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『経済学批判』第1章 論点検索 071-01

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文献資料 『経済学批判』  A 商品分析の歴史


マルクス・エンゲルス選集第7巻 『経済学批判』
 向坂逸郎訳 新潮社 1959年発行

 『経済学批判』 第1冊 資本について
  第1編 資本一般

http://marx2019.com/mx005_keizaigaku_hihan-1s.html

 
  *『資本論』の関連箇所
  1. 〔 商品に表わされた労働の二重性  『資本論』第1章第2節(注12)より 〕
           ー*13~19段落などー

『経済学批判』 第1冊 資本について
  第1編 資本一般 第1章 商品

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 1. 商品ー富の成素的存在 elementarisches Dasein
 2.使用価値の規定ー商品の固有性(Dasein)として
 3.経済上の形態規定 Formbestimmung (社会的生産関係)
   ――*経済学の考察範囲にある使用価値とは
   一定の経済的関係である交換価値が、素材的土台として表れるー
 4.交換価値は使用価値の量的関係として表れる
 5.この比率においては、これらの使用価値は、同じ交換の大いさである。
 6.交換価値に表わされたすべての商品を考察する
  対象化された労働ー社会的労働の物質化ー結晶化としての同じ単位(構成単位)
 7.社会的労働の物質化としての労働
   交換価値を生む労働は、使用価値の特別な素材とは何の関係もない
 8. 1.交換価値を生む労働は、使用価値の特別な素材besondern Stoffと関係もない
   2.労働の特別の形態〔besondere Form :特別の形式〕に無関係
   3.交換価値は、同一無差別の労働、すなわち、労働する者の個性が消失した労働
   4.したがって、交換価値を生む労働は、抽象的で一般的/普遍的な労働
 9.編集部注:*特別の形態:*besondere Form :特別・特殊の形式
   ヘーゲル『小論理学』の「普遍」に対応する「特殊」besondere Form
   『小論理学』概念論 §163 を参照
 10. 1. この量的な相違は、これらのものが交換価値として示す 唯一の相違
    2. 労働の量的な正体 (Dasein: 現存在) は労働時間 Arbeitszeit
 11. 1. 労働時間は、労働の生きた正体ー生命力のある実在
     2. 労働時間は、同時に内在的な基準
      〔immanenten Maße:内在の、固有の尺度・比例〕をもった、
    3. 労働の量としての生きた正体( lebendige Dasein : 生命力のある実在)
 12. 4. 商品の使用価値に対象化されている労働時間は、その使用価値を交換価値とし、
    5. 商品とする実体, 同時にその価値の大いさを測る
    6. 同一労働時間が対象化されているちがった使用価値の相関的な量が
    等価〔Äquivalente:等価物〕である
    7. すべての商品は、交換価値としては、膠結した労働時間( festgeronnener Arbeitszeit :下記の注参照)の一定の量である
 13.〔編集部注:なお『資本論』で、以下のようにマルクス自身当該箇所を引用している。
   bestimmte Maße festgeronnener Arbeitszeit 〕
  なお、「festgeronnener」の向坂逸郎訳は、3つに換えられている。
  ①『経済学批判』     膠結した労働時間(新潮社版p.60)
  ②『資本論』第2版第1章 凝結せる労働時間(岩波文庫(一)p.75)
  ③『資本論』第2版第5章 凝固した労働時間(岩波文庫(二)p.29)

  1.『資本論』第2版第1章第1節の引用(岩波文庫(一)p.75)
   「価値としては、すべての商品は、ただ凝結せる労働時間の一定量であるにすぎない。」
   "Als Werte sind alle Waren nur bestimmte Maße festgeronnener Arbeitszeit."

  2.『資本論』第2版第5章第2節価値増殖過程(岩波文庫(二)p.28)
   「いまや特定量の、経験的に確定された定量の生産物が表示するものは、特定量の労働にほかならない。すなわち、特定量の凝固した労働時間にほなならない。」
    " bestimmte Masse festgeronnener Arbeitszeit."

