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西洋と科学史

<コラム23>アリストテレスの形相と可能態(デュナミス)

『資本論』の弁証法の源流を訪ねて

存在のElementについて

~ 価値形態と商品物神性の始元 ~ 

<コラム23>アリストテレスの形相と可能態(デュナミス) -存在のElement-

    ―『資本論』の弁証法の源流を訪ねて― 『資本論』の科学史ハンドブック2019序論 ―

   ガスリー著『ギリシャの哲学者たち』理想社 1973年発行 
      ―タレスからアリストテレスまで―

ガスリー: W.K.G.Guthrie (1906 – 1981年)イギリス。ケンブリッジ大学.ギリシャ哲学教授


 資本論ワールド編集部 はじめに

  『資本論』に引き継がれた古代ギリシャ世界

1. 古代のギリシャ世界では、アリストテレス(前384年― 前322年)よって科学的概念が集大成され、現代に至るまで大きな影響を及ぼしています。ここに紹介するガスリーの『ギリシャの哲学者たち』のうち、アリストテレスの歴史的な前段階で、自然哲学が構築された「素材Stoffと形相Form」―『資本論』の用語(Stoffwechsel / 素材転換-物質代謝と翻訳されている-Formwechsel / 形式転換-形態変化と翻訳されている-『資本論』「商品の変態」岩波文庫p.185。)などのキーワード―ドと密接に連動している―「素材hylē(質料)と形相eidos」から探索を始めます。「形相・構造」は機能に役立つもので、機能に従属する関係の出発点となります。


2. 『資本論』-西洋哲学史と「形相と質料」の研究との関連ついて
 このガスリー『ギリシャの哲学者たち』は、1950年に発表されています。シュヴェーグラー著『西洋哲学史』は1848年ですから、100年が経過しています。-この間に『資本論』の第2版が1873年、エンゲルスによる第4版が1890年に刊行されています-。 マルクスは価値概念の分析にあたり、アリストテレスの比例論(価値方程式)と同等性(Gleichheit:等一性と訳されている)について、『資本論』で引用・解説を行っています(岩波文庫p.109)。アリストテレスの時代に、「価値存在」への高度な考察がすでに始まっていることを証明しています。
 西洋哲学史と「形相と質料」の研究(『資本論』の科学史ハンドブック2019-1序論)では、ー『資本論』の科学史ハンドブック2019-1の中心テーマである「成素形態Elementarform」の「form」の語源とも直接に結びつく大変重要な論点ーに重心を置いています。


3. アリストテレスの第一哲学は、「存在を存在として研究し、またこれに自体的に属するものどもをも研究する一つの学」を対象として始まります。さらにその諸原因である、存在するものの構成要素(ストイケイオン:諸元素)を探ってゆき、「素材と形相」の探索へとつながってゆきます。
 古代ギリシャの実体概念ー「素材と形相」の次に、『資本論』の弁証法の源流である「存在の二重概念」と「可能態と現実態」そして「内在的形相と可能態」について、ガスリーのテキストを研究します。これは、『資本論』の「価値形成実体」(岩波文庫p.50)と感覚的にして超感覚的な「商品の価値対象性」(岩波文庫p.95、p.97)をより身近なものとするステップとなります。


4. さて、マルクスは、『資本論』の第1章第4節で「商品の物神性」について詳細に説明しています。しかし、「字句のうえで分かったつもりでも、では、どのように解釈し、説明をしたらよいか」誰しも思い悩んだ経験をお持ちでしょう。
 2500年に及ぶ西洋文化の歴史を背景にしながら、マルクスは、アリストテレスやヘーゲルと対話をしながら“『資本論』を叙述する”という独特の文体を構築しています。したがって、私たちは“西洋の歴史”を体感と実感することなしには、『資本論』はいつまでも遠い存在であり続けてしまいます。
“商品世界-労働の社会的性格の対象的外観として現象し、対象的な外観・“仮象”は終局的なものに見える”(「商品の物神的性格」岩波文庫p.134)のです。古代ギリシャにあって、自然を対象として観察された「(イ)内在的形相、と(ロ)可能態と現実態の観念」は、マルクスによって「商品の物神的性格」として商品物神、貨幣物神、そして資本物神へと社会の構造分析を解明する科学言語に成長を遂げてゆきます。

