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熊野 英生『インフレ課税と闘う!』

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インフレ課税で家計は大損する

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 1. インフレ課税と闘う
 2. 「インフレ課税」で家計は大損するという根拠
 3. 日本だけが放置している「悪いインフレ」
 4. 山田順「なぜ日銀は緩和を止めないのか?」
 5. インフレ税は願い下げだ

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  作業中2023.09.20

・集英社



   熊野 英生『インフレ課税と闘う』 集英社2023.05発行

   
  第一生命経済研究所 経済調査部 首席エコノミスト

   ★目次ー抄録と要約
   第1章 食品から家電まで、新しいインフレが襲いかかる
   第2章 円安は私たちを幸せにしない、輸出メリットは過去の話
   第3章 インフレ課税で家計は大損する
   第4章 ジリ貧対策としての外貨運用、個人の運用術
   第5章 個人が稼げる新副業時代
   
  ■〔著〕熊野 英生 首席エコノミスト
  物価上昇がどんどん進む。賃金上昇率がそれに追い付かないと、
  「課税」と同じことになり、私たちは貧しくなる。
  この効果をインフレ課税と呼ぶ。インフレで価値が目減りする現象は、
  金融資産でも起こる。
  では、私たちはそうした苦難に対してどう立ち向かえばよいのか。
  それが本書のテーマである。待っていれば、インフレ課税は重みを増す。
  だから、①節約、②運用、③副業といった防衛策を講じて、
  苦難を乗り切らなくてはいけない。
  〔著書案内より〕
  1967年山口県山口市生まれ。1990年日本銀行入行。
  2000年第一生命経済研究所入社。 専門は、金融・財務政策・
  経済統計、為替など金融市場。金融教育、金融知識普及はライフワーク。


 熊野英生著『インフレ課税と闘う』 集英社2023.5月発行
第一生命経済研究所 経済調査部 首席エコノミスト
「インフレ課税」で家計は大損するという根拠、日本政府の膨大な借金は、
相対的に軽くなる


 はじめに

 2022年初から日本でもインフレ加速が顕著である。その影響を詳しく分析した書籍はまだあまり多くないように思う。さらに踏み込んで、インフレに対して、家計(個人)がどんな生活防衛の手段を講じればよいのか、という見解はもっと目にすることが少ない。だから、筆者は、生活防衛にまで踏み込んだ話を書きたかった。
 「インフレ課税」とは、私たちの暮らしが物価上昇に喰われて貧しくなることを指す。所得・資産の実質的価値の目減りのことである。読者は「実質賃金がマイナス」とか、「実質金利がマイナス」という言葉を耳にすることがあるだろう。それらは、インフレ課税が変形したものだ。もっと深刻な打撃は、家計の保有する金融資産残高の価値の目減りである。
 インフレ課税は、自然災害のようなものだから仕方がないと思う人はきっと多いだろう。しかし日銀(日本銀行)は、それに歯止めをかける能力を本来、持っているはずだ。家計の金融資産残高の半分以上を占める預貯金は、日銀が利上げすれば、利息収入が増えて損失の穴埋めができる。輸入インフレも日銀が止められる。

 ではなぜ、日銀が動かないのかと言えば、利上げは慎重にすべきと声高に叫ぶ論調が強いからだ。日銀は、過剰なまでに緩和的であり、それを見直すことが許されていない。皮肉なことに、日銀は1998年に法的独立性を与えられたが、現実には二十数年かけてその能力をゆっくりと奪われていった。
 この深層を読み取れば、政治的思惑と財政事情が関係している。政府債務が1200兆円を超える我が国は、政策金利を引き上げようとしても、それが容易には行えないのである。政府債務の負担を利払いの増加でさらに重くさせてはいけないという配慮が働いている。

 本書の目的には、なぜ、インフレ課税が改善されにくいのかという社会構造をあぶり出すこともある。家計が保有する金融資産残高は、インフレ課税によって目減りするが、それと対照的に政府の債務残高は軽減される。インフレになっても、日銀がずっと利上げをしなければ、実質金利がマイナスになって、政府の借金はじわじわと圧縮されていく。筆者は、たとえ政府債務が減っても、国民の財産を犠牲にするのでは、政策として無意味だと考える。
 さらに、インフレで人為的に借金を帳消しにできるという悪魔的発想を信じて、給付金などを配ってどんどん財政拡張を許すと、その代償は結局のところ、インフレ課税で国民が払わされる。
  ・・・・・・・・・・・以下省略・・・・


第3章 インフレ課税で家計は大損する

  インフレ課税

  政府債務と家計資産が同時に消える

 隠れた日本の債務削減作用として、インフレ効果がある。物価が2倍になれば、過去の債務価値は半分(1/2)に減る。これは、物価が2倍になって、税収も2倍になるという関係があるから、債務返済能力が高まって、債務の実質価値が半分になるという解釈もできる。
政府は、さすがにインフレ調整を前面に出すことはできないので、経済規模(名目GDP)を尺度にして、政府債務が先々は相対的に小さくなるという見通しを発表している。2023年1月の「中長期の経済財政に関する試算」(成長実現ケース)では、2022年度の公債等残高の対名目GDP比が217.0%と過去最高になった後、10年後の2032年度は171.7%まで下がる見通しになっている。名目GDPが1.36倍に増える効果を見ているのである(この間、一般会計の税収もI.36倍)。
 注意したいのは、政府債務残高が軽くなるとき、同時に家計金融資産残高も軽くなることだ。日本全体のバランスシートでは、資産と負債は裏腹の関係でつながっている。家計が金融資産を取り崩して納税すると、その税収の一部が政府債務の返済に回って、政府債務残高を減らす。反対に、政府が低所得者向けの給付金を3兆円ほど支給すると、家計金融資産残高は3兆円増える。

 もう一方で、給付金を全額国債発行で賄うと、政府債務残高は3兆円増える。政府債務の増減と、民間部門の資産増減はパラレルに動く。同様に、実質価値で見たときは、政府債務残高が2%ほどインフレで減るとき、家計金融資産も2%ほど減ってしまう。こうした国民資産の価値の減少は、増税と同じ効果を持つので、インフレ課税(Inflation Tax)と呼ばれる
  このインフレ課税は、債務者には有利である反面、債権者には不利に働く。長期貸付をしている人には特に不利である。そのため、債権者は貸付金にしかるべき金利を適用し、それも期間が長くなるほど高い金利を上乗せしている(期間プレミアム)。
 国債利回りは、もともとインフレ見通しを織り込む仕組みである。長期国債が10年後に償還されるときの額面+クーポンの金額が、インフレ分を調整して、その時点でどのくらいの価値になるかを計算して、流通価格を決めて取引している。流通価格=割引現在価値になる。

  〔編集部注:割引現在価値とは将来獲得するお金の現時点での価値のこと。「貨幣の時間価値」とは、時間の経過によって将来の価値が変動し、たとえば、10万円を投資して1万円の金利が上乗せされた場合、元の10万円は11万円となる。〕

 もっとも、日本の場合は、日銀が国債市場に介入して、流通価格が下がりにくいように、高値で買いまくるオペレーションをすることで、需給コントロールを極端に強めてきた。その結果、長期金利は極端に低下している(流通価格は高値維持)。この傾向は、2016年9月にイールドカーブーコントロール(Ycc)という仕掛けを作って、10年金利の基準を0%にすることで極まった感がある。つまり、将来のインフレリスクに見合う分を、債権者は受け取れない状態なのである。
 反面、日本の投資家は、インフレ課税のリスクに対して、極めて脆弱になってしまっている。超低金利が当たり前という感覚が浸透して、不意打ちのようなインフレに遭遇しても、投資家たちは機敏に動けない。こうしたインフレ課税には、日銀の金融政策が極めて深く関与している。超低金利によって内外金利差が拡大することが一層の円安を促す。円安が加速するから輸入物価が上がって、消費者物価も上昇する。それでも超低金利を修正しないので、円資産の減価が進んでしまう。

 黒田前総裁は、インフレ課税によって政府債務残高が減価することを知らなかったわけがない。今にして思えば、黒田前総裁は、2022年に消費者物価が上昇し始めてから、「物価上昇は一時的」とか、「賃金が上昇していないので、自分が思っている物価上昇ではない」と言って、利上げ観測を全面的に否定してきた。もしかすると、そうした態度の裏には、インフレ課税を通じて政府債務残高を減価させることを暗に見過ごしていたのではないかと疑ってしまう。

 もしも、日本政府自身が、増税や大胆な歳出カットを行って政府債務を減らしにかかったとしたら、その痛みが批判の的となっただろう。政治的反発や国民からの不満も高まったであろう。それに比べると、インフレ課税は、秘かに円資産の価値を減価することができる。政府債務残高も、気づかれないうちに重さが軽くなっていく。国民は、自分たちの円資産の購買力が徐々に消えてしまうことに意識を向けにくい。しかも、円資産を持っている限りは、国民が逃れることが最も難しいかたちの課税方式である。債務者は秘かに得をして、債権者は何も動けないままに損失を被ってしまう。財布の現金や、預金通帳の数字に何も変化が起こらないのに、こっそりと購買力を失っていくのがインフレ課税の怖さだ。

  こうした効果について、詳細に過去の分析を進めたのは、20世紀の偉大な経済学者ジョン・M・ケインズ(1883~1946)である。1923年に出版された『貨幣改革論』では、インフレ作用と財政問題について深い洞察が示されている。正直に告白すると、筆者はケインズのアイデアを下敷きにして、本書を書いている。ちょうど100年前の巨人の肩の上に乗って、インフレの影響について見通すことができるのだ。
  ケインズが指摘しているのは、インフレが富の分配を変えてしまうことである。新しく価値を創出できる企業家(実業階級)はインフレの中で得する機会を得る。反対に、貯蓄者(投資階級)は過去の所得から蓄積された富をインフレで失う。これは、債務者が得をして、債権者が損をするのと同じ意味である。
  さらに、ケインズの著作は、もっと建設的に私たちが何をすればよいかを教えてくれる。インフレ課税から逃れるには、たとえ借金をしてでも積極的に投資をして、新しい価値を創出することが重要だという教訓を示している。

  達観してみると、過去二十数年間にわたって苦しんだ日本経済は、デフレによって債権者が得をして、債務者は債務価値を膨らませて苦しんだと言える。そして、輸出企業は先行投資を行いにくくなって、国際競争力を低下させた。1990年代後半から2000年代にかけて、それまで高い国際競争力を誇っていた半導体産業は、大規模な設備投資を行いながら、 集積度合いを高めていく競争についていけなくなった。他方、同じく90年代後半に通貨危機に見舞われた韓国の半導体産業は、すぐに立ち直り、大規模な設備投資を繰り返して、日本企業を抜き去っていった。韓国はデフレに陥らずに、インフレ調整の力を借りて、企業が積極的な設備投資を行うことができたという見方が成り立つ。

  ケインズは、資本主義の原動力は投資をするときのアニマル・スピリットだと喝破する。収益機会を追求する動物的な心的衝動が、企業家を突き動かすと『雇用、利子および貨幣の一般理論』(1936年)で語っている。ケインズは、インフレは必要悪のように捉えている印象もある。政府債務に関するケインズの恐ろしい予言として、「通貨の価値低下による課税の力は、ローマ帝国が通貨を発見して以来、国家にはつきものとなっている。法定通貨の創造は、政府の究極の隠し球だったし、今なおそうだ。そしてこの道具がまだ手元で使われずに残っている限り、どんな国や政府も、己の破産や失墜を宣言しそうにない」(山形浩生訳)と、『貨幣改革論(お金の改革論)』には記してある。
 話を現実の日本に戻すと、日本の財政はどのくらいインフレ課税の作用を見込んでいるのか。内閣府「中長期の経済財政に関する試算」(2023年1月)では、2022~2032年度まで11年間でマイナス19.8%の調整幅であった。この見通しは毎年消費者物価が前年比2%で上昇する見通しに近いものだ。
  その一方で、短期金利はほとんど上がらないだろう。つまり、預金金利はほぼ現状維持になり、家計はインフレ課税の犠牲者であり続けると言える。ケインズの言う貯蓄者(投資階級)とは、日本の家計にそのまま当てはまる。ケインズは、『貨幣改革論』以外の著作でも、金利生活者を敵視しており、インフレの犠牲者だという同情心はない。筆者は、むしろ、インフレ課税の犠牲者である家計〔注:会社をリタイアして退職金を元手にアルバイト等の副収入で生計をたてる労働者なども該当〕は、積極的に資産防衛をしなければ、インフレのえじきになると警鐘を鳴らしたい。