  3.参照データ ファイル
  ①「Gallert:『資本論』の 膠状物(Gallert・凝結物)とゲル化」
    https://marx2016.com/bs_gallert_saibou-riron2019-10.html
  ②「商品価値と労働価値―労働膠状物 Arbeitsgallert」
    http://www.marx2016.com/nyumon4gatu2_02.html
  ③「第2部『資本論』の膠状物・凝結物Gallertについて」
    http://www.marx2016.com/sn_gallert_01_2016-4.html
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 14.交換価値の労働時間による規定
 15. 1.社会の各平均的な個人が行いうる平均労働
    2.交換価値としては、平均労働の生産物に等価〔Äquivalent:等価物〕をなし
    3.一般的な生産諸条件で同一商品を新たにもう一つ生産するために必要な労働時間
 16.〔*編集部注:等一性〔*Gleichheit:同等、相等性〕〕
   ヘーゲル『小論理学』§118:「Gleichheit・相等性は、同じでないもの、
              互いに同一でないものの同一性」と関連する。〕
    ・・・・・・・・  ・・・・・・・・・  ・・・・・・・・・・・・
 17.個人の労働時間が、直接に一般的労働時間
     allgemeine Arbeitszeit:普遍的な労働時間 として現われる
 18. 交換価値は、使用価値の社会的な性質規定性として
    これらの物としての使用価値に与えられる規定性として表われる
 19. ◆メンデレーエフ・元素の周期律・表の成立への道すじー系列の形成
 20.素材的富の源泉の具体的な労働ー使用価値を生む労働について論じている
 21.使用価値の労働ー人間と自然との間の物質代謝の条件
 22.交換価値の労働ー労働の特殊的に社会的な形態Form/形式
 23.労働時間の大いさ、その交換価値は、労働の生産力の増減に逆比例して増減する
 24. ◆方程式の総計を、その商品の交換価値を一の系列の形で表わす
 25. 1.すべての商品は、対象化された一般的労働時間の一定量として、その交換価値を、他のすべての商品の使用価値の一定の分量で、順次に表現する。
   2.他のすべての商品の交換価値は、逆にもっぱらこの一つの商品の使用価値で測られる。
 26.  例えば、コーヒーの価値が表わされる方程式の系列 Die Reihe von Gleichungen
一般的社会的労働時間の対象化としての一商品の交換価値に対して、無限に多様な使用価値におけるその商品の 等価性 Äquivalenz の表現が相応じている

  ..............  .................... ...................
 <si071-1.2>
26.
27.

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      ◆検索キーワード
  ■si071-1
成素的自然 固有性Dasein 形態規定 量的な比率

 ■si071-1.2
成素的自然 固有性Dasein 形態規定 量的な比率

『経済学批判』第1章 論点検索 071-1 →> 071-1.2


 第1章 商品

  〔1 商品ー富の成素的存在 elementarisches Dasein 〕

1. 市民(ブルジョワ)社会の富は、一見して、巨大な商品集積であり、個々の商品はこの富の成素的存在 elementarisches Dasein であることを示している。しかして、商品は、おのおの、使用価値と交換価値という二重の観点で現われる。

 2  使用価値の規定ー商品の固有性(Dasein)として

2. 商品は、イギリスの経済学者達の言葉でいえば、まず第一に「人生にとって必要であり、有用であるか、あるいは快適であるなんらかの物」、すなわち人間の欲望の対象、最広義においていう生活手段である。使用価値であるという商品の固有性(Dasein)とその手でつかみうる自然的な存在とは一致する。例えば、小麦は、綿花、硝子、紙等等の使用価値と区別された一つの特別な使用価値 besonderer Gebrauchswert である。使用価値は、使用するための価値にすぎないのであって、消費の過程で初めて実現される。同一の使用価値は、いろいろに利用されうる。だが、その可能な利用の総体は、特定の属性をもった物であるという使用価値の固有性のうちに綜合されている。さらに、使用価値は、ただ質的に規定されるだけでなく、量的にも規定される。それぞれの使用価値は、その自然的な固有の性質にしたがって、それぞれの量目をもっている。例えば、1シェッフェルの小麦、一帖の紙、1エルレの亜麻布等々というようなものである。


 3  経済上の形態規定 Formbestimmung (社会的生産関係)
   ――
経済学の考察範囲にある使用価値とは
   一定の経済的関係である交換価値が、素材的土台として表れるー〕