 それでは、ガスリーの古代ギリシャ世界へご案内しましょう。



  ガスリー 『ギリシャの哲学者たち』

    中見出し等の〔〕と段落区分の数字は編集部による作成)


   第1章 ギリシャ的思考の特色

  〔1. 著書の目的 〕
1. この本の扱う範囲やねらいを示すには、もともとこの本が、西洋古典学を専攻としない一般学生向きの短期講義をもとにしていることを、まず述べておくのがよかろう。そこで、私が念頭においていたのは次のことであった。聴講者はギリシア語を読む力はないが、自分が専攻する英語、歴史、数学(少なくとも一人の数学専攻の学生がいた)などへの関心や、教養のための読書から、ギリシア思想が、はるかのちのヨーロッパ思想の根底をなしているとの印象を受け、ギリシア思想とは本来いかなるものだったのだろうかを、もっと正確に知りたいという願いをいだくにいたったのだろう、ということである。彼らは、それまでにも一連のゆがんだ鏡の中で、ギリシア思想との出会いをもっていた、と想像してよかろう。というのも、その像は、イギリス、ドイツその他のさまざまな著作家たちが、ギリシア思想を各自の目的に合わせて取り扱い、自分なりの考えかたや時代に応じて着色したもの、あるいは、おそらくしらずしらずそういうものに影響されて作り出していたものだからである。プラトンやアリストテレスを翻訳で読んだ学生もいたが、なにしろ前4世紀ギリシアの知的風土を母胎にした思想であるだけに、読む側から言えば、のちの時代の異なる風土からその時代に立ち帰るわけで、理解に困難なところがいろいろあったにちがいない。
 このような前提をもとにして、私は、ギリシア哲学をその始めから述べ、プラトン、アリストテレスを、後世の哲学から見るのでなく、その前代の哲学に照らして説明し、ギリシア人の思考の方法や世界観の特質払ついて若干の考えを述べてみたのである。・・・


 2.  〔構造は機能に役立つもので、機能に従属する〕

この2類型(唯物論と目的論)は、古代ギリシャ人でも、はっきり識別される。一方では、素材、あるいは、ギリシャ人が名づけたように、「よって生じ来たるところのもの」に関連して、事物を定義した人がり、他方では目的や機能の中に本質的なものを見た者があった。後者はその中に形相を含めたが、それは、構造は機能に役立つもので、機能に従属するからである。机は、それが果たさなければならない目的のために、現にもっている形を有する。梭(杼・ひ)は機織りのために、ある機能をなし遂げなければならないから、あのような形をしているのである。こうして、ギリシア人の精神に現われた最初の対立は、素材と形相の対立であり、機能の観念は、つねにそこでは形相の観念の中に含まれていた。そして、かの永遠の問いに答えて、イオニアの思想家や、のちの原子論者たちは、その答えを素材との関連で与え、ピュタゴラス派、ソクラテス、プラトンおよびアリストテレスは、形相の側から与えたのである。
唯物論者と目的論者―素材の哲学者と形相の哲学者―という哲学者の二分法は、われわれの時代を含めてどの時代においても、おそらく考えられうるかぎりでもっとも基礎的な区分であろう。さらに、この両派が、ギリシアの伝統の発端からはっきりと勢いよく現われてくることを考えれば、この区別をよく胸のうちに納めておくのがよいであろう。



 第2章 古代ギリシャの「素材と形相」(イオユア派とピュタゴラス派)