 ・・・・・・・・・・・以下省略・・・・




◆◆■yahoo Japan ニュース
◆9/12(火)11:02配信
 「東洋経済ONLINE」より


 「インフレ課税」で家計は大損するという根拠、
     日本政府の膨大な借金は、相対的に軽くなる


   熊野 英生  :第一生命経済研究所 経済調査部 首席エコノミスト


 コロナ禍やロシアのウクライナ侵攻を経て、世界中がインフレの波に襲われたが、日本も例外ではない。万年デフレの代わりに、物価高やインフレが日常語となり、初めはパンやガソリンなどの輸入品中心の値上げだったものが、今やほとんどすべての商品が値上がりしたと言っても過言ではない。避けがたい税金のごとく、まさに「インフレ課税」である。

 しかし、国民が有無を言わせぬ値上げで苦しんでいるにもかかわらず、秘かに微笑んでいるかもしれない(?)存在がある。それは、膨大な借金を擁している日本政府である。借金の金額が変わらないゆえに、インフレになればなるほど、政府の借金は相対的に軽くなるのである。その仕組みについて『インフレ課税と闘う!』の著者である、エコノミストの熊野英生氏がわかりやすく説明する。



 ◆■家計を切り崩して政府の借金を支払う

 隠れた日本の債務削減作用として、インフレ効果がある。物価が2倍になれば、過去の債務価値は半分に減る。これは、物価が2倍になって、税収も2倍になるという関係があるから、債務返済能力が高まって、債務の実質価値が半分になるという解釈もできる。

 政府は、さすがにインフレ調整を前面に出すことはできないので、経済規模(名目GDP)を尺度にして、政府債務が先々は相対的に小さくなるという見通しを発表している。2023年1月の「中長期の経済財政に関する試算」(成長実現ケース)では、2022年度の公債等残高の対名目GDP比が217.0%と過去最高になった後、10年後の2032年度は171.7%まで下がる見通しになっている。名目GDPが1.36倍に増える効果を見ているのである(この間、一般会計の税収も1.36倍)。

 注意したいのは、政府債務残高が軽くなるとき、同時に家計金融資産残高も軽くなることだ。日本全体のバランスシートでは、資産と負債は裏腹の関係でつながっている。家計が金融資産を取り崩して納税すると、その税収の一部が政府債務の返済に回って、政府債務残高を減らす。反対に、政府が低所得者向けの給付金を3兆円ほど支給すると、家計金融資産残高は3兆円増える。

 もう一方で、給付金を全額国債発行で賄うと、政府債務残高は3兆円増える。政府債務の増減と、民間部門の資産増減はパラレルに動く。同様に、実質価値で見たときは、政府債務残高が2%ほどインフレで減るとき、家計金融資産も2%ほど減ってしまう。こうした国民資産の価値の減少は、増税と同じ効果を持つので、「インフレ課税(Inflation Tax)」と呼ばれる。


■ このインフレ課税は、債務者には有利である反面、債権者には不利に働く。長期貸付をしている人には特に不利である。そのため、債権者は貸付金にしかるべき金利を適用し、それも期間が長くなるほど高い金利を上乗せしている(期間プレミアム)。


 債権者にとって「不利」

 国債利回りは、もともとインフレ見通しを織り込む仕組みである。長期国債が10年後に償還されるときの額面+クーポンの金額が、インフレ分を調整して、その時点でどのくらいの価値になるかを計算して、流通価格を決めて取引している。流通価格=割引現在価値になる。 

 もっとも、日本の場合は、日銀が国債市場に介入して、流通価格が下がりにくいように、高値で買いまくるオペレーションをすることで、需給コントロールを極端に強めてきた。その結果、長期金利は極端に低下している(流通価格は高値維持)。

 この傾向は、2016年9月にイールドカーブ・コントロール(YCC)という仕掛けを作って、10年金利の基準を0%にすることで極まった感がある。つまり、将来のインフレリスクに見合う分を、債権者は受け取れない状態なのである。

 反面、日本の投資家は、インフレ課税のリスクに対して、極めて脆弱になってしまっている。超低金利が当たり前という感覚が浸透して、不意打ちのようなインフレに遭遇しても、投資家たちは機敏に動けない。

 こうしたインフレ課税には、日銀の金融政策が極めて深く関与している。超低金利によって内外金利差が拡大することが一層の円安を促す。円安が加速するから輸入物価が上がって、消費者物価も上昇する。それでも超低金利を修正しないので、円資産の減価が進んでしまう。

 黒田前総裁は、インフレ課税によって政府債務残高が減価することを知らなかったわけがない。今にして思えば、黒田前総裁は、2022年に消費者物価が上昇し始めてから、「物価上昇は一時的」とか、「賃金が上昇していないので、自分が思っている物価上昇ではない」と言って、利上げ観測を全面的に否定してきた。もしかすると、そうした態度の裏には、インフレ課税を通じて政府債務残高を減価させることを暗に見過ごしていたのではないかと疑ってしまう。


 もしも、日本政府自身が、増税や大胆な歳出カットを行って政府債務を減らしにかかったとしたら、その痛みが批判の的となっただろう。政治的反発や国民からの不満も高まったであろう。

 それに比べると、インフレ課税は、秘かに円資産の価値を減価することができる。政府債務残高も、気づかれないうちに重さが軽くなっていく。国民は、自分たちの円資産の購買力が徐々に消えてしまうことに意識を向けにくい。

 しかも、円資産を持っている限りは、国民が逃れることが最も難しいかたちの課税方式である
 債務者は秘かに得をして、債権者は何も動けないままに損失を被ってしまう。財布の現金や、預金通帳の数字に何も変化が起こらないのに、こっそりと購買力を失っていくのがインフレ課税の怖さだ



◆■ケインズが説いた、インフレ作用と財政問題の深い洞察

 こうした効果について、詳細に過去の分析を進めたのは、20世紀の偉大な経済学者ジョン・M・ケインズ(1883~1946)である。1923年に出版された『貨幣改革論』では、インフレ作用と財政問題について深い洞察が示されている。正直に告白すると、筆者はケインズのアイデアを下敷きにして、本書を書いている。ちょうど100年前の巨人の肩の上に乗って、インフレの影響について見通すことができるのだ。

 ケインズが指摘しているのは、インフレが富の分配を変えてしまうことである。新しく価値を創出できる企業家(実業階級)はインフレの中で得する機会を得る。反対に、貯蓄者(投資階級)は過去の所得から蓄積された富をインフレで失う。これは、債務者が得をして、債権者が損をするのと同じ意味である。

 さらに、ケインズの著作は、もっと建設的に私たちが何をすればよいかを教えてくれる。

 インフレ課税から逃れるには、たとえ借金をしてでも積極的に投資をして、新しい価値を創出することが重要だという教訓を示している。

 達観してみると、過去二十数年間にわたって苦しんだ日本経済は、デフレによって債権者が得をして、債務者は債務価値を膨らませて苦しんだと言える。そして、輸出企業は先行投資を行いにくくなって、国際競争力を低下させた。

 1990年代後半から2000年代にかけて、それまで高い国際競争力を誇っていた半導体産業は、大規模な設備投資を行いながら、集積度合いを高めていく競争についていけなくなった。

 他方、同じく90年代後半に通貨危機に見舞われた韓国の半導体産業は、すぐに立ち直り、大規模な設備投資を繰り返して、日本企業を抜き去っていった。韓国はデフレに陥らずに、インフレ調整の力を借りて、企業が積極的な設備投資を行うことができたという見方が成り立つ。


◆■政府債務に関するケインズの恐ろしい予言

 ケインズは、資本主義の原動力は投資をするときのアニマル・スピリットだと喝破する。収益機会を追求する動物的な心的衝動が、企業家を突き動かすと『雇用、利子および貨幣の一般理論』(1936年)で語っている。

 ケインズは、インフレは必要悪のように捉えている印象もある。政府債務に関するケインズの恐ろしい予言として、「通貨の価値低下による課税の力は、ローマ帝国が通貨を発見して以来、国家にはつきものとなっている。法定通貨の創造は、政府の究極の隠し球だったし、今なおそうだ。そしてこの道具がまだ手元で使われずに残っている限り、どんな国や政府も、己の破産や失墜を宣言しそうにない」(山形浩生訳)と、『貨幣改革論(お金の改革論)』には記してある。

 話を現実の日本に戻すと、日本の財政はどのくらいインフレ課税の作用を見込んでいるのか。
 内閣府「中長期の経済財政に関する試算」(2023年1月)では、2022~2032年度まで11年間でマイナス19.8%の調整幅であった。この見通しは毎年消費者物価が前年比2%で上昇する見通しに近いものだ。

 その一方で、短期金利はほとんど上がらないだろう。つまり、預金金利はほぼ現状維持になり、家計はインフレ課税の犠牲者であり続けると言える。ケインズの言う貯蓄者(投資階級)とは、日本の家計にそのまま当てはまる。

 ケインズは、『貨幣改革論』以外の著作でも、金利生活者を敵視しており、インフレの犠牲者だという同情心はない。筆者は、むしろ、インフレ課税の犠牲者である家計は、積極的に資産防衛をしなければ、インフレのえじきになると警鐘を鳴らしたい。

  熊野 英生 :第一生命経済研究所 経済調査部 首席エコノミスト



読売新聞オンライン 2023/02/06
調査研究

  インフレ税は願い下げだ

   調査研究本部主任研究員 林田晃雄

  世界的にインフレが広がるにつれて、「インフレ税」という言葉を見聞きすることが増えた。日本でも食品や電気料金などの値上げが続く。同じモノやサービスに以前より多くのお金を払いながら、まるで消費税が増税されたみたいだ、と感じる人もいるだろう。ただし、インフレ税はそういう意味では使われない。なぜインフレが税金のように見なされるのか、順を追って説明しよう。

 すさまじいインフレで物価が100倍に跳ね上がったとしたら、10万円で買えたテレビや冷蔵庫の価格は1000万円になる。
 一方、1000万円の住宅ローンを借りている人の場合は、インフレ後に1000万円を返済すると、実質的にはかつての10万円程度、つまりテレビや冷蔵庫を買う程度の負担で済むことになる。インフレでローンの99%が事実上チャラになるわけだ。

  これを国家財政に当てはめると、インフレが税と呼ばれる理由が見えてくる。国の借金である国債の発行残高はおよそ1000兆円に上る。国内総生産(GDP)の約2倍と巨額で、返済は容易ではない。そこに突然、ハイパー・インフレーション(超インフレ)が起きて物価が100倍になると、政府の負債は実質的に10兆円に激減する。政府が大増税して返済したのと同じように、債務の大半が消える。

  もちろん、国債の保有者は資産価値の99%を失い、大損害をこうむる。国債は投資信託や生命保険、年金基金などの運用対象に組み込まれている。これらの資産の最終的な所有者である国民が損をするわけだ。つまり、インフレは国民から資産を奪い、政府の借金を軽くする役割を果たす。実質的に民間から政府に「所得移転」させることから、課税になぞらえてインフレ税と呼ばれるわけだ。