3. 使用価値は、富の社会的形態/形式die gesellschaftliche Form des Reichtums がどうあったにしても、つねにこの形態にとってはまず第一には無関係といってよい内容Inhaltを成している。小麦について、誰がこれを栽培したか、ロシアの農奴だったのか、フランスの零細農民だったのか、それともイギリスの資本家だったのか、ということを味い分けることはできない。使用価値は、社会的欲望の対象であり、したがってまた社会的連関をもってはいるが、すこしも社会的生産関係を言い表わしてはいない。この商品は、使用価値としては、例えばダイヤモンドである。ダイヤモンドについて、それが商品であることを認知しようとしてもできない。ダイヤモンドが使用価値として、美的にまたは機械的に、娼婦の胸にまたはガラス磨りの手に、用いられるところでは、それはダイヤモンドであって商品ではない。使用価値であるということは、商品にとって必要な前提であるように見えるが、商品であるということは、使用価値にとってはどうでもよい規定であるように見える。経済上の形態(形式)規定Formbestimmungに対してこのようにどうでもよい使用価値、すなわち使用価値としての使用価値は、経済学の考察範囲の外にある。その範囲にはいるのは、ただ使用価値自身が形態(形式)規定 Formbestimmungを持っている場合のみである。直接的には、使用価値は、特定の経済関係富の社会的形態/形式、すなわち交換価値が表われる素材的な基礎die stoffliche Basis〔基盤:物事を成立させるための基礎となるものである

 〔経済学の考察範囲にある使用価値とは、一定の経済的関係である交換価値が、素材的土台として表れる場合である。〕



  〔4  交換価値は使用価値の量的関係として表れる 〕

4.
 交換価値は、まず第一に、使用価値が相互に交換される量的な比率〔量的な比例関係〕であることを示している〔Tauschwert erscheint zunächst als quantitatives Verhältnis,:量的な比例関係として表れるーヘーゲル論理学〕。

 〔5
 この比率においては、これらの使用価値は、同じ交換の大いさである
〔 In solchem Verhältnis この比例関係においては、bilden sie dieselbe Tauschgröße. これらの使用価値は、同じ交換の大いさを構成する。〕

 それで、プロペルシウス詩集1巻と8オンスの嗅ぎ煙草とは、煙草と悲情の詩という異なった使用価値にもかかわらず、同一の〔量的比例関係として表れる〕交換価値であってよいわけである。交換価値としては、一つの使用価値は、他の使用価値に対して、もし両者が正しい割合にありさえすれば、ちょうど同じ値〔grade so viel wert wie der andere :(数値: 計算や、計量・計測をして得られた数・大いさ(値))〕である。大邸宅一つの交換価値は、靴墨罐の一定数で表わすことができる。ロンドンの靴墨製造業者は、逆に彼らの莫大な靴墨罐の交換価値を、大邸宅で表わした。したがって、それらのものの自然的な存在様式〔 Existenzweise:存在の仕方 〕とは全く無関係に、またそれらのものを使用価値たらしめる欲望の特殊な性質をば少しも顧慮する所なく、商品は、一定の分量で等置され、交換されてお互を置き換え、等価物〔Äquivalente:同等のものとして通用し、このようにしてその雑多な外観にもかかわらず、同一の等一物〔dieselbe Einheit :同じ(構成)単位〕であることを示す。


 〔6  交換価値に表わされたすべての商品を考察するー
  対象化された労働ー社会的労働の物質化ー結晶化としての同じ単位(構成単位)

5.  使用価値は、直接には生活手段である。しかし、逆に、これらの生活手段そのものは、社会的生活の生産物、すなわち、支出された人間の生命力の成果であり、対象化された労働〔vergegenständlichte Arbeit〕である。社会的労働の物質化〔Materiatur der gesellschaftlichen Arbeit〕として、すべての商品は同じ等一物の結晶である〔alle Waren Kristallisationen derselben Einheit.:すべての商品は結晶化の同じ(構成)単位のものEinheit〕。この等一物Einheit/構成単位、すなわち、交換価値に表わされている労働の一定のbestimmte性格、これをいま考察しようというのである。
〔 Der bestimmte Charakter dieser Einheit, d.h. der Arbeit, die sich im Tauschwert darstellt, ist nun zu betrachten.:
この(同じ)構成単位の一定の(bestimmte:特定の)性格、すなわち労働の、交換価値に表わされた ー、これをいまや考察する〕




 〔7 社会的労働の物質化としての労働ー
 〔交換価値を生む労働は、使用価値の特別な素材とは何の関係もない

6.  1オンスの金、1トンの鉄、1クォーターの小麦及び20エルレの絹が、大いさを等しくする交換価値であるとしよう。これらの使用価値は、その質的相違が消えているこのような等価物〔Äquivalente:同等のものとしては、同一労働の等しい量を表わしている。これらのものに均等に対象化されている労働は、それ自身一様で、無差別の単純な労働でなければならない〔・・・労働は構成単位として同等のもの〕。この労働にとっては、それが金、鉄、小麦、絹のいずれに現われるかは全くどうでもいいことであって、それはちょうど酸素が、鉄のさび、大気、葡萄の果汁、または人間の血液のいずれに現われようと同じことであるようなものである。