 〔第2章古代ギリシャの素材と形相では、現代に至る西洋文化の枠組みの根幹となった「観念と思考」について以下のように説明を行っています。〕

 〔3. イオニア派とピュタゴラス派〕

  → ピュタゴラス派についてのシュヴェーグラーとガスリーの考察は「こちら」

3. 前章で見たように、われわれがこれから扱う哲学には二つの主要な側面があって、一方では大宇宙の本性や起源が、他方では人間の生活や行為の開題が扱われる。そして、主として倫理的政治的思想に関心をもつ読者に警告しておいたように、ヨーロッパ哲学をその始まりまでさかのぼってギリシアまでくるとき、まっ先に出会うのは、天地万有についての思弁である。これから論じていく時代全体は、通例、ソクラテスの名を境にして二分されるが―それがなぜ正当であるかは、論の進むにつれてわかるごとだろう―、ソクラテス以前の思想は、コスモスについての、食い入るような好奇心を特色としている。ソクラテスの生きた時代は、自然学的思弁への反動が起こり、哲学の関心が、人間の間題に移っていくのが見られた。もっとも、これは大まかな概括がすべてそうであるように、およその事実を述べているにすぎない。ギリシア的世界の東部では、イオニア派が、天地万有について、初の学問的説明の試みに没頭していたが、西方では、ピュタゴラス派が、一つの生きかたとして哲学の理想を掲げ、一種の宗教結社として哲学団体を設立せんとしていた。他方、ソクラテスの偉大な後継者である、プラトンやアリストテレスは、人間生活の問題をむろんなおざりにしなかったが、両者とも、われわれが生きているこの世界に関する思弁にも関心をもった。プラトンでは、たしかに人間の魂が中心問題であったが、アリストテレスでは、自然研究それ自体を目ざす純粋な学間への好尚が頂点に達した。ほかのギリシア人のだれにもまして、彼には科学的気質があった。さらに言えば、人間の魂についてピュタゴラス派がいだいた関心にしても、それは哲学的と言うよりは、宗教的、神秘的なものであった。しかしいずれにしても、イオニア派が示したような外なる自然へのいちずな傾倒は、前5世紀、自然哲学の没落が明白となり、ソクラテスの執ような問いが人間生活を画面の中心にもたらして以来、ふたたび帰ってくることはなかった。このような関心の変遷はどのようにして起こったか、それをこれから調べていこう。

 
4. 〔混沌とした見かけの変化のうちに、何か持続している永遠なものを求めた〕

 単に魔術的、あるいは神学的解釈をうのみにするのではなく、天地万有の問題を、ただ理性によるだけで解明しようとする試みとしてのヨーロッパ哲学は、前6世紀の初期、小アジア沿岸イオニアの富裕な商業都市において始まった。この試みは、アリストテレスが述べたように、物質的繁栄や余暇に必要な諸条件がすでに整った時代の産物であった。その動機は単なる好奇心にあった。このイオニア派、あるいはミレトス派には、タレス、アナクシマンドロスおよびアナクシメネスの名が上げられる。これを一学派と呼ぶのは、少なくとも次の理由からである。すなわち、三人ともみな同じ富裕なイオニア都市ミレトスの生まれであること、彼らの生きた時代が重なり合っていること、少なくとも伝承の記述によれば三人は師弟関係にあったことが、それである。

 彼らの探究目標は二通りに記述されよう。彼らは、混沌とした見かけの変化のうちに、何か持続している永遠なものを求めた。そして、「世界は何からできているか」と問うことによって、それを見いだすことができる、と考えた。感覚が知覚する世界は、休みなく静止するところがない。それは、一見気まぐれな変化を絶え間なく呈する。自然の発展が進められたり、はばまれたりするのは、あるいは盲目的な外部の力によるのかもしれない。しかしいずれにせよ、それには衰微がつきもので、永遠に存続するものは何もない。その上、見かけは無限で多数の互いに無関係なものが、観察される。哲学は、この見かけの混沌の底に、感覚では見分けられないにしても知性では識別できる、隠れた永続的な統一体が存在するという信念のもとに始まった。このことは、もちろん、すべての哲学において言えることである。現代のある哲学者は哲学の方法を論じて、次のように言っている。
  「人間の心には、……変化を貫いて存続するものを求める根深い傾向があるようだ。それゆえ、あることを説明しようという欲求は、一見新しく変わって見えるものも、これまでいつも存在していたのだということがわかって始めて満たされるようだ。そうであればこそ、根底にある同一であるもの、持続する物質、量的変化があっても維持され、逆にその変化を説明すべきある実体が、探求されるのである。」
 哲学的知性についてのこの記述は、とくにミレトス派のために書かれたものかもしれない。事実、彼らはすでに哲学者であったし、哲学の根本問題は、時代を通じてほとんど変わらないからである。主要なことは、われわれを取り囲む天地万有の見かけの多様さと混乱の下に、理性ならば見いだすことのできる根本的な単一不変なものが存在するという信念である。