 たった2%のインフレ目標さえ長年達成できなかった日本で100倍(9900%)のインフレを想定するのは荒唐無稽だと感じるかもしれない。だが、日本の物価は日中戦争前から大戦後にかけて100倍を大きく超えて上昇したという前例もある。

  昭和20年(1945年)、悲惨な戦争は終わったが、国民の苦難は続いた。戦時中、政府が発行した国債を日本銀行が大量の紙幣を刷って引き受け、市中にあふれたマネーが激しいインフレを起こしたからだ。東京の物価指数は昭和10年前後に比べて昭和22年が110倍、23年は190倍、24年は240倍に達した。戦時国債は紙くずと化し、巨額な戦費の負債は大半がインフレ税によって「返済」された。

 戦費を巡る日本の財政・金融政策を分析した「日本 戦争経済史」(小野圭司著、日本経済新聞出版)にこんな一節がある。

 「課税はもとより通貨発行もインフレという形で国民各層に広く戦費の負担を求めるものである」

 インフレも税金のように戦費を国民に負担させる手段として使われた。歴史の教訓はこうだ。放漫財政によって通貨の信認が失墜すれば、激しいインフレが起きる。政府の借金は事実上、棒引きになり、国民は塗炭の苦しみを味わうことになる。

  コロナ禍以降、我が国の財政支出は急速に膨らんだ。政府の総合経済対策は、ガソリンや電気代の上昇分を補助金などで穴埋めするインフレ対策が柱の一つである。この経済対策を審議した衆院予算委員会の質疑を読み返した。インフレ対策の強化を求める声が相次ぐ一方で、国債を大量増発してインフレの痛みを将来世代にツケ回す政策の是非を、正面から論じる場面は見つからなかった。

 インフレ対策の大盤振る舞いで財政危機が高じて超インフレを招き、財政規律を軽んじた政府は大助かり。ツケのインフレ税は国民が払う羽目に……。そんな悲惨な結末は、願い下げにしたい。

 ※この論考は調査研究本部が発行する「読売クオータリー」に掲載されたものです。


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YAHOO JAPAN!ニュース

 なぜ日銀は緩和を止めないのか?
 最終目的は「インフレ税」「財産税」による国民資産の強奪か?


 
山田順 作家、ジャーナリスト 2022/9/30


円安の真因は日本の国力の長期衰退

 先日の財務省・日銀による為替介入の効果は、まったくなかったと言っていい。すでに、ドル円は介入ラインの145円まで戻している。介入規模は史上最大で約3兆6000億円とされるが、これだけ投じても効果がないことは、じつは初めからわかっていたのではなかろうか。
 今回の円安の原因を、専門家もメディアも日米の金利差に求めている。確かにその通りだが、その真因は、日本の国力の長期衰退にある。これが続く限り、日本は量的緩和を止められない。政府は、国債の大量発行による借金に頼って国家運営をしていかねばならない。
 もし緩和を止めれば、金利が跳ね上がり、日銀は債務超過に陥り、国家財政は逼迫して予算が組めなくなる。



アベノミクスを推進させた「MMT」

 日本が量的緩和を続けてきたのは、アベノミクスの推進者たちが、「MMT」(現代貨幣理論)という馬鹿げた経済理論を信じたことにある。いまだに、自国通貨で国債を発行できる国はデフォルトしないと言っている者がいるのが、私には信じがたい。

 彼らは常に財政出動、財政拡大を主張し、税負担なしに国債によってそれをまかなえる。国債を財源とすれば、いくらでも財政支出ができると言い続けている。しかも、これだけ借金を重ねているのに、日本は緊縮財政を続けていて、それは財務省の「陰謀」などと言っている。

 しかし、国債を際限なく発行するということは、おカネをいくらでも刷り続けるということだから、マネーストックは膨張し続ける。つまり、おカネが市場に溢れ、インフレが亢進する。インフレ亢進に歯止めが利かなくなると、物価が短期間で倍々になるハイパーインフレになる可能性がある。


緩和マネーは当座預金にブタ積みに

 このように、現在の円安とインフレを招いたのは、国力の衰退を国債の大量発行で埋め合わせようとしたことにある。それなのに、日本のインフレはアメリカと違う。円安による「輸入インフレ」で、ほぼ海外要因だと解説している者がいるのには、これまた驚くほかない。
 たしかに、ウクライナ戦争などの影響により、エネルギー価格や農産物価格が上がり、それに円安が拍車をかけたのは事実である。しかし、仮に円安がなかったとしても、インフレは起こっただろう。

 コロナ禍前まで、デフレが続いてきたのは、緩和マネーがあまり市場に出ず、日銀内の当座預金にブタ積みされてきたからだ。日銀はこれに0.1%の不利を付けているので、インフレは抑えられ、デフレが続いてきたのである。
 しかし、コロナ禍以後は、流れが変わった。


日米ともにコロナ対策で巨額の財政出動

 コロナ禍で世界各国が、膨大な財政出動を行った。その財源のほとんどは、日本と同じように国債発行でまかなわれた。この財政出動マネーは、ほぼすべてがコロナ対策費として市場に出た。

 日本の場合は、2020年度、2021年度に補正予算を含めてそれぞれ175兆円、142兆円という巨額の財政支出が行われた。そのなかには、これまでに例がない全国民を対象とした総額約12兆9000億円の特別定額給付金があった。さらに、休業補償、雇用調整助成金などもあった。雇用調整助成金にいたっては、現在も続けられている。

 アメリカの場合は、納税額制限が設けられたが、大半の国民がこれまで3回の現金給付を受けた。1回目は1人最大1200ドル、2回目は同600ドル、3回目は同1400ドルで、計3200ドル(約46万円)である。これらのマネーとこれまでの緩和マネーが合わさって、コロナ禍が終息し始めると、記録的なインフレが起きた。
 このインフレを止めるため、FRBは量的緩和を手仕舞いし、利上げに入ったのである。


インフレは「インフレ税」になる

 アメリカのインフレは前年同月比で10%近くになるもので、これは2〜3%のマイルドインフレと異なり、国民生活を圧迫する。そのため、FRBは景気悪化の懸念はあっても、断固として利上げを継続している。
 とはいえ、インフレは物価が上がるのだから、それが何%であろうと、税金を払っているのと同じことになる。インフレとは通貨の価値が下がることと同義なので、インフレが起こると借金を持っている人間はトクをする。
 つまり、なんといっても膨大な借金を抱えた政府は、インフレにより債務を軽減させることができる。

 政府債務は、そのほとんどが国債を発行して民間から調達したものである。つまり、インフレになると、貸し手である民間から政府に購買力が移転するかたちになる。そのため、「税」を付けて、インフレによる負担を俗に「インフレ税」と呼んでいる。
 じつは、日本のような巨額の財政赤字を抱える政府にとって、インフレは恵みの雨である。金利を押さえ込んだまま、インフレが亢進すれば、国債の利払い費の価値は実質低下する。これまで抱え込んだ債務も軽減される。さらに、物価上昇によって自動的に税収も増加する。


10%のインフレでインフレ税はいくらか?

 インフレ税は、債務の額(債務残高)を、インフレ率を上乗せした値で割って求めることができる。

 計算式は次のとおり。
 債務残高(名目)× 1/1+インフレ率=債務残高(実質) 


 では、この式を使い、名目債務残高が1000兆円でインフレ率が10%の場合、実質債務残高がいくらで、インフレ税がいくらか見てみよう。

 1000兆円× 1/1+0.1(10%)= 909兆円

 1000兆円の借金が実質で909兆円になるのだから、インフレ税は91兆円ということになる。日本の公的債務残高は現在約1200兆円である。この計算式どおりなら、政府は大幅に債務を軽減できることになる。もし、インフレ率が100%なら、債務は半分になる。

 このように見れば、なぜ、日銀が緩和を止めないのか。円安を食い止めるために、日米の金利差を縮める利上げに踏み切らないのかがわかるだろう。


誰も逃れられない「見えない税金」

 しかし、インフレ税を払うのは国民だから、政府は助かっても、国民は助からない。インフレ率と同じに賃金が上がらなければ、多くの国民の生活は成り立たなくなる。

 現在の日本の状況はまさにこれで、スタグフレーションが日々刻々進んでいる。今後、生活必需品の値上げラッシュが続けば、国民生活はますます苦しくなっていくだろう。
 インフレ率が高いほどインフレ税も増える。もしハイパーインフレなどということになれば、もはや暮らしは成り立たず、経済は破綻する。

 インフレ税は、実際の税金とは異なり、誰一人として逃れることができない「見えない税金」である。実際の税金のように、所得が増えるにつれて税率も上昇する「累進性」などないから、低所得層ほど負担がより重くなる「逆進性」を持っている。
 「見えない税金」と言われるだけに、インフレ税は国民に税を取られている意識を持たせない。また、メディアも識者も、このような面からインフレを論じることはほとんどない。メディアは、物価が上がって大変だと騒ぎ、生活防衛を訴えるだけである。


第2次世界大戦後のインフレ時と比較

 すでに、世界中で亢進しているインフレにより、各国政府の債務は軽減されている。IMFなどによると、アメリカと欧州ではこの2年間で計4.5兆ドル(約650兆円)の債務が軽減されたという。その内訳は、アメリカは3.2兆ドル、欧州は1.3兆ドルだ。
 過去のアメリカを見ると、インフレ税によって債務が軽減され、その結果、経済が成長したという例がある。それは第2次世界大戦後のことで、当時のアメリカは戦費拠出のために政府債務が5年間で3倍に膨らんだ。
 1946年の政府債務残高は、名目GDP比で119%。これを軽減させるため、FRBは金利を抑制し、インフレ率は一時14%まで上昇し、債務は実質的に軽減された。
 もちろん、この負担は国民に強いられたが、戦後復興の好景気によって負担は軽減され、経済は成長した。

 しかし、コロナ禍後の現在はどうだろうか? 