 〔8
  1.交換価値を生む労働は、使用価値の特別な素材besondern Stoffと関係もない
  2.労働の特別の形態〔besondere Form :特別の形式〕に無関係
  3.交換価値は、同一無差別の労働、すなわち、
労働する者の個性が消失した労働
  4.
したがって、交換価値を生む労働は、抽象的で一般的/普遍的な労働 〕

 金を採掘し、鉄を鉱山から搬出し、小麦を栽培し、絹を織るということは、質的にはお互にちがった労働の種類である。実際上、物的に使用価値の相違となっているものは、過程的には、使用価値をつくり出している活動の相違として現われる。したがって、交換価値を生む労働は、使用価値の特別な素材besondern Stoffとは何の関係もない〔gleichgültig:どうでもよい〕労働であるから、労働そのものの*特別の形態〔*besondere Form :特別・特殊の形式〕に対しても無関係で〔gleichgültig:どうでもよい〕ある。さらに、それぞれちがった使用価値は、それぞれちがった個人の活動の生産物である。したがって、個性的にちがった労働の結末である。しかし、これらの労働は、交換価値としては、同一無差別の労働を、すなわち、労働する者の個性が消失した労働を表わしているしたがって、交換価値を生む労働は、抽象的で一般的な労働である。
 〔Als Tauschwerte stellen sie aber gleiche, unterschiedslose Arbeit dar, d.h. Arbeit, worin die Individualität der Arbeitenden ausgelöscht ist. Tauschwert setzende Arbeit ist daher abstrakt allgemeine Arbeit.〕

 〔9 編集部注:*特別の形態:*besondere Form :特別・特殊の形式
  ヘーゲル『小論理学』の「普遍」に対応する「特殊」besondere Form
  『小論理学』概念論 §163 を参照



 〔10
  1. この量的な相違は、これらのものが交換価値として示す 唯一の相違
  2. 労働の量的な正体 (Dasein: 現存在) は労働時間 Arbeitszeit


7.  オンスの金、1トンの鉄、1クォーターの小麦及び20エルレの絹が、同じ大いさの交換価値または等価であるとすれば、1オンスの金、2分の1トンの鉄、3ブシェルの小麦及び5エルレの絹は、全くちがった大いさの交換価値である。そしてこの量的な相違ということは、これらのものがそもそも交換価値として示すことのできる唯一の相違〔同じ構成単位のこと〕である

これらのものは、ちがった大いさの交換価値としては、交換価値の実体 Substanz をなしているかの単純な、一様の、抽象的で一般的な労働の大小、すなわち、その量が大きいか小さいかを示している。これらの定量をどうして測るかが問題となる。あるいはむしろかの労働そのものの量的な正体(quantitative Dasein:量的な ダーザイン)はどういうものであるかが問題となる。というのは、商品の交換価値としての大いさの相違は、ただこれらの商品に対象化されている労働の大いさの相違にすぎないからである。運動の量的な正体(Dasein)が時間であるように、労働の量的な正体(Dasein : 現存在 ) は労働時間 Arbeitszeit である。


  〔11
    1. 労働時間は、労働の生きた正体ー生命力のある実在
    2. 労働時間は、同時に内在的な基準
      〔immanenten Maße:内在の、固有の尺度・比例〕
をもった、
    3.
労働の量としての生きた正体( lebendige Dasein : 生命力のある実在)

 労働そのものの継続のちがいが、労働の質を与えられたものと前提すれば、可能な唯一の相違である。労働は、労働時間としては、自然的な時間標準である。時、日、週等々というように分けて、その尺度標準をつくっている。労働時間は、労働の生きた正体( lebendige Dasein : 生命力のある実在)であって、その形態、その内容、その個性には無関係でgleichgültigある。それは、同時に内在的な基準〔immanenten Maße:内在の、固有の尺度・比例〕をもった、労働の量としての生きた正体(Dasein)である