 〔5. 素材に対する構造-形相の擁護へ〕

5. 次に、初期の思索家たちには、この不変のものは世界の素材をなす実体の中に求めるべきだと思われた。もちろん、こう考えるよりほかに道がないというわけではない。世界を構成する物質的要素は、現に衰微と再生の絶え間ない変動のうちにあり、多様で把握できないものであるのに反して、永続的なものや把握できるものは、その構造、あるいは形相のうちにあると考える余地も、同じように存在する。もし新しい物質が現われても、それがいつも同一の構造に当てはまっているならば、その構造こそ、われわれが努めて理解しなければならないものであろう。ギリシア自体の中にも、やがて、素材に対して形相を擁護する者が登場してくることになっていた。・・・以下、省略・・・


    ガスリー 『ギリシャの哲学者たち』

  第7章 アリストテレス 

・・・絶えず変化する、つまり、生成し消滅する世界の探求をアリストテレスは、「自然の構造分析と運動」の観点から、「可能態と現実態という、存在の二重概念」を創造しました。この概念形成によって、古代世界は、近代まで続く科学的世界観を発展させることが可能となりました。・・・


 「内在的形相と可能態」について―『資本論』の弁証法の源流―


1. 絶えず変化する、つまり、生成し消滅して決してふたたび同一のものたりえない、不安定な現象の世界が、それではどのようにして哲学的知識の範囲内にはいってくるのか。われわれが初めに見たように、人間理性が要求している、あの不変不動性はどこにあるのか。
 アリストテレスは、彼の哲学の基礎をなす、互いに関連し合う二つの概念によって答える。
 (イ) 内在的形相の概念
 (ロ) 可能態(デュナミス)の概念


   (イ)内在的形相

2. 一般的に言って、アリストテレスの見解では、世界は一見したところ、絶えず運動状態にあり、それのみが学問的思考の対象でありうるような、確固たる真理は何も提示しないようであるが、哲学者は、知的な操作によってこの継続的な流動を分析し、その根底に、変化しない確実な基礎的諸原理あるいは諸要素があることを発見することができる。これらの要素は、感覚世界から離れて存在する実体ではなくて、まぎれもなく存在しており、単独にそれについて思考することができるものである。それらは変化しいものであり、真の哲学の対象となることができる。

 われわれが、これらの諸原理が何であるかを続いて問うていくとき、われわれは、個々の知覚できるものだけが独立した存在性―彼がそれを例示して、この人とかこの馬とかいっているように―を持つという、アリストテレスの常識の最初の要請が思い出されなければならない。研究はすべてこの個物の理解のためにある。そうするためには、個物について、ある種のことがらが把握されねばならないし、個物の所属する種を定義し、それが論理的に持っていると想定される内的構造を分析しなければならない。哲学者とは、その場合、身辺の事物を吟味して、まず第一に帰納的分析によって、そこに存在するある種の共通原理を抽出しようと努める者だということになる。それらの原理は、(単に知的な抽象物ではなく)具体的な対象に結びついてのみ存在するものである。それにもかかわらず、その諸原理は知的操作によって切り離して見ることができ、そして、そのように見ていくことで、具体的なもの自身の本性も説明されることになる。


3. このように見てくると、自然界にある個物はそれぞれが合成物であることがわかる。実際に個物のことをわれわれは今でも、このようなものにアリストテレスが当てはめたギリシア語「くっつき合った」 のラテン訳語を使用して、concrete(具体的)なものと呼んでいる。それは、どんな時でも一つの基体あるいは質料に、ある形相的性質が加わったものである。知覚されるものは変化し、そして、変化は、二つの対立物あるいは両極の―黒から白へ、熱から冷へ、小から大へ等々-に起こるものと古代人たちは考えたので、アリストテレスは、初期ギリシア哲学者たちによって用いられたこの用語を使用して、諸形相をまた「反対的なもの」とも呼んだのである。彼の先行者たちが、変化の問題を論理的に説明するのに困った理由は、彼らが、その説明のためには、これらの反対の諸性質は相互に変化し合うことができるという命題への賛同を要求されるかのように、論じたからであった、と彼はいっている。彼らは、「この冷たいものが熱くなった」という叙述を、「冷が熱になった」という叙述と混同した。あとの叙述の方は、矛盾律を犯すことであって、パルメニデスがすでに鋭く見て取ったように、不可能なことである。ここから、それ自体まったく性質を持たない(もちろん、それは、そのまま単独では決して存在しないけれども)基体を要請する必要が起きたのである。この基体が与えられるならば、―つまり、われわれには実在と属性との間の初歩的な区別と思われるものが、与えられるならば、変化の過程―たとえば、冷却、衰微あるいは死―は説明可能になる。熱や色の濃さや生命が、それぞれ反対の、冷たさや色のうすさや死に変じたと説明するのではなく、その熟や色の濃さや生命が、その具体的なものを離れ去って、何か他のものによって取って代わられたと説明するわけである。この区別はプラトンによって指摘されていた。彼は『パイドン』の中で、「反対の性質を有するもの」を反対の性質それ自身と取り違えることによって起こる、思考の混乱について語っている。