 第2次世界大戦後のような大規模な復興需要はあるだろうか? IMFによると、2020年の主要先進国の政府債務の名目GDP比は127%で、第2次世界大戦後の1946年の126%を上回っている。
 現在、アメリカ経済はコロナ禍後の需要復活で景気は上向いてはいるが、それほどでもない。日本は、いまだコロナ規制を引きずり、インフレによる個人消費の落ち込みもあって、完全に低迷している。


預金封鎖、新円切替、財産税の3点セット

 インフレによる通貨価値の低下は、国民の購買力が弱まることを意味する。消費が落ち込むなかで、インフレがさらに進むと、ハイパーインフレの恐れが出てくる。
 歴史的にハイパーインフレの例は数多くあるが、近年では、1998年のロシアのルーブル暴落が典型例だろう。このとき、ルーブルの貨幣価値は1年で6分の1になった。

 現在の日本の政府債務残高(2021年)の対GDP比は263%で、ベネズエラに次いで世界第2位である。200%を超える水準は、第2次世界大戦の末期と同じだ。すでにベネズエラは経済破綻している。
 終戦後、ハイパーインフレが起き、戦時に発行された国債は紙切れになった。そうして行われたのが、「預金封鎖」「新円切替」「財産税」という3点セットによる国民財産の没収だった。


富裕層から財産を没収する「財産税」

 インフレが度を超えてハイパーインフレになってしまえば、ほとんどの国民は困窮化する。前記したように、インフレ税からは誰も逃れられず、富裕層も低所得層も実質的に負担させられる。
 しかし、低所得層の負担を減らし、富裕層から財産を取り上げるという政府債務の圧縮方法もある。それが、「財産税」だ。
 日本で第2次世界大戦後に行われた財産税は、「預金封鎖」「新円切替」と同時に実施され、最高税率は90%(財産額1500万円超)だった。
 現在の日本人の個々の財産状況で、このような最高課税を課すのは無理があるので、予想としては、財産額4000万円以上の層から段階的に課税するのが妥当ではないかと考えられる。実際、こうした案は一部で検討されている。


いまや日本人自身が円を売っている

 たとえば財産税の課税率が100億円超で40%なら、40億円の没収である。これはかなりの負担だが、ハイパーインフレよりはマシだ。
 なぜなら、もし100倍のハイパーインフレになれば、100億円は実質的に1億円の価値にしかならなくなってしまうからだ。これに対して財産税40%なら、40億円を納めて60億円は手元に残る。
 つまり、富裕層にとっても、もちろん、一般層、低所得層にとっても、ハイパーインフレよりは財産税のほうがマシである。
 よって、ハイパーインフレの兆しが顕在化したとき、政府は財産税を課してくる可能性がある。ただし、それによってインフレが止まるかどうかはわからない。いずれにしても、インフレを放置すればするほど、政府は助かる。

 はたして、今後の日本がここまで行くかどうか。
 現在、政府が恐れる投機筋だけが、円売りをやっているわけではない。すでに、日本人自身が円を売っている。そうして、「ドル転」による「資産フライト」を進めている。

 **山田順 作家、ジャーナリスト
 1952年横浜生まれ。1976年光文社入社。2002年『光文社 ペーパーバックス』を創刊し編集長。2010年からフリーランス。作家、ジャーナリストとして、主に国際政治・経済で、取材・執筆活動をしながら、出版プロデュースも手掛ける。主な著書は『出版大崩壊』『資産フライト』(ともに文春新書)『中国の夢は100年たっても実現しない』(PHP)『日本が2度勝っていた大東亜・太平洋戦争』(ヒカルランド)『日本人はなぜ世界での存在感を失っているのか』(ソフトバンク新書)『地方創生の罠』(青春新書)『永久属国論』(さくら舎)『コロナ敗戦後の世界』(MdN新書)。最新刊は『地球温暖化敗戦』(ベストブック )。

  
御園生『独占価格』2023.09.14

  御園生等・新田俊三『独占価格』

  序 章 独占価格論の方法

 1  独占価格論の理論的位置

 資本主義はほぼ19世紀末頃から独占資本主義の段階に入った。生産手段の集積と集中は、信用制度の新らたなる展開、すなわち株式会社と近代的銀行による蓄積様式を基盤にしていっそう急激に、また大規模にすすめられ、それとともに競争は自由主義段階とは異なる様相のもとに、株式会社である巨大企業間の競争として、より大規模にして高次のものに変化することになった。したがってこの新たな段階における資本の蓄積様式と高次な競争の展開とを、資本主義の自由主義段階を根拠として設定され、いわば純粋な資本主義モデルのもとで体糸化された原理論をもって解明することの不可はいうまでもない。
 われわれが本書においてとりあげた独占価格についての視点も同様である。独占価格は、この新たな段階における蓄積様式と、そのもたらした巨大企業間競争の結晶物であり、市場支配のための戦略的価格である。すでに純粋化された資本主義モデルの体系は、この段階のものではなくなっているのに、独占価格をその体系の延長をもって論理的、抽象的に解明しようとすることからくる誤りは、ほとんど従来の独占価格論に共通していたといっても過言ではない。

 資本主義であるかぎり、いわゆる原理論の体系のもとで展開された諸法則は、独占資本主義段階においても貫徹する。もしそうでなければ法則は法則ではなくなり、あるいは資本主義は資本主義ではなくなる。しかしすでにその法則の発現は制限され、ゆがめられたのであるから、問題は、その制限の諸様相と要因とを具体的にあきらかにすることから出発しなければならないのに、いたずらに原理論の体系とそのもとで純粋に貫徹される法則にのみ固執したり、あるいは逆にこれにかわる独占段階の「法則」なるものを抽象的観念的に設定しようとする。たとえば、独占価格、独占利潤を一義的・一般的に規定する法則がありうるとするような論点は、われわれには理論的迷妄というよりほかない。
 独占価格および独占利潤は、価値法則を貫徹せしめる原動力である自由競争を制限し、その平均化作用をゆがめるところに成立するものである。諸資本間の自由競争は、個別価値のそれぞれ異なり、また部門間によって異なるべき価値および利潤を、市場価値と生産価格の体系によって平均化せしめる社会的強制力でありえた。しかるに独占資本は、この平均化をもたらすべき強制力である競争の自由を制限することによって、独占利潤を取得するものとして出現した。もはや価値法則はそのままの姿をもって純粋に発現できなくなったのである。したがって、独占利潤ならびに独占価格は、価値法則を貫徹せしめる自由競争が、どのような条件のもとで、どの程度、いかなる要因によって制限されたか、いいかえれば独占的諸力と諸条件とを具体的にあきらかにすることから出発しなければならないのである。

 かくして独占価格ならびに独占利潤には一定の法則はない。したがってわれわれの独占価格解明の作業は、これら価値法則を純粋に貫徹せしめる競争を制限する諸力、すなわち独占資本主義段階における株式会社と銀行とを基盤とする信用の力による新たな蓄積様式の発展と、そのもたらした独占的な諸力、諸要因とその強弱とを、個々の具体的市場条件のダイナミズムの下で、個別に解明するところに努力が集中される。
 したがってわれわれは、いままでの独占、ならびに独占価格論をマルクス経済学、近代経済学の両面において概観し、そのメリットとデメリットをあきらかにした後、独占資本主義段階においてこの段階の典型をなす19世紀末以降のドイツについて、とくに株式会社による蓄積様式の展開と、そのもとで結実した独占価格の動向について究明をすすめ、ついで最近の資本主義世界における主導勢力たる現代アメリカのそれを分析した。最後に、これらとの対比において現代日本の独占価格をとりあげた。この場合のわれわれの分析視点が叙上のところからみて、いわゆる段階論ないしとくにすぐれて現状分析的であることはあらためていうまでもないであろう。けだし独占価格は、観念的抽象的論理をもってではなく、独占段階の現実をもって語られなければならないからである。


 2 独占価格論の具体的展開

 前述したごとく、世界資本主義は、いわゆる独占資本主義の段階に入ると同時に、株式資本による蓄積様式を基盤に、生産手段の集積と集中を押し進めて、この競争をより大きな規模と高度な水準で展開することになった。この競争の展開は、生産手段生産部門の発展を本格化し、国民経済の重化学工業化を一挙に確立した。1890年代以降の、資本主義の新たな段階は、なによりも株式資本の蓄積様式の確立と、これにもとずく生産力の発展に求めなければならない。この株式会社の蓄積様式のもつ二面性、資金の動員力の強化とその流動性と、これに対応する固定設備の巨大化、技術進歩、生産コストの低下という生産力の発展の対応関係こそが、新しい資本主義的蓄積の基本的形態である。このような基本的形態は、純粋な資本主義モデルを想定して展開された原理論の体系の中からその必然性を根拠づけられるのであるが、同時にその具体化は、原理論で想定される厳密な与件の設定の下では行なえない。原理論の対象とするモデルが、19世紀のイギリスを基軸とする世界資本主義の自由主義段階における現実の発展に根拠を置いて設定されたものであるかぎり、19世紀末期より生じた世界資本主義の構造変化は、原理論のロジックの延長としてそのまま解明しうるものではない。だがこのような新たな段階の世界資本主義も、それが資本主義であるかぎり、原理論の対象とした自由主義段階と、現実の発展の過程においては当然のつながりをもつ。この媒介をなすものこそ、株式会社の蓄積様式にほかならない。原理論における資本蓄積の一般法則が、競争と信用の媒介を経て、資本の商品化としての株式制度の確立を要請するのであるが、この要請に対応する機構はもはや原理論においては根拠づけられない。したがって資本の商品化=株式制度による蓄積過程は、外的条件との結合のうえで具体的に発現するほかない。だが、この場合注意しなければならないのは、逆に具体的条件がどのようなものであろうとも、資本蓄積の法則は内在的に貫徹されていくことを意味するということである。原理論で根拠づけられた資本と賃労働の関係、これにもとつく資本主義的競争は、どのような具体的条件によっても廃棄されることなく貫徹していく。むしろ、このような具体的条件に即応して蓄積運動が貫徹されるところに現段階における資本主義の発展法則の特色を見ることができるのである。
 ・・・・以下省略・・・・



 目次内訳

 第1部
   第Ⅰ章 独占価格の基礎理論
     1 資本主義的蓄積の一般法則と集中・集積
     2 資本主義的競争と集中・集積
   第Ⅱ章 独占価格論の形成 
           ーヒルファーディング『金融資本論』をめぐって
     1 『金融資本論』における集中論の展開
     2 『金融資本論』における独占理論の展開
     3 企業結合の2形態
     4 独占価格論の生成
     5 補論――レーニン『帝国主義論』の独占理論について
     6 独占的大企業の蓄積様式と独占価格
 第2部
   第Ⅵ章 独占価格存立の基盤
     1 分析の視角
     2 寡占の構造と行動
     3 集積集中
     4 参入障壁
     5 製品差別化
     6 独占形態(市場行動)
   第Ⅶ章 日本における集中集積と独占価格の特質
     1 一般的集中と独占利潤
     2 市場別集中と独占価格
     3 参入障壁と市場条件
   第Ⅷ章 日本における形態別独占価格
     1 卸売価格中の独占価格の比重
     2 管理価格
     3 カルテル価格
     4 製品差別化価格(有名銘柄価格) 
 総 括

御園生等・新田俊三『独占価格』


  総 括

 われわれは以上の分析において、現代日本資本主義における独占価格を追求し、観察してきた。くり返し述べるごとく、この際われわれの独占および独占価格分析の立場は、独占価格を一般的に解明するごとき理論を予定したり発見しようとするものではなく、独占価格を成立せしめる根拠である独占形態、市場支配の型(市場行動)および市場需給の条件等、要するに現代独占の蓄積様式との関連において、できるだけ具体的にその形態と内容をあきらかにすることにあった。なぜならば、独占価格は、価値法則ないし平均利潤の法則の貫徹を阻止し制限することによって成立するものであって、これらの法則を廃棄するところに成立するものではないからである。現代資本主義においても価値法則は有効であり、現代独占価格を解明するための理論は平均利潤の法則以外にはない。問題は、その法則の貫徹を制限し、そのままの形で純粋に発現せしめない独占力(市場支配)の存在とその強弱、および市場条件の相違等、独占価格を成立せしめる根拠と要因をあきらかにすることにある。
 そしてわれわれは、独占の構造と行動のアメリカ的類型分析(産業組織論)によってえられた成果に学びながら、現代独占価格の典型を管理価格、カルテル価格、製品差別化価格の三つに定め、現代日本のそれについてもこれを適用しようとした。もとより、独占価格を成立せしめる根拠は複合的であって単一ではありえない。したがって、右のごとき形態分類そのものも、多分に形式的であり現実から遊離するおそれさえある。しかし、具体的分析といっても、あらゆる「典型」の析出を必ずしも阻げるものではあるまい。その意味で、いわば独占資本の先進国であるアメリカにおいて発達した産業組織論の成果に学びながらこれを批判的に摂取した上での典型の設定は、分析を効率的におこなう便宜として必ずしも非難さるべきではないであろう。
 