 〔12
  4. 商品の使用価値に対象化されている労働時間は、その使用価値を交換価値とし、
  5. 商品とする実体, 同時にその価値の大いさを測る
  6. 同一労働時間が対象化されているちがった使用価値の相関的な量が
    等価〔Äquivalente:等価物〕
である
  7. すべての商品は、交換価値としては、膠結した労働時間( festgeronnener      Arbeitszeit :下記の注参照)の一定の量である〕

 同時にその商品の使用価値に対象化されている労働時間は、これらの使用価値を交換価値とし、したがって商品とする実体であると同時に、またそれらのものの定められた価値の大いさを測るものでもある。同一労働時間が対象化されているちがった使用価値の相関的な量が等価〔Äquivalente:等価物〕である。あるいはすべての使用価値は、同一の労働時間がついやされ、対象化されている割合に応じて等価〔Äquivalente:等価物〕である。

 交換価値としては、すべての商品は、膠結した労働時間festgeronnener Arbeitszeit )の一定の量〔bestimmte Maße:特定の確定した量・容量〕であるにすぎない。

 〔13
  編集部注:なお『資本論』で、以下のようにマルクス自身当該箇所を引用している。
   
bestimmte Maße festgeronnener Arbeitszeit 〕
  なお、「festgeronnener」の向坂逸郎訳は、3つに換えられている。
  ①『経済学批判』     膠結した労働時間(新潮社版p.60)
  ②『資本論』第2版第1章 凝結せる労働時間(岩波文庫(一)p.75)
  ③『資本論』第2版第5章 凝固した労働時間(岩波文庫(二)p.29)

 1.『資本論』第2版第1章第1節の引用(岩波文庫(一)p.75)
「価値としては、すべての商品は、ただ凝結せる労働時間の一定量であるにすぎない。」
"Als Werte sind alle Waren nur bestimmte Maße festgeronnener Arbeitszeit."

 2.『資本論』第2版第5章第2節価値増殖過程(岩波文庫(二)p.28)
「いまや特定量の、経験的に確定された定量の生産物が表示するものは、特定量の労働にほかならない。すなわち、特定量の凝固した労働時間にほなならない。」
  " bestimmte Masse festgeronnener Arbeitszeit."

 3.参照データ ファイル
 ①「Gallert:『資本論』の 膠状物(Gallert・凝結物)とゲル化
   https://marx2016.com/bs_gallert_saibou-riron2019-10.html
 ②「商品価値と労働価値―労働膠状物 Arbeitsgallert
   http://www.marx2016.com/nyumon4gatu2_02.html
 ③「第2部『資本論』の膠状物・凝結物Gallertについて
   http://www.marx2016.com/sn_gallert_01_2016-4.html



  〔14  交換価値の労働時間による規定

8. 交換価値の労働時間による規定を理解するためには、次の主要な観点をしっかり理解しておかねばならない。すなわち、
 〔①〕労働を単純な、いわば質の差のない労働に整約すること。
 〔②〕交換価値を生む、したがって商品を生産する労働を、社会的労働となしている特殊な仕方。最後に、
 〔③〕使用価値という結果を生む労働と、交換価値という結果を生む労働との相違。
 商品の交換価値を商品に含まれている労働時間で測るためには、さまざまな労働自身が、無差別の、一様な、単純な労働に、簡単にいえば、質的に同一であり、したがってただ量的にのみ区別される労働に整約されていなければならない。


 〔15
  1.社会の各平均的な個人が行いうる平均労働
  2.交換価値としては、平均労働の生産物に等価〔Äquivalent:等価物〕をなし
  3.一般的な生産諸条件で同一商品を新たにもう一つ生産するために必要な労働時間〕

9.  この整約〔Reduktion:還元〕は抽象として現われる。しかし、それは、社会的生産過程において毎日行われている抽象である。すべての商品を労働時間に分解することは、決して、一切の有機体をガス体に分解する以上に進んだ抽象ではないが、しかし同時に、それ以下に現実性の希薄な抽象でもない。このように時間によって測られる労働は、実際には様々な主体の労働として現われるのではなく、むしろ労働する様々な個人が、同じ労働の単なる器官として現われる