4. しかし、アリストテレスの解決は、次のよりな本質的な観点で違っていた。すなわち、プラトンにとってはきわめて重要なことのように思われたのは、イデアが、ある神秘的なしかたでそのイデアの名で呼ばれる具体的なものに「宿っている」その同じ時に、これと別に、そして独立して、イデアが存在することを主張することであったのに、アリストテレスでは、形相はつねに何らかの自然物体に内在したという点である。



   (ロ)可能態(ディナミス)

5. この概念の導入に当たってまず最初に言うべきことは、プラトンやアリストテレスの理解した目的論では、テロスあるいは目的、すなわち、自然界の活動がその影響下に起こるところの「完成態」が、現実に存在することが要求されていたことである。この概念は、「整然とした進歩」の観念にとって必ずしも前提されなければならないものではない。整然とした進歩というものは、自然界の活動がそこに向かって行く「完成態」ないし終点が、すでに存在しているという仮定がなくとも、完全にありうる概念である。これは、実際、ジュリアン・ハクスリのような現代進化論生物学者〔Sir Julian Sorell Huxley、1887年- 1975年、イギリスの進化生物学者〕の好む考えであった。しかし、プラトン主義者はそのように考えてはいない。アリストテレスに「より善きものがあるという以上、最善のものがなければならぬ」という言葉があるが、あるいは、これをわれわれの言葉に言い換えるなら、照合される絶対的基準がなければ、比較は無意味なものである、ということになろう。もし価値の尺度がまったく相対的であるというよりほかはないならば、進歩をうんぬんすることはできないし、また実際に、ものが前進しているか、後退しているかを知ることもできない。

つまり、ものが過不足によって判定される尺度になる「完成態」が、どこかに存在しなければ、比較は相対的なものにとどまらなければならない。少なくとも、このようにアリストテレスは考えた。この完成態は、アリストテレスの世界においては、物質から離れて存在する純粋な形相そのものである神によって準備される。神は、世界内の何かのものの形相であるわけではないから、われわれは、アリストテレスにとって感覚物の無用な写しの一種であると思われた、プラトンの、離在的な個々の形相へともはや引きもどされることはなかろう。


6. この至高の存在の本質へはのちほど帰って行かねばならないが、さし当たっては感覚世界のことを続けなければならない。この世界では、新しく胚胎したばかりの生物には親がなければならない。その親は二つの意味でその生物の原因である。すなわち、第一は生ませる行為を遂行したものとして、第二はその新しい生物が成長していくことになる、種の形相の実例としてである。アリストテレスの言葉によれば、親は作用因としても、形相目的因としても必要である。親の中に例示されている、先在するそれ自身の種の形相を実現するよう努めることは、新生の動物ないし植物の「本性」である。この世界がいつの時かに創造されたとすれば、アリストテレスの哲学では、めんどりが卵より先行したことになろう。しかしながら彼は、形相は永久に存在していること、そしてその存在は全体として、純粋な形相の永久で絶対的な完成態、すなわち神によって保証されることを説く。個々の親が完成態の標本を示すというのは、むろん、ただ比較の上のことだから、漠然とした意味であるにすぎない。昆虫学者は幼虫と対比させるために「成虫」と言っているが、それは絶対的な完成態を示すのではない。もし、個々の生物を生むことが、その種の不完全で相対的な世界の中にあらかじめ完成態が現存することを必要とするならば、世界全体の存在は全体として、絶対的な完成態の存在を要求する。個々の生物が、それ自身の種の形相を可能なかぎり適切に実現することによって、どの生物も、神の永遠の完全さをそれ自身の限られた方法で模倣していくといえよう。これを実現する内部からの衝動が、すなわち自然物の「本性(ピュシス)」にほかならない。アリストテレスは、運動の説明の必要―以前のギリシア思想の歴史は、私か明確にしたと思う方法で、それを最重要の問題としたわけだが―を非常に痛感しただけに、自然物とは「それ自身の内に運動と静止の原理を含む」存在である、との命題を自然物の定義としたのである。