 この結果えられた上述のわれわれの分析の結論を要約すれば、およそつぎのごときものとなろう。すなわち第一に、現代日本の独占価格に特徴的なのは、引上げられた価格でもなく、いわゆる固定的な硬直価格でもない。むしろ独占価格は長期的には低下の傾向をたどっている。それは管理価格、カルテル価格、製品差別化価格等それぞれの根拠とする独占的市場支配力の強弱によって規定せられながらも、全体として下降の傾向をとどめえなかった。そしてこのような独占価格下落の傾向を導いたものは、戦後日本資本主義の「高度成長」にほかならない。いいかえれば、拡大発展しつつある戦後日本資本主義の市場条件のもとでは、いかなる強固な独占価格といえども、下降の方向をたどるのをふせぐことはできなかったし、またその必要もなかった。価格硬直性は戦後日本においては、いうなれば管理価格、製品差別化価格、カルテル価格等その独占形態の強弱にしたがい比較的硬直期間の長短の差となってあらわれるにすぎなかった。戦後日本資本主義においては、市場支配力と生産力の発展という独占資本の蓄積様式のもつ二面性のうち、生産力の発展という面が、より強くあらわれたといいうる。その意味において、現代日本の独占価格は、生産力の停滞の傾向の中で、市場支配力のみ強くあらわれた現代アメリカの下方硬直的独占価格のあり方とはその市場条件において異っている。
 しかし第二に、それにもかかわらず現代日本の市場価格に支配的なものは独占価格である。独占価格は、前述のごとく市場支配力と生産力の発展という独占資本の蓄積様式のもつ二面性を統一する媒介物である。したがって、生産力の発展という一面において、きわめて強烈な特徴をもち、そのゆえに長期下降的である現代日本の独占価格においても、その下降はあくまでも独占利潤を留保しての下降であり、その限界内に止っている変動であることはあきらかである。戦後日本資本主義の生産力の発展という条件のもとでは、独占資本(寡占体)間の競争が、主として独占利潤をできるだけ多額にとり込むための費用価格低下の競争に主力が向けられた。高度成長をもたらした原動力であるいわる技術革新的設備投資競争とは、このような戦後日本的寡占間競争(有効競争)の謂にほかならない。しかしそれはあくまでも独占利潤の分取りの競争であって、自由主義段階におけるような価格競争、完全競争ではない。

 第三に、現代日本の独占価格の典型はカルテル価格であった。それはたんに現代日本の物価体系中にしめる比重においてもっとも大きな部分をしめるというだけではない。前述したごとく、その長期下降的な傾向においても、またカルテルによる価格競争休戦協定の上に立って、技術革新的な設備投資競争をいっそう激烈にたたかう戦後の日本独占のビヘイビアを端的に象徴するものとしても、典型であった。しかもこのような独占資本間の投資競争の結果として、カルテル価格すら下降せざるをえなくなる。戦後日本の独占資本の「良好なマーケット・パフォーマンス」とは、実は右のごとき独占的競争のひきおこした、必ずしも独占資本にとって予期もせず、また好ましからざる「成果」なのであった。
 最後に、右のごとくすくなくとも現在までの日本の独占価格の典型がカルテル価格であり、その意味で非カルテル独占価格である管理価格、および製品差別化価格を典型とする現代アメリカのそれと対照的であるにしても、高度成長の挫折と資本取引自由化を迎えつつある今後の日本においても、依然としてそうであるとはいいえない。すでにアメリカのそれにおいてみたごとく、管理価格は生産財商品の独占価格の、製品差別化価格は消費財商品の典型とされる。おそらく、いわゆる開放体制のもと、世界資本主義の同質化がすすみつつある現在、このような独占価格のアメリカ的典型は、欧州諸国、および日本の独占にとっても、追うべき典型とされるであろう。日本の独占資本にとって、このようなアメリカの典型を追うということの経済的意義は、第一に「高度成長から安定成長へ」の日本資本主義の転型、いいかえれば、常に過剰生産力を抱懐する低成長型への漸進的移行という方向が長期的にみて日本資本主義にとって今後避けえられないと考えられるからである。また第二に、最近における日本独占資本のビヘイビアとしても、カルテル価格より管理価格ないし製品差別化価格への転移がはかられつつあるからである。すなわち、いわゆる産業構造改善策のもと、合併集中と企業提携、持株会社方式等、多面的な寡占体制強化の政策は、官民協調、国家誘導の国家独占資本主義的強行策をもってすすめられつつある。主として生産財、資本財商品生産分野における寡占体制の強化は、究極の目標としては協定なき独占価格、すなわち管理価格である。また一方、消費財商品においては、国民大衆のいわゆる消費パタンの近代化のもと、耐久消費財(乗用車、電気製品、カメラ。等々)、非耐久消費財(化粧品、医薬品、食糧品)を問わず、製品差別化のための多彩な宣伝と販売政策は、いっそう独占価格としての製品差別化価格を重要ならしめている。反独占政策施行下、あからさまな独占形態たるカルテルは、労働組合、革新政党の批判攻撃の目標とされる点からも、政治的配慮のもと政策的にも回避されざるをえないからでもある。

(註) 昭和36年以降、年率5-8%の高水準をもって上昇しつつある消費者物価騰貴の要因も、このような独占価格の日本的特徴の理解の上に立ってはじめて解明される。なぜならば、消費者物価中上昇しているのは、主として農水畜産品、対個人サービス料金、工業製品中、中小企業製品等であって、上昇寄与率からいっても右3グループの商品群の価格上昇がほとんどをしめている。一方消費者物価中大企業工業製品価格はほとんど上昇していないばかりか、多少の下降さえみせていることは、主としてこれらの価格を反映する卸売物価の「安定」にも象徴的にあらわれている。これをもって「大企業製品に物価上昇の責任はない。独占価格とは労働組合、革新政党のためにするデッチ上げだ」という独占側の主張の根拠とされるわけである。わらうべき皮相の見解であることはいうまでもないが、かといって従来の「独占価格即ひき上げられた価格」あるいは「独占価格即硬直価格」という説を暗黙のうちに是認していた硬直的マルクス経済学者には、これをわらう資格はない。
 高度成長という発展する市場条件と生産力の発展という戦後日本独占資本主義のストラテジーの前では、独占価格すら下降的にならざるをえない。しかも、技術革新的新設備による費用価格の低下をきわめて不十分にしか価格の引下げにまわさず、価格の弱含みという「卸売物価の安定」の限界内において、大幅な独占利潤を享受していた独占資本の価格政策によって、物価は全体として「底あげ」されていた。賃金の上昇とくに従来、規模別賃金格差の底の部分に依存していた中小企業にとって、賃金の平準化によるコストアップの圧力は、生産性上昇の方法が限られているだけに大きかった。国家独占資本主義的な成長経済下のインフレ的需要圧力によっても、中小企業製品、対個人サービス料金、農水畜産品の価格は上昇せざるをえない。
 責任は、これらの生産性停滞商品の価格上昇を、技術革新投資による労働の生産性上昇、したがって急激なコスト低下という成果を価格引下げによって相殺ないし減殺しなかった独占価格にある。もし独占資本にして技術革新の成果によるコスト低下を、十分価格引下げに充当したならば、個々の商品価格の上昇にもかかわらず、体系としての消費者物価はそれほど上昇をみなかったはずである。この意味において消費者物価上昇の責任は、やはり工業製品中の巨大企業製品、独占価格にある。

 ・・・・・・・・・・・以上 終わり・・・・



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 ヒルファーディング『金融資本論』

       資本主義の最近の発展に関する一研究

        岡崎次郎訳、岩波文庫 1982年改版第1刷発行

 序言
 第1篇 貨幣と信用
 第2篇 資本の可動化 擬制資本
 第3篇 金融資本と自由競争の制限
 第4編 金融資本と恐慌
 第5篇 金融資本の経済政策

 〔詳細目次〕
 第1篇 貨幣と信用
  第1章 貨幣の必然性
  第2章 流通過程における貨幣 
  第3章 支払貨幣としての貨幣 信用貨幣
  第4章 産業資本の流通における貨幣
       貨幣資本の周期的な遊離と遊休化
       遊休資本の大きさの変動とその諸原因
       信用による遊休貨幣資本の機能貨幣資本への転化
  第5章 銀行と産業信用
  第6章 利子率
 第2篇 資本の可動化 擬制資本
  第7章 株式会社
  第8章 証券取引所
  第9章 商品取引所
  第10章 銀行資本と銀行利得
 第3篇 金融資本と自由競争の制限
 第4編 金融資本と恐慌
 第5篇 金融資本の経済政策 
  ..................................


 ヒルファーディング『金融資本論』 2023.09.10

 序 言

 本書では、最近の資本主義的発展の経済的諸現象を科学的に把握するという試みがなされる。すなわち、この諸現象を、W・ペティに始まりマルクスにおいてその最高の表現を見いだす古典的国民経済学の理論体系に組み入れる、という試みである。ところで、「近代」資本全義の特徴をなすものは、かの集中過程であって、それは、一面ではカルテルやトラストの形成による 「自由競争の止揚」において、他面では銀行資本と産業資本とのますます緊密になる関係において、現われる。この関係を通じて、資本は、後に詳述されるように、その最も高度な且つ最も抽象的な現象形態をなすところの、金融資本という形態をとるのである。

 資本関係一般にまつわる神秘的な外見が、ここでは、最も見透し難いものとなる。反射したものでありながら独立的に現われる金融資本の特有の運動、この運動が行なわれる多様な諸形態、産業資本および商業資本の運動にたいするこの運動の分離と独立化、これらの事象は、ますます分析を要望する。というのは、金融資本の急速な成長が、また資本主義の今日の段階において金融資本の振うますます強大な勢力が、金融資本の諸法則と機能とを知ることなしには、現在の経済的諸傾向の理解を不可能にし、したがってまた一切の科学的な経済学と政策とを不可能にするからである。

  かくて、これらの事象の理論的分析は、これらの現象の関連の問題に、したがって銀行資本の分析および他の諸資本形態にたいする銀行資本の関係の分析に、導かざるをえなかった。産業的企業が創立される際の法律的諸形態に特殊な経済的意義があるかどうか、したがって株式会社の経済理論の言うべきことはなにか、が研究されねばならなかった。しかし、銀行資本と産業資本との諸関係においては、ただ、貨幣資本および生産資本の基本的諸形態において見いだされるべきだった諸関係の完成が認められえただけだった。そこで、信用の役割と本質との問題が起こされたのであるが、この問題はまた、貨幣の役割が明らかにされたときに初めて答えられうるものだった。貨幣の役割を明らかにすることがなおさら重要だったのは、マルクス貨幣理論が定式化されたのちに、なかんずくオランダ、オーストリア、インドにおける貨幣制度の形成によって、一連の重要な諸問題が投ぜられ、これにたいして従来の貨幣理論はなんの回答も見いださないように見えたからである。このことは、近代的貨幣現象の問題点を明敏に看取したクナップをして、一切の経済的説明を排除して、法律的用語諭をもってこれに代えるという彼の試みをなすに至らしめた一事情だった。この用語論は、もちろん、なんの説明でもなく、したがってなんの科学的把握でもなかったが、しかし少なくとも、偏見予断のない記述の可能性を与えるようには見えた。しかし、これらの貨幣問題のさらに立ち入った取扱いが、なおさら必要だった。というのは、ただそれによってのみ、すべての経済学体系の基礎をなすべき価値理論の正しさにたいする経験的証明が与えられうるからであり、また同時に、貨幣の正しい分析によって初めて信用の役割が、したがってまた銀行資本と産業資本との諸関係の基本的諸形態が、認識されえたからである。

 かくて、この研究の組立てがおのずからできてきた。貨幣の分析の次には信用の研究がくる。それには、株式会社の理論と、そこにおいて銀行資本が産業資本にたいして占める地位の分析とが続く。これは、「資本市場」としての証券取引所の研究に導くのであるが、商品取引所のほうは、それにおいて貨幣資本と商業資本との諸関係が具体化されているので、特別の一考察のもとに置かれねばならなかった。