 あるいは、交換価値に表われる労働は、一般に人間的な労働という言葉で表わされえよう。この一般的に人間的な労働の抽象は、一定の与えられた社会の各平均的な個人が行いうる平均労働として存在している。すなわち、人間の筋肉、神経、脳髄等々の一定の生産的な支出である。それは、単純労働であって、すべての平均的な個人はこれをなすことが出来るようになっており、また彼は、どんな形態かでこれを行うにちがいない。この平均労働の性質Charakterは、それ自身国の異なるにしたがい、また文化時代の異なることによって、ちがっている。しかし、一定の与えられた社会では与えられたものとして現われる。単純労働は、いろいろな統計から人のよく知ることができるように、市民(ブルジョア)社会のすべての労働の圧倒的多数をしめている。Aが6時間の間に鉄を、また6時間の間に亜麻布を生産し、Bが同じく6時間の間に鉄を、6時間の間に亜麻布を生産するかどうか、あるいは、Aが12時間の間に鉄を、またBが12時間の間に亜麻布を生産するかどうかは、明らかに、同一労働時間を単にちがって用いているということにすぎない。しかしながら、より高度の活動性、より大きな特殊の重要さをもつ労働として、平均水準をぬいている複雑労働はどうなるのか?この種の労働は、複合された単純な労働に分解される。すなわち、倍加された単純労働に分解し、したがって、例えば、1複雑労働日は3単純労働日に等しいというようになる。この整約を規整する法則はまだここでの問題ではない。しかし、この整約が行われるということは、明瞭である。何故かというに、複雑労働の生産物は、交換価値としては、一定の割合で単純なる平均労働の生産物に対して等価〔Äquivalent:等価物〕をなし、したがって、この単純労働の一定量に等しいとおかれているからである。

10.  労働時間による交換価値の規定は、更に次のことを含んでいる。すなわち、一定の商品、例えば、1トンの鉄には、それがAの労働であるかBの労働であるかにかかわりなく、同量の労働が対象化されている、あるいはちがった個人が、質的にも量的にも一定した同一使用価値の生産のために、同じ大いさの労働時間を用いている、ということである。他の言葉でいえば、一つ商品の中に含まれている労働時間は、その生産のために必要な労働時間であるということ、すなわち、与えられた一般的な生産諸条件のもとで同一商品を新たにもう一つ生産するために必要な労働時間である、ということが含まれている。



  
11.  交換価値の分析から生ずるこの価値を生む労働の諸条件は、労働の社会的規定である、あるいは、社会的な労働規定である。しかし、社会的といっても一般的にただ社会的であるというのではなく、特殊な様式をもつ社会的という意味である。それは、社会性の特殊な種である。まず第一に、労働の無差別な単純さということは、ちがった個人の労働が等一であるということを意味するのであって、つまり彼等の労働が等一なるものとして相互に関係することである。そしてしかもそれは一切の労働が同一種の労働に事実上整約されることによるのである。各個人の労働は、それが交換価値に表われる限りにおいて、等一性〔*Gleichheit:同等、相等性〕というこの社会的性格をもつのである。そしてこの労働は、それがすべての他の個人の労働に対して等一なるものとして相関係するかぎりでのみ、交換価値に表われるのである。


  〔16 *編集部注:等一性〔*Gleichheit:同等、相等性〕
   ヘーゲル『小論理学』§118:「Gleichheit・相等性は、同じでないもの、互いに   同一でないものの同一性」と関連する。〕
  ・・・・・・・・・  ・・・・・・・・・・  ・・・・・・・・


 〔17  個人の労働時間が、直接に一般的労働時間
   allgemeine Arbeitszeit:普遍的な労働時間 として現われ
る 〕

12. さらに、交換価値においては、個々の個人の労働時間が、直接に一般的/普遍的労働時間として現われる。そして個別的な労働のこの一般的/普遍的性格が、その労働の社会的性格として現われる。交換価値に表われる労働時間は、個々の人の労働時間である。個々の個人の労働時間ではあるが、他の個々の個人から、区別されない個々人の、すなわち同一労働を支出する限りでのあらゆる個々の個人の労働時間である。したがって、ある人にとって、一定の商品の生産に必要とされる労働時間は、同時に他の人もみな同一商品の生産に用うる必要労働時間なのである。この労働時間は個々の個人の労働時間である。すなわち、すべての人に共通の労働時間であるかぎりにおいてのみ、彼の労働時間である。したがって、この労働時間にとっては、個々の誰の労働時間であるかは、どうでもよいことである。この労働時間は、一般的労働時間として、一般的生産物に、すなわち一般的/普遍的等価(等価物) allgemeinen Äquivalent に、すなわち、対象化された労働時間の一定量に表わされる。それは、直接にある人の生産物として現われる使用価値の特定の形態には、まったく無関係なものであって、他のいずれかの他の人の生産物として表わされる使用価値のあらゆる他の形態に、いかようでも転化するものである。それが社会的な大いさであるのは、ただこのような一般的な大いさとしてのみである。交換価値という結果として表われるためには、個々人の労働は、一般的な等価とならざるをえない。すなわち、個々の人の労働時間を一般的な労働時間として表わし、または一般的な労働時間を個々人のそれとして表わすようにならざるをえない。それは、ちょうどさまざまな個人が彼等の労働時間を一緒にして、彼等の共有の労働時間をつくって、そのうちからそれぞれちがった分量を、おのおのちがった使用価値で表わしたようなものである。