7. すでに述べてきたように、ある人たちは運動を説明することの困難に打ち勝てなかったすえに、運動の存在を否定するという窮余の処置に出てしまった。プラトン自身は(彼の後期対話篇には、その否定について、彼自身落ち着かない点のあったことを暗示している部分があるけれど)、物体が運動しているという事実から、世界は、ただ見かけの上で実在するだけであり、実在は、物体の運動と変化から切り離された、超越的な世界の中に求めなければならないと、言明するよう余儀なくされた。そのあとで、アリストテレスの科学的な(そしてとくに生物学的な)気質は、運動を心から受け入れることへと彼を導いて行ったが、これによって、彼は、パルメニデスのように運動を不可能だと言明した人たちに答える責務を持つことになった。パルメニデスのディレンマは、何よりも彼の時代における論理および言語の未成熟がしからしめた結果であったが、回避する道は、プラトンによってすでに指摘されたところである。アリストテレスは、そのディレンマを次のように言い換えた。すなわち、あるものは生じることもないであろうし(それはすでにあるのだから)、あらぬものからは何ものも生じることはできないから、生成のようなものは存在しない、と。プラトンは、このディレンマがディレンマとして有効性を持つのは、「ある」という動詞は、二つのまったく異なった意味、すなわち、(イ)存在する、ならびに、(ロ)ある属性を持つ(人間であるとか、熱くある等々)とに用いられることを明確に理解できないことから来ている、と説明した。


 〔可能態と現実態という、存在の二重概念〕

8. この解釈を背景にして、アリストテレスが解決案として導入してきたものは、可能態と現実態という、存在の二重概念であった。この区別は今日では常用されているので、この区別ができるようになるために、どんなに多くの思考が必要とされたかを想起することは容易でなくなっている。
 「あるもの」と「あらぬもの」との古くからの対立は真の対立ではない、と彼はいう。確かに、何ものもまったく存在しないところでは、決して何ものもありえない。「無から有は生ぜず」という金言を否定するギリシア人はいなかったであろう。そしてこれは、アリストテレスが世界を永遠であるとする主張の理由の一つであった。しかしながら、この点は、われわれが取り扱わねばならぬことではない。胎児は人間「でない」。だが、この叙述は非存在を意味するのではなく、むしろ、人間となることが可能であるような一片の質料がそこにあるという、積極的事実を意味している。言い換えれば、胎児は潜在的に人間である、ということである。具体的なものを基体と形相とに分析する彼のやりかたによれば、胎児は、人間の形相の「欠如」と彼が呼んだものをちょうどそのとき所有している基体からできている、と言ってもよい。しかもこれはまったく否定的な叙述ではなくて、形相を実現する可能性を暗示した叙述である。

9. 自然のすべてが目的論者の目で見られていて、機能の概念はここでもまた主要なものとなっている。たとえば、目の機能は見ることである。アリストテレスの言葉によると、もし目が見ていないのであれば、目はその形相と現実態を完全に実現していないのである。次に、もし目が失明しているならば、それは視力の「欠如」ということで説明される。この叙述を、植物の葉に正しく当てはめることができないのは、植物の葉は新生児の目と同様に見る力を持たないけれども、それは、見ることが葉の本性ではないからである。他方、もし植物が暗やみの中で生育した結果、その葉が白っぽくなっているとすれば、その葉は、その本性が達成するはずの緑を欠如したということで、よく説明できるといえよう。形相は事物の本質ないし真の本性であり、そして形相を完全に所有することは、機能を正しぐ遂行することに等しい。