産業的集積の進展につれて、銀行資本と産業資本との諸関係は、ますますもつれ合ってきて、カルテルおよびトラストにおいて頂点に達するこれらの集積現象の研究を必要にし、またそれらの発展傾向の研究を必要にする。「生産の規制」のための、したがってまた資本主義体制の存続のための、独占的諸結合の形成に結びつけられる期待、またことに周期的商業恐慌のために大きな意義を与えられた期待、この期待は、恐慌とその諸原因との分析を必要にした。そして理論的部分はこの分析をもって結ばれた。しかし、理論的に把握しようと試みられたこの発展は、同時に社会の階級構成に大きな影響を及ぼすものであるから、最後の一篇でブルジョア社会の諸大階級の政策に及ぼす主要な影響を追跡することが、適当と思われた。

 マルクス主義にたいしては、経済理論の継続的形成を怠っているということが、しばしば非難された。そしてこの非難は、ある範囲内では、確かに客観的な正当さのないものではない。しかしそれと同様に、この怠慢が理由のありすぎるものだということも、認められねばならないであろう。国民経済理論は、研究されるべき諸現象の無限の複雑さのゆえに、確かに最も困難な科学的企図に属する。しかもマルクス主義者はそれに特有な状態に置かれてある。科学的研究のために必要な時間を与えてくれる大学からは閉め出されて、彼は、政治の闘争時間が彼に許すひまな時間まで、学問的な仕事を延ばすことを余儀なくされている。闘士たちに、科学の建物を作る彼らの労働が平和な煉瓦積工の労働のように遠く進捗することを求めるのは、不公平であろう。それは、彼らの技倆にたいする尊敬を立証するものではないであろう。  ・・・以下省略・・・


現代の資本主義1ー国家独占資本主義
現代の資本主義2ー管理通貨制度とインフレーション
現代の資本主義3ー国債本位制
現代の資本主義4ー信用創造
現代の資本主義5ー帝国主義
現代の資本主義6ー金融資本



   帝国主義 コトバンク2023.09.10

 →百科事典マイペディア 「帝国主義」の意味・わかりやすい解説
  帝国主義【ていこくしゅぎ】 最下↓


https://kotobank.jp/word/%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E4%B8%BB%E7%BE%A9-100031
帝国主義(読み)ていこくしゅぎ(英語表記)imperialism 英語
日本大百科全書(ニッポニカ) 「帝国主義」の意味・わかりやすい解説
帝国主義
ていこくしゅぎ
imperialism 英語
impérialisme フランス語
Imperialismus ドイツ語

 帝国主義ということばはきわめて多義的に用いられる。広義かつ一般的には、その語源がローマ皇帝の支配する皇帝国家(インペリウムimperium)に由来することからも明らかなように、政治的、経済的、軍事的、さらには文化的な権力・権威をもってする他民族の領土や国家への侵略と支配、を意味する。近代では19世紀初めナポレオンによる皇帝国家実現の企てに関連して用いられ、ついで1870年代後半イギリスの植民地帝国の拡大強化をめぐる論争のなかで、領土膨張主義ないし植民地主義をさす政治上の用語として普及した。しかし、その後、20世紀への転換期を挟んで帝国主義は、近代資本主義の自由競争段階から独占と金融資本が支配的となる独占段階への移行転化を背景に、列強資本主義諸国による世界市場支配と植民地獲得をめぐる経済上の対立と紛争に関連して用いられるのが一般的な傾向となった。

[吉家清次]

 帝国主義の歴史的形成

 最初に近代資本主義体制を確立して以降、世界の工場、世界の商人、世界の銀行家として、その圧倒的な優位性を享受していたイギリスの地位も、19世紀後半になると、まずドイツ、フランス、ついでアメリカの急速な資本主義的発展によって脅かされつつあった。世界は諸資本主義国間の厳しい競争の時代に入ったのである。この厳しい競争の時代を象徴的に示したのが、1873年から実に23年間の長期にわたってヨーロッパを襲った大不況である。この長期不況への対応策として諸国が採用したのが、外に向かっては自国の支配市場領域としての植民地の獲得であり、内部的には独占的企業結合の推進であった。とくに、なお最強国であったイギリスは、世界市場での優位性を背景に次々と植民地・従属国を獲得し、第一次世界大戦前には本国の100倍もの領土の55の植民地を獲得した。もちろん植民地獲得は平和的にのみ行われたわけではなく、1869年のイギリスのスエズ運河の支配をめぐるフランスとの対立やエジプトへの武力侵入、1884年のイギリスによる「帝国連邦同盟」の結成と、続く南アフリカへの侵略、さらには1898年のアメリカ・スペイン戦争、1899年のイギリスによるブーア戦争など、つねに列強間の世界の分割と再分割をめぐる政治的・軍事的対立と闘争を通して進められたのである。そして第一次世界大戦が、イギリスやフランスなど「持てる国々」とドイツ(やがて日本やロシアも加わる)などの「持たざる国々」との間の世界の植民地・従属国の再分割をめぐる帝国主義戦争として勃発(ぼっぱつ)することになる。

 ところで、諸列強の世界支配をめぐる対立激化の根底には、大不況期を背景とする自由競争資本主義の、独占と金融資本が支配する独占資本主義への発展転化がある。不況の長期化が、イギリスの一国資本主義の時代から諸資本主義国による競争的発展に伴う世界市場の生産力過剰化の時代への移行の結果として起こったとするならば、カルテルやトラストといった独占的企業結合が販路を求めての世界市場の分割のための企てとして広がっていく一方で、他方では過剰化した生産と資本の輸出先をめぐる諸列強の世界の再分割のための対立と抗争も激しくなっていく。とりわけこの期の国際経済関係で特徴的となった過剰資本そのものの輸出は、輸出資本の権益の擁護という名目での軍事的侵攻を伴う結果、諸列強による植民地的支配は不可避的な傾向となって広まっていった。こうして時代は、のちに歴史家たちのいう「帝国主義の古典的時代」となったのである。
[吉家清次]


 帝国主義の理論的分析

 ホブソンの理論

 最大の植民地帝国イギリスに生きたJ・A・ホブソンは、経済学の立場から帝国主義の理論的分析を試みた最初の人である。彼は、資本主義の産業不況の原因を富の分配の不平等と富裕階級による過剰投資からくる過少消費に求めたが、その著『帝国主義論』(1902)では、帝国主義の経済的原因を、国内の過剰な商品と資本のための市場を獲得しようとする産業家と金融投資家たちの(武力を伴った)対外政策にあると強調している。彼の帝国主義論は、植民地国家として莫大(ばくだい)な海外投資家階級を擁しているイギリスの現実を踏まえ、イギリス資本主義の寄生的な金利生活者国家への移行を鋭く批判したものであった。同時に彼は、もし所得分配が平等化され、消費が増大すれば、過剰生産と過剰資本したがって帝国主義政策も解消されるはずだと考えた。この理論は、独占資本主義のもとでの帝国主義の不可避性を強調するマルクス主義者たちによって改良主義と厳しく批判されたが、他方、のちにケインズにより、その過少消費説や金利生活者論とともに高く評価された。
[吉家清次]


 ドイツ社会民主党の諸理論

 帝国主義の分析は、ついでドイツ社会民主党に結集するマルクス主義者たちによって試みられた。まず、R・ヒルファーディングは『金融資本論』(1910)を著し、マルクスの『資本論』の理論を資本主義の最新の現実に適用し発展させようとした。彼は、資本主義経済過程に発生する遊休貨幣資本を集中的に動員し、株式会社制度や融資などを通して産業資本に転化している銀行資本を「金融資本」と規定し、この金融資本による産業とカルテルやトラストなどの独占的企業結合体の支配がみられるのが、資本主義の新しい特徴だと指摘した。そして帝国主義とは、高率保護関税、ダンピング、国際カルテル、資本輸出などとともに、金融資本が対外面でとる政策の一環であると説明した。

 同様に社会民主党の理論家K・カウツキーは、第一次世界大戦中に発表した諸論文で、帝国主義を、先進工業国を支配する金融資本による独占利潤の獲得を目ざしての後進的農業地域支配のための政策体系であるとみた。ついで彼は、帝国主義戦争の莫大な負担に気づいた資本家たちが、やがて平和的な世界の分割支配のための協定を結ぶだろうとして、「超帝国主義」論を主張した。

 彼らの理論は、レーニンの『帝国主義論』(後述)によって、独占資本の役割を過小に評価し、帝国主義を単なる政策体系とのみ考える点で誤っていると批判されたが、株式会社論や金融資本概念などは基本的に受け入れられた。

 他方、R・ルクセンブルクは、同じ社会民主党の左派の立場から、『資本蓄積論』(1913)を著し、カウツキーらを批判した。彼女は、資本主義の現実的な資本蓄積の過程が可能となるためには、非資本主義的な地域の搾取と収奪を媒介としなければならないが、このことは、一方で保護関税や軍国主義などの帝国主義的傾向を、他方で非資本主義的領域の絶えざる狭隘(きょうあい)化とを必然的に引き起こすと説く。終局的には資本主義的世界の終焉(しゅうえん)を導くとみる彼女の理論は、帝国主義的対立の厳しさを鋭く指摘するものではあったが、マルクスの再生産=蓄積理論の誤解にたち、帝国主義を資本蓄積という資本主義の一般的性格に解消し、近代帝国主義の本質の解明にはならなかった。しかし、彼女の理論は、近代帝国主義したがって植民地主義の崩壊が進んだ第二次世界大戦後において、A・G・フランクやS・アミンらによる南北問題=発展途上国の自立的経済開発論の立場からの支配‐従属論(新帝国主義論)の先行理論として再評価された。
[吉家清次]

 
 レーニンの理論

 以上のドイツ社会民主党の諸理論を批判的に継承し、マルクス主義の帝国主義分析を集大成したとされるのが、ロシアの革命家レーニンの『資本主義の最高の段階としての帝国主義』(1917。いわゆる『帝国主義論』)である。彼は、帝国主義の基本的特徴を次の5点に求めている。(1)資本主義的市場競争の過程で生産と資本がますます少数の巨大企業に集中し、この高度の集中と集積を基礎にカルテル、シンジケート、トラストといった独占的結合が発展し、自由競争資本主義は独占資本主義に移行した。独占は市場と価格を支配し、独占的高利潤を生み出すと同時に、多様な産業にまたがる大企業を統合する少数の企業結合体(コンビネーション)を形成し、全経済生活で決定的な位置を占めるに至っている。(2)これら独占形成を促すとともに、資金の融資や株式発行さらには役員派遣などを通して巨大産業と巨大銀行との融合・一体化が進み、支配的な資本形態としての金融資本が形成された。金融資本は、生産と資本の支配的部分を占め、独占体の形成を指導し、独占利潤を取得し、経済の全領域にわたる金融寡頭制支配を行っている。(3)金融寡頭制支配は、経済領域にとどまらず、政治の領域にも影響力を及ぼし、同時に国際的にも拡大している。すなわち、独占と金融資本の形成によって生じた過剰資本は、より高い利潤とより有利な投資機会を求めて後進的地域に輸出される。従来の商品輸出と並び、これを越えて独占資本主義の国際経済面の一大特徴となった資本輸出は、排他的で優遇的な取引条件(特恵的な通商条約、鉄道・港湾の排他的占有、有利な条件での証券発行の引受けなど)によって、金融資本の莫大な利潤の主要源泉となっている。(4)こうして世界市場は、国際的な独占体によって分割支配されるに至っている。電気産業や石油産業さらに国際金融資本などにみられる国際カルテル、国際シンジケート、国際トラストなどによる世界の分割協定が、その主要な形態である。(5)そればかりか世界市場の分割は、諸列強国による地球の領土的分割の経済的な基礎となり、植民地支配を発展させた。たとえば1914年では、本国の約100倍の植民地をもつイギリスと、同じく約20倍を支配するフランスを筆頭に、ロシア、ドイツ、アメリカ、日本を加えて六大列強は合計で本国の約4倍の植民地を支配していた。アフリカの90%、南洋諸島のほとんどが列強諸国の植民地となっていた。いまや諸列強の支配領土拡大による権益の強化は、世界の再分割以外によっては不可能となっている。この世界の再分割をめぐる列強国間の抗争こそ、帝国主義の根本であり、帝国主義戦争を不可避としている経済的背景である。この意味で帝国主義は、「資本主義の最高の発展段階」であり、その経済的基礎は独占資本主義である。同時に帝国主義は、国内・国際にまたがっての独占と金融資本による経済的支配と政治的専制のうえに成立している点で、金利生活者的な寄生性と腐朽化が進んだ資本主義の段階をも意味し、歴史的にみて、その進歩的な役割を終えた「死滅しつつある資本主義」とみなければならない。また独占的高利潤は、列強国内の一部の労働者に特権的な地位をもたらす経済的可能性をつくりだし、国際的な労働運動と社会主義運動の(この労働貴族層による)分裂傾向をつくりだす。しかし、帝国主義的な民族抑圧と政治的・経済的支配の強化は、これらの運動を拡大強化しており、その点で帝国主義は「社会主義革命の前夜」となっている。