 こうして、個々の人の労働時間は、実際には、社会が一定の使用価値をつくるために、すなわち、一定の欲望を充すために必要とする労働時間である。しかしながら、ここで問題であるのは、労働が社会的な性格をうけとるその特殊な形態だけである。紡績工の一定の労働時間は、例えば、100ポンドの亜麻糸に対象化される。職工の生産物である100エルレの亜麻布が、同一分量の労働時間を表わしているとする。この二つの生産物が一般的労働時間の同一量を示しており、したがって同一の大いさの労働時間を含むあらゆる使用価値に対して等価であるかぎり、それらの生産物はおたがいに等価となっている。ただ、この場合、紡績工の労働時間と職工の労働時間とが一般的/普遍的労働時間として、したがって彼等の生産物が一般的等価として表われることによってのみ、職工の労働は紡績工のための、紡績工の労働は職工のための、一方の労働が他の者のための労働になることになる。すなわち、彼等の労働がそれぞれのための社会的な固有性 gesellschaftliche Dasein をもつことになる

 これに反して、紡績工と職工とが同一屋根の下に住んでいて、例えばその家族の自家用に、女性たちが紡ぎ、男性の側が織ったというような農村的=家父長的工業では、その家族の限界内で、糸と亜麻布とは社会的な生産物であり、紡績と職布とは社会的労働であった。しかし、その社会的な性格は、糸が一般的な等価として、同じく一般的な等価としての亜麻布に対して交換される、すなわち、両者が同一なる一般的労働時間の無差別で異なる所のない表現として、お互いに交換される、ということにあるのではなかった。むしろ、自然発生的な分業をもつ家族結合が、労働の生産物にその独特の社会的刻印を押しつけた。あるいは、中世の役務や実物給付をとって見よう。自然形態をとる個々の人の一定の労働、すなわちその特殊性が、ここでは社会的紐帯をなしていたのであって、労働の一般性ではなかった。あるいは、最後にわれわれがすべての文化民族の歴史の入口の辺りで見る自然発生的な形態の共同労働をとって見よう。ここでは、労働の社会的性格は、明らかに、個々人の労働が一般性の抽象的形態をとり、またはその生産物が一般的等価の形態をとるということによって媒介されているのではない。個々人の労働が私的労働であり、その生産物が私的生産物であることを妨げており、個々の労働をむしろ直接に社会的有機体の成員の機能として現われさせるのは、この生産の前提となっている共同体である。交換価値に表われる労働の前提となっているのは、個別的な個人の労働である。

 この労働が社会的となるのは、その直接的な反対物の形態/形式Form、すなわち抽象的一般性の形態/形式 die Form der abstrakten Allgemeinheit をとることによってである。




 〔18  交換価値は、使用価値の社会的な性質規定性として、
  これらの物としての使用価値に与えられる規定性として表われる



*13.  最後に、人間の社会的関係が、いわば逆さに、すなわち、物の社会的関係として、表われるというのが交換価値を生む労働の特徴となるのである。一の使用価値が他のそれに対して交換価値として関係するかぎりにおいてのみ、それぞれちがった人間の労働がたがいに、等一な一般的な労働としてあい関係する。したがって、もし交換価値は人間の間の関係である、ということが正しいとすれば、これに対して、物的な外被におおわれた関係であるということが付け加えられなければならない。


  〔19 メンデレーエフ・元素の周期律・表の成立への道すじー系列の形成

 1ポンドの鉄と1ポンドの金とが、物理学的に化学的にちがった性質であるにもかかわらず、同一量の重さを表わすように、同一労働時間を含む商品の二つの使用価値は、同一の交換価値を表わしている。かくて、交換価値は、使用価値の社会的な性質規定性gesellschaftliche Naturbestimmtheit として、すなわち、これらの物としての使用価値に与えられる規定性として表われる。そしてこの性質規定のために、これらの使用価値は交換過程で、ちょうど単純な化学的元素〔chemische Stoffe:化学物質〕が一定の量的比率で化合し、化学的等価〔chemische Äquivalente:化学当量〕をなしているように、一定の量的比率で置き換えられ、等価/等価物をなしている