10. ここに記述された二つの概念、すなわち、(イ)内在的形相、(ロ)可能態と現実態の観念は、こうして密接に関連し合う。自然物は、それ自身の活動的本性によって潜在的なものから現実的なものへと進歩するという見解は、心の中では、あるがままの事物を分析して、そこに無限な基体を見いだすことと切り離すことができない。その基体は、それ自体変わることのありえない諸性質を、さまざまな程度に応じて、受け入れるのである。前者は、エックス線の早取り写真にたとえられるかもしれない。それに対して、後者はその経過の説明である。しかしながら、アリストテレスの考えでは、第一に説明を要する現象は変化と運動であったから、彼の体系を支配し、各部門の理論を系統立てる際に、彼にとってもっとも役立ったのは、デュナミス〔可能態〕とエネルゲイア〔現実態〕の概念によって与えられた動的自然観であった。

 われわれは今や、アリストテレスの神および神の世界に対する関係の問題に近づいて行くことができる。老年のプラトンは、われわれが見たように、神を魂と定義し、魂を、自ら動くものと定義した。アリストテレスはこの論点から出発したが、この概念は彼の良心的な合理主義を満足させなかったから、そこに安住することはできなかった。彼の神は、第一の前提ではなく、自ら動くものという概念は不可能だとの結論へ彼を導いた一連の推論の、最後の段階であった。運動論から始まるこの議論は、われわれが神学と考え慣れているものと大いに異なっているように思われるかもしれないが、それでも、アリストテレスの神の特性を理解するには欠くことのできないものである。


11. いかなる変化作用にも、外部からの原因がなければならない。いかなる本性も、一定の方向へ変化し発展して行く固有の傾向性あるいは能力から成り立っているので、それゆえにまたデュナミス〔潜勢態、可能態〕とも呼ばれることを、われわれは知っている。デュナミスは、適当な刺激に対して起こる反応力であるが、そこに起こる変化を完全に説明するものではない。変化は外部からの原因や刺激を必要とし、それがないと、内在する潜在力は休止状態になってしまう。つまり、内在因のほかに、(運動を始める際の)作用因、(自然の発生においては、出発点は同種のものに由来しなければならないから)形相因および(成長発達を方向づける目標である)目的因という三つの資格で作用するものがなければならない。諸君は、人間の両親がなければ、あるいは成熟した植物からこぼれ落ちた種子がなければ、子は得られないのだ。

 自己原因による変化が不可能なのは、次の二つの命題が結合されるからである。すなわち、第一は、変化ないし運動は過程であること、つまりアリストテレスの用語では、変化や運動が続いているかぎり、間題の潜在力は不完全にしか現実化しないということ。第二は、変化の作動者は、変化を受けるものが至り着くはずの形相あるいは現実態をあらかじめ持っていなければならないことである。人が生まれるには、成人が存在していなければならないし、液体がある温度まで暖められるには、その温度か、またはそれ以上の温度で存在する作動者があらかじめ存在していなければならない。そうなると、「あるものが自分自身の運動の原因となっている」との叙述は、これをアリストテレスの言葉に直してみるなら、同一の変化作用に関して、その現実態であるとともに可能態でもあるものが存在する、ということになろうが、これは矛盾することになる。


12. このように、外部に運動因を求めていくことは、自然界の内部で起こる、個々の独立した変化作用については、満たされはする。しかし、その要求はまた、全宇宙にとっても満たされるものでなければならない。原因は、全宇宙の外にあるのでなければならない。そして、宇宙の構造は永続的であるから、原因は永遠でなければならない。そこで、一つの完全な存在が必要とされる。すなわち、それは、物質と不完全さから成る現世における「より善きもの」や「より悪しきもの」を計るものさしとなる「最善のもの」であり、この世界内に起こる運動や変化の一切の原因が、最終的に存在を負うている第一原因である。回転する天体がその運動を続けているのは、これが原因でなければならない。そしてその回転の規則性に、夜と昼、夏と冬の規則正しい継起、そしてその結果、最終的には地上のすべてのものの生命が、依存しているのである。永遠であり、完全であるのだから、その存在は、実現されない可能態の要素を何も含まない。よって、可能態から現実態への発展である哲学的意味での運動を、受け入れることはできない。こうして、われわれは「動かされず動かす者」としての、神の概念に到達する。

  ・・・以下、省略・・・