 以上のレーニンの帝国主義論は、それまでの諸理論を批判的に集大成するとともに、第一次世界大戦の根本を資本主義体制の基本動向から分析し、「戦争から内乱へ、そして革命へ」という彼の社会主義革命の戦略をマルクス主義の立場から理論化しようとしたものであったといえよう。そしてその後、(1)第一次世界大戦の過程でロシアに社会主義革命が成功して以後、世界は資本主義体制と社会主義体制との二大体制に分裂、競合の時代に入ったこと、(2)大戦の結果、敗戦国ドイツのみならず戦勝国イギリス、フランスといったヨーロッパ諸国の地位が経済的にも政治的にも大きく後退し、長期にわたって停滞していったこと、(3)他方、資本主義世界の指導国として目覚ましい発展をみせたアメリカも、1929年の恐慌に始まる長期不況に突入し、この不況を契機に世界は植民地圏を軸とする多極的なブロック経済の時代となっていったこと、(4)ついで第二次帝国主義戦争である第二次世界大戦に突入していったこと、そして、(5)第二次世界大戦後、東欧諸国や中国に人民民主主義革命が起こり、社会主義的世界が拡大したこと、など一連の現実を背景に、「資本主義の全般的危機」論や「国家独占資本主義」論といった新しい諸説に補強されながら、このレーニンの帝国主義論の正当性と権威が一段と高まっていった。
[吉家清次]


 戦後の帝国主義

 しかしながら反面、第二次世界大戦後の世界の政治・経済的諸動向は、このレーニンの理論だけでは十分に説明しえない新しい諸問題をも生み出してきた。すなわち、(1)第二次世界大戦を契機に資本主義列強諸国の植民地・従属国が次々と独立し、植民地主義の崩壊、帝国主義の終焉が、世界史の紛れもない潮流となっていったこと、(2)にもかかわらず、戦後の資本主義経済は、戦後の混乱期を急速に脱し、程度の差はあれ歴史上まれなほどの経済成長の時期となったこと、(3)他方、社会主義世界でも独裁的指導者スターリンの死をきっかけに東西対立緩和の気運が生まれ、資本主義体制との平和共存の方向が打ち出されたこと、(4)しかし、資本主義体制の着実な成長に比べて、社会主義体制の経済的成果はかならずしも良好とはいえず、ソ連対東欧、ソ連対中国という対立と分裂化が進んでいったこと、(5)そして戦後独立を達成した旧植民地・従属国が国連などで多数派となり、国際政治・経済面での発言力と影響力を増大していったこと、など一連の動向は、帝国主義を資本主義の不可避的産物と規定し、社会主義革命と資本主義の「死滅」の必然性を強調したレーニン的理論では説明しきれない動きといえよう。

 戦後の旧植民地の独立は形式的なものであり、実質的には依然として政治的、経済的、軍事的な従属関係にあり、レーニン的な帝国主義の根本は存続しているとする新植民地主義説も、一部に登場した。しかしこの理論では、石油産出諸国による国際石油資本(メジャー)の支配をはねのけての石油値上げの動きや、領土・資源の恒久主権を強めつつある資源ナショナリズムの動きなどを十分に説明しえないであろう。また、戦後の国際経済関係は、中枢的な先進工業諸国と衛星的発展途上諸国との間の不平等な支配‐従属関係にあり、発展途上国の「自立的国民経済の形成」は、この従属の鎖を断ち切ることから始まるとする新帝国主義論も説かれた。確かに、現在目覚ましく成長を遂げつつある新興工業諸国でさえ、莫大な累積対外債務を抱え、経済困難に直面していた。しかし、この対外債務をめぐる貸し手である先進諸国と借り手である新興工業諸国との利害関係は複雑であり、債務国の立場がつねに従属的であるとはかならずしもいえない。少なくとも第二次世界大戦後の「南北問題」の根本は、民族的独立と自立的な経済発展を達成しようとする改革運動にあり、かつての帝国主義的支配とはまったく反対の動きであるとみるべきであろう。

 さらに1950、60年代以降での社会主義体制内部での分裂化傾向と、これを阻止しようとするソ連の東欧圏への政治的・経済的圧力と軍事的介入という問題があり、こうしたソ連の動きをとらえて、中国は、大国主義的で社会帝国主義的行動と厳しく批判した。こうした大国による弱小国への直接・間接の(ときに武力行使を伴った)介入をも帝国主義的行動とみるならば、アメリカのベトナム戦争への介入と同時にソ連のアフガニスタンへの進攻があり、社会経済体制にかかわりなく、政治的、経済的さらに軍事的に有力な大諸国が、その権力を用いて弱小で後進的な国や地域に及ぼす政治的、経済的、軍事的さらには社会的、文化的な多面にわたる支配的影響力の拡大・強化の企てだ、とする新しい帝国主義の特徴づけが可能となるであろう。その意味で、非マルクス経済学の立場から、帝国主義をある歴史的時代に生まれ発展する「時代精神」の現れとみて、その時代精神はむしろ経済社会の変化に取り残された古い勢力によって担われ鼓舞されるとみるJ・シュンペーターの『帝国主義の社会学』(1919)の理論が改めて注目されよう。そこで彼は、当時認められた帝国主義的傾向は、前記のような古い社会勢力に指導された「国家の無際限な拡張という無目的な素質」から生まれた「隔世遺伝的なもの」と分析し、近代資本主義が合理化され発展するにつれて、やがて消滅していく傾向だと結論している。

 1990年前後でのソ連社会主義体制の崩壊とアメリカ一国による政治的、軍事的超大国体制の形成、さらにはEU(ヨーロッパ連合)などの超国家的な地域統合化の動きなどをとらえて、現代経済の国際化・世界化に伴う帝国主義の新しい展開形態、すなわち(米ソ二極体制の第二段階に続く)20世紀帝国主義の第三の発展段階と規定して、レーニン的帝国主義理論の有効性を説くむきもあるが、しかし日米欧先進諸国間に加えて東アジアや中国などの新興工業諸国地域を交えての世界市場での激しい経済競争や旧植民地諸国の経済的自立化と政治的発言力の増大などを考えるならば、こうした説は分析の概念枠の無原則的な拡張であり、説得力をもつものではない。多くの歴史家が指摘するように、帝国主義とは、基本的には19世紀から20世紀の二つの世界戦争に至る近現代史の重要ではあるが一つの側面を特徴づける歴史の現実とみるべきものであろう。
[吉家清次]



   日本における帝国主義

 日本帝国主義の成立の時期については、いくつかの説がある。日本において独占資本主義が確立したのは第一次世界大戦後であり、独占資本主義=帝国主義とみるならば、日本帝国主義の成立は第一次世界大戦後ということになり、そういう説も現に存在する。しかし、日本帝国主義の特徴としてレーニンも指摘した、「軍事力の、あるいは広大な領土の、または他民族、中国その他を略奪する特殊な便宜の独占が、現代の最新の金融資本の独占を、一部は補充し、一部は代位している」という事実に示されているように、独占資本主義の確立以前に帝国主義的他民族支配に乗り出しているという事実があるので、日本帝国主義は、独占資本主義の確立以前に成立したとする諸説が生まれてくる。それらの説も、日清(にっしん)戦争、義和団事件、日露戦争の時期というように分かれている。さらにこのような国内的要因のほかに、19世紀末から20世紀初めにかけて世界史的に帝国主義が成立して、日本の動向が国際的な帝国主義的対立の一環となることで帝国主義的な役割を演じるという事情も、このような説の生まれる根拠になっている。いまのところ学界の多数意見は、この独占資本主義確立以前に日本帝国主義の成立を主張している。

 こうして成立した日本帝国主義の特徴の第一は、「独占資本主義の侵略性は、絶対主義的な軍事的封建的帝国主義の軍事的冒険主義によって倍加されている」(三二年テーゼ)点にある。つまり、経済構造上では独占資本主義によって特徴づけられる近代的資本主義的帝国主義の段階に到達しているにもかかわらず、この基礎構造のうえに、半封建的な絶対主義的天皇制が君臨しており、この天皇制の固有の物質的基礎は半封建的小作制度=寄生地主制にあり、日本帝国主義は、この絶対主義的侵略主義=軍事的封建的帝国主義と近代資本主義的帝国主義との二重の契機をもち、いわば二重の帝国主義として特徴づけられる。この二重の帝国主義の理論に賛成できない論者も、日本帝国主義は軍事的封建的な特徴をもつものとする点では一致している。

 日本帝国主義の特徴の第二は、英・米帝国主義に金融的に従属した帝国主義であるという点にある。1916年(大正5)における外資の総額は約19億円で、国民所得総額の36億円の52%を占め、政治的には独立しているが、金融的に従属した帝国主義の特徴をもっている。この金融的従属から外交的従属のコース=「外務省外交=霞が関(かすみがせき)外交」とよばれるものも生まれ、一方、それに反対する軍部外交=「三宅坂(みやけざか)外交」も生まれる。

 この日本帝国主義は三大基本矛盾をもっていた。第一の基本矛盾は、国内における天皇制・ブルジョアジー・地主と、労働者・農民・都市小市民との矛盾、すなわち国内矛盾である。第二の基本矛盾は、列強帝国主義、ことに米・英帝国主義との矛盾である。第三の基本矛盾は、日本帝国主義と植民地・半植民地の諸民族との矛盾である。1917年ロシア革命が成功して社会主義が出現して以後は、第四の基本矛盾として、日本帝国主義と社会主義との矛盾が加わる。日本帝国主義は、1931年(昭和6)の中国東北=満州侵略以来、1937年の日中戦争を経て太平洋戦争に突入し、1945年8月敗北して、連合国に占領され、その「非軍事化、民主化政策」によって、崩壊させられた。
 [犬丸義一]


 『J・シュンペーター著、都留重人訳『帝国主義と社会階級』(1956・岩波書店)』▽『小山弘健・浅田光輝著『日本帝国主義史』全3巻(1958~60・青木書店)』▽『井汲卓一他編『現代帝国主義講座』(1963・日本評論社)』▽『井上清著『日本帝国主義の形成』(1968・岩波書店)』▽『江口朴郎著『帝国主義の時代』(1969・岩波書店)』▽『J・A・ホブソン著、矢内原忠雄訳『帝国主義論』(岩波文庫)』▽『R・ヒルファディング著、岡崎次郎訳『金融資本論』上下(岩波文庫)』▽『レーニン著、副島種典訳『帝国主義論』(大月書店・国民文庫)』


