 価値表現の両極、
      すなわち相対的価値形態と等価形態 
  2 相対的価値形態
   a 相対的価値形態の内実
   b 相対的価値形態の量的規定性
  3 等価形態
  4 単純な価値形態の総体
 B 総体的または拡大された価値形態
  1 拡大された相対的価値形態
  2 特別な等価形態
  3 総体的または拡大された価値形態の欠陥
 C 一般的価値形態
  1 価値形態の変化した性格
  2 相対的価値形態と等価形態の発展関係
  3 一般的価値形態から貨幣形態への移行
 D 貨幣形態
 第4節 商品の物神的性格とその秘密
第2章 交換過程
第3章 貨幣または商品流通
 第1節 価値の尺度
 第2節 流通手段
  a 商品の変態
  b 貨幣の流通 ウムラウフ
  c 鋳貨 価値標章
 第3節 貨幣
  a 貨幣退蔵
  b 支払手段
  c 世界貨幣
第2篇 貨幣の資本への転化 
第4章 貨幣の資本への転化
 第1節 価値の尺度
 第2節 a 商品の変態
.
 ・・・   ・・・
 *第6篇 労働賃金  中山元訳 日経BPクラシックス
  第17章 労働力の価値または価格の労働賃金への転化Verwandlung
 * *

5. 編集注意事項


***
『資本論』経済学批判 向坂逸郎訳 岩波書店 1967年発行
 (1969年1月16日 岩波文庫版発行)
  
 ■資本論ワールドによる編集注意事項

(1)マルクスの叙述形式ー「歴史的に、論理的に」

 「ヘーゲルに特有の表現法」は、第1章第1節から始まり、古典派経済学と西洋科学史の伝統を踏襲している。したがって、第1章に編集部注が集中している。

 第1章第1節では、17世紀ーニコラス・バーボンの注による挿入文が多く(注2.7.8.)見られ、第2節は、19世紀ーヘーゲル『法の哲学』(注14)、第3節価値形態では、18世紀ーフランクリン(注17a)と前8世紀古代ギリシャーのホメロスの注(注22a)など歴史上の人物からの引用・例証があります。また、紀元前4世紀ーアリストテレスにいたっては、”価値概念”の等価形態に関連して「アリストテレスの天才は、まさに彼が商品の価値表現において、等一関係を発見しているということに輝いている」と絶賛しています。

 このような(注)形式を援用するマルクスの叙述形式は、一貫しています。明らかに「歴史的に、論理的に」進行してゆく方法論といえます。次の(2)では、科学史からの引用・例証を探ってみます。


(2)科学史の「歴史的に、論理的に」

  第1節、「個々の商品はこの富の成素形態Elementarformとして現われる」ー「Element」は、古代ギリシャ時代から19世紀ーメンデレーエフ周期表にいたる一大科学史・化学史のイベントです。
 (注3)「磁石の鉄を引きつける属性は、人がその性質を利用して磁極性を発見・・・」は、(注24)「一つの電極の陽性が他の極の陰性にたいすると同じように、分離しえないものであることを、事実上すこしも見ようとしない」と続きます。
 「三角形自身は、その目に見える形と全くちがった表現-その底辺と高さとの積の2分の1-に整約される(reduzieren:還元する)」(同p.71)では、マルクスの時代・19世紀にユークリッド幾何から非ユークリッド幾何学が誕生し、三角形面積計算の公式は多様化され、各幾何学ごとに計算式が変化します。商品の「価値量の算出」も相対化してゆきます。
 第3節、「酪酸はギ酸プロピルとはちがった物体である、しかし、この両者は同一の化学的実体-炭素(C)、水素(H)および酸素(O)から、しかも同一割合の組成、すなわち、C4H8O2から成り立っている。・・・その化学的実体は、その物体の形態と区別して表現されるであろう。」(同p.94)この化学的実体の分析は、化学史上19世紀に「元素記号」とともに、化学が体系化される端緒となった。
 

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