 ◆百科事典マイペディア 「帝国主義」の意味・わかりやすい解説

  帝国主義 【ていこくしゅぎ】

 軍事力を背景に他国を植民地や従属国に転化する政策。英語ではimperialism。歴史上の膨張主義,征服主義と同義に使うこともあるが,特に19世紀末以来金融独占資本主義段階に至った国家が,商品や資本の輸出を保護するために発展途上諸国を支配しようとした政策をいう。J.A.ホブソンの《帝国主義論》(1902年)やヒルファディングの《金融資本論》(1910年)などの先駆的研究があるが,これらに学びつつレーニンは《帝国主義論》(1917年)においてマルクスの経済理論を発展させ,資本主義が独占資本の段階に入った時にその最高形態としての帝国主義に転化すると規定し,帝国主義の五つの特徴として生産の集中・独占,金融寡頭支配の確立,資本輸出,国際カルテルによる国際市場の分割支配,世界分割の完了をあげている。帝国主義の段階に入って資本主義の基本的矛盾は著しくなり,国内では階級対立が激化し軍事体制が強化され,また帝国主義国と植民地・従属国との対立,先進国と発展途上国の対立,国際市場の争奪戦等が激化した。2度にわたる世界大戦はその必然的結果であった。第2次大戦後,植民地の大部分は独立国となり,世界の構造は大きく変動したが,新たに巨大化した多国籍企業が台頭して発展途上国をはじめ国境を越えた支配網を張りめぐらしており,また先進諸国と新独立国の間に〈新植民地主義〉と称される経済的・政治的な支配・従属関係が形成されている。このような構造を,〈中枢〉が〈周辺部〉の経済的余剰を収奪し,低開発を再生産していると捉える〈従属論〉(A.G.フランク)が提起されている。→近代世界システム/構造的暴力

→関連項目アジア|金融資本|資本主義|太平洋戦争(日本)|ナショナリズム
出典 株式会社平凡社


 レーニン  1. 「さしせまる破局、それとどうたたかうか」
       2. 『帝国主義』




  植民地帝国の形成  小学館より

   世界の植民地支配ってどうして始まったの? きっかけは?
        詳しく知るための本も紹介【親子で歴史を学ぶ】



 金本位制

 金本位制 2022.04.17
 →旺文社日本史事典 三訂版「金本位制」の解説
 →本位貨幣 コトバンク ブリタニカ

 金本位制
きんほんいせい
金を貨幣価値の基準とし,他の貨幣と金との自由な交換(兌換 (だかん) )や,金の自由な輸出入を認める制度
日本では1871(明治4)年の新貨条例で採用したが,貿易決済には銀を用い,国内でも実質的には銀本位制に変わった。のち世界的に金本位制が広まり,日本も日清戦争の賠償金を準備金として,'97年の貨幣法で名実ともに採用した。1917年,第一次世界大戦のため金輸出を禁止,'30年に解禁したが世界恐慌の打撃をうけ,'31年末,犬養毅内閣が再禁止し,金本位制は事実上停止された。
出典 旺文社日本史事典 三訂版

■金本位制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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金本位制(きんほんいせい、英語: gold standard)とは、一国の貨幣価値(交換価値)を金に裏付けられた形で金額を表すものであり、商品の価格も金の価値を標準として表示される。この場合、その国の通貨は一定量の金の重さで表すことができ、これを法定金平価という[注釈 1] 。19世期後半の大不況期に採用が進み、20世紀には国際決済銀行とブレトン・ウッズ体制の礎となった。しかし、1971年の米ドルの金兌換停止以降、先進国のほとんどは管理通貨制度に移行した。

概要
狭義では、その国の貨幣制度の根幹を成す基準を金と定め、その基礎となる貨幣、すなわち本位貨幣を金貨とし、これに自由鋳造[注釈 2]、自由融解を認め、無制限通用力を与えた制度である。これは特に金貨本位制という。つまり、金そのものを貨幣として実際に流通させる事である。実際には、流通に足りる金貨が常備できない、高額になりがちな金貨は持ち運びが不便、使用により磨耗するなどの理由により、金貨を流通させられない場合が多い。そこで、中央銀行が金地金との交換を保証された兌換紙幣(だかんしへい)および、本位金貨に対する補助貨幣を流通させる事により、貨幣価値を金に裏付けさせる事が行われた。これを金地金本位制(きんじがねほんいせい)という。一般には、金貨本位制と金地金本位制を含めて金本位制という。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「本位貨幣」の解説

  本位貨幣

ほんいかへいstandard money
 
 一国の貨幣制度の基本となる貨幣。金本位制国の金貨や銀本位制国の銀貨がその代表的な例。商品の価値尺度および価格の度量基準としての機能をもち,その価値はそれと純分および量目を等しくする貨幣素材の価値に等しい。この本位貨幣は正貨と呼ばれる。金本位制度のなかでも金貨と金地金との自由な交換が行われ,金貨が最も典型的な本位貨幣であるが,金貨が現実には流通しない金地金本位制度や金為替本位制度においても,金が価値尺度および価格基準の機能を果している以上,金貨が本位貨幣であることに変りはない。これら金貨,金地金,金為替は銀行券の兌換の基礎となり,正貨準備と呼ばれる。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

科事典マイペディア「本位貨幣」の解説
本位貨幣【ほんいかへい】

一国における価値尺度および価格の度量標準として法律により認められた貨幣(法貨)で,無制限の強制通用力をもつ。補助貨幣に対する。本位貨幣の価値は本来一定量の金属(金または銀)と関係づけられており,日本でも金貨が発行されていたが,1931年の金本位制停止により発行を止めた。→本位制度
典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて




本位貨幣

 日本大百科全書(ニッポニカ)
「本位貨幣」の意味・わかりやすい解説
本位貨幣
ほんいかへい
standard money 英語
Währungsgeld ドイツ語

 法定された金(銀)純分を含有する鋳貨のこと。おもに近代的な貨幣制度である金本位制のものをさすが、それ以前であっても、価値尺度機能を果たす金属の鋳貨をさしてこのようにいう。特定の金属がすでに価値尺度となっている現実を基礎に、国家は本位standardを制定する。すなわち、特定金属の一定重量をもって価格の単位とし、これに貨幣単位名称を与えるのである。たとえば、日本の貨幣法(1897年制定)では、純金の重量750ミリグラムを価格の単位とし、これを円とよぶよう定めていたので、これに基づいて鋳造される10円金貨は、純金7.5グラムを含有していることになる。このような鋳貨を本位貨幣といい、補助貨幣と区別している。本位貨幣は、その金額に制限なく通用する無制限法貨であり、その品位(他金属との合金の割合)と量目(重量)は法定される。さらに、流通する本位貨幣の金量を維持するために「通用最軽量目」を定め、摩損によってこれを下回るものは引き換えられる。このような本位貨幣の鋳造・発行は、その「自由鋳造」「自由鎔解(ようかい)」(金地金(じがね)の金貨鋳造が求められれば政府はこれに応じること、およびその逆)による金の市場価格と鋳造価格(純金750ミリグラム=1円)との乖離(かいり)防止を通じて、また、金の自由輸出入、中央銀行券の金貨兌換(だかん)によって、価格標準を固定し、為替(かわせ)相場を安定させることとなった。

[齊藤 正]

[参照項目] | 貨幣 | 貨幣法 | 新貨幣法 | 補助貨幣 | 本位制度
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)


ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
「本位貨幣」の意味・わかりやすい解説
本位貨幣ほんいかへい standard money

一国の貨幣制度の基本となる貨幣。金本位制国の金貨や銀本位制国の銀貨がその代表的な例。商品の価値尺度および価格の度量基準としての機能をもち,その価値はそれと純分および量目を等しくする貨幣素材の価値に等しい。この本位貨幣は正貨と呼ばれる。金本位制度のなかでも金貨と金地金との自由な交換が行われ,金貨が最も典型的な本位貨幣であるが,金貨が現実には流通しない金地金本位制度や金為替本位制度においても,金が価値尺度および価格基準の機能を果している以上,金貨が本位貨幣であることに変りはない。これら金貨,金地金,金為替は銀行券の兌換の基礎となり,正貨準備と呼ばれる。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典


 ◆百科事典マイペディア
「本位貨幣」の意味・わかりやすい解説
一国における価値尺度および価格の度量標準として法律により認められた貨幣(法貨)で,無制限の強制通用力をもつ。補助貨幣に対する。本位貨幣の価値は本来一定量の金属(金または銀)と関係づけられており,日本でも金貨が発行されていたが,1931年の金本位制停止により発行を止めた。→本位制度
→関連項目金銀複本位制度|金属本位制度|金本位制度|銀本位制度|新貨条例|正貨|通貨|平価切下げ|法定平価
出典 株式会社平凡社



 管理通貨制度2023.06.12
管理通貨制度


(005-2) 管理通貨制度 managed currency system
 国内通貨の流通量を,正貨(金)準備の増減によって,機械的に増大させたり減少させるのではなく,通貨当局が政策目標に応じて国内の通貨流通量を管理調節しようという制度。1920年代前半にケインズ(J.M.Keynes)によって構想されたが,具体化したのは一般的に1930年代である。今日ではほとんどの国がこれを採用している。

==日本の管理通貨制度==日本銀行のホームページ
 管理通貨制度とは,中央銀行が通貨の供給(流通貨幣量)を政策的に管理する制度である。この制度の政策目標は,物価の安定,通貨の購買力の調節と信用と雇用の安定にあり,またその実現の責務を中央銀行は負っている。日本では,1882年の日本銀行設立後,戦時立法である1942年の日本銀行法によって管理通貨制に移行する。日本銀行は特殊法人(資本金1億円で政府55%,民間45%所有)であるが,「通貨の調節,金融の調整及び信用制度の保持育成」を目的とする中央銀行である。この中央銀行は一般的には次のような3つの機能をもつ。
第1は発券銀行であり,発行権を独占しているが,発券限度は政府決定による。第2は銀行の銀行であり,民間銀行との間で当座預金による取引・貸付け・債券売買・為替取引を行う。第3には政府の銀行であり,政府との間で預金・貸付け・国庫事務・外国為替事務などを行う。金融政策としては,公定歩合操作(手形再割引率),公開市場操作(手形や債権の売買で買オペレーションと売オペレーションで操作),預金準備率操作(支払準備率の変化で信用創造を調整。銀行の規模と種類,預金の種類に応じて1.2%~0.05%の幅)を行っている。

(増田・沢田編著『現代と現代経済学(第2版)』有斐閣,有斐閣ブックス,2007年,38頁)


◆国債本位制2023.06.12

ーウィキペディア
国債本位制(こくさいほんいせい)とは、その国の中央銀行が発行する貨幣が、その国の政府が発行し中央銀行が保有している国債に裏付けられているという貨幣制度である[1]。

国債本位制を成り立たせる条件
その国の中央銀行が発行する貨幣(当座預金、中央銀行券)によって、その国の政府が発行する国債(元本保証と金利保証がある)を購入できるし、その国債をその国の中央銀行が発行する貨幣(当座預金、中央銀行券)に交換することもできるし、その貨幣によって物やサービスをその国において十分に購入できるために必要な、生産と流通と決済の仕組みが維持されている事である。


・『経済学批判』ー『資本論』第1版・第2版 集計 2023.07.10

1> 『経済学批判』
2> 『資本論』ー1
3> 『資本論』ー2
D.『経済学批判』
D.『資本論』ー1
D.『資本論』ー2


1>『経済学批判』
  B5-『経済学批判』2023.07.01  
2>『資本論』-1
  B5-『資本論』第1版2023.07.01
3>『資本論』ー2
  B5-『資本論』第2版第1章第1-4節2023.07.01