 社会的生産関係が対象の形態をとり、その結果人間の関係がその労働において、むしろ物相互の間及び物と人間との間にとる関係として表わされるということは、日常の生活習慣にすぎないものであって、それは少しもめずらしくない自明のこととして表われる。商品ではこの神秘化はまだ極めて単純である。ここでは商品の交換価値としての関係は、むしろ人間の相互的な生産活動に対する関係であるということが、多かれ少なかれ、まだすべての人々の目に浮ぶ。もっと高い生産諸関係では、この単純さの外観は消えてしまう。重金主義の一切の幻想は、貨幣について、それが社会的生産関係を、しかも一定の性質を持つ自然物の形態で、表わしているということを、看取していないことから生れている。重金主義の幻想を嘲笑する近代経済学者にあっても、彼等がより高度の経済学的諸範疇、例えば資本を取扱うことになると、同じような幻想があらわれてくる。彼等が同じように不器用に物としてちゃんとつかんでいると考えたものが、とたんに社会関係として表われ、また彼等が社会関係として固定させたものが、すぐにまた物として彼等をなぶることになると、幻想は、彼らの無邪気な驚きの告白の中にどっと表われてくる。


 〔20 素材的富の源泉の具体的な労働ー使用価値を生む労働について論じている〕

14.  商品の交換価値が事実上、個々の人々のおたがいの間の等一にして一般的なものとしてals gleiche und allgemeine の労働の関係に外ならず、労働の特殊的に社会的な形態/形式の対象的な表現に外ならないのを見れば、労働が交換価値の唯一の源泉であり、したがって、交換価値からなる限り、富の唯一の源泉である、というようなことをいうのは、無意味である。同じように、自然素材は、少しの労働も含んでいないから、そのものとしては何らの交換価値をもたない、また交換価値は、そのものとしては何等の自然素材を含んでいない、というようなことを教えるのも、無意味なのである。しかし、ウィリアム・ペティが「労働は富の父であり、土地はその母である」といい、またはバークリ僧正が、「四大(地水火風)とその中における人間の労働が富の真の源泉であるのではないか」と問い、あるいはアメリカ人のTh・クーパーは通俗の言葉で「一かたまりのパンからこれに用いられた労働、すなわち、パン焼工、製粉工、小作人等々の労働をとり去って見よ。そこに一体何が残るか?残るのは野生で人間に少しも役に立たぬ若干の穀粒である」ことを明言したのであるが、これらのすべての考え方は、交換価値の源泉である抽象的労働については少しも論じなくて、素材的富の源泉としての具体的な労働について、簡単に言えば、使用価値を生むかぎりにおいての労働について論じているのである。商品の使用価値が前提されると、このために費消された労働の特別な有用性、特定の合目的性が前提されることになる。しかし、それと同時に、商品の立場からいえば、有用労働としての労働についての一切の考慮はつくされている。使用価値としてのパンについてわれわれの関心をひくのは、食糧品としての性質であって、決して小作人や製粉工やパン焼工等の労働なのではない。何かの発明によって、この労働の20分の19がしなくてすむようになったとしても、一塊のパンは、以前と同じような働きをするだろう。もし出来上ったパンが天から落ちてきたとしても、その使用価値が、ほんの少しでもなくなると言うようなことはない。一方交換価値を生む労働が、一般的等価として諸商品が等しいということに実現されているとすれば、合目的的な生産的活動としての労働は、その使用価値の無限の多様性のうちに実現されている。交換価値を生む労働が、抽象的で一般的なそして等一の労働 gleiche Arbeit であるとすれば、使用価値を生む労働は、具体的で、特殊な労働であって、この労働は形態Form/形式と素材Stoff にしたがって無限に違った労働様式に分れる。

   〔21 使用価値の労働ー人間と自然との間の物質代謝の条件〕

15.  使用価値を生むかぎりの労働について、これが、つくり出した富、すなわち素材的富の唯一の源泉である、というのは間違っている。労働は、いかなる目的かのために素材的なものを獲得する活動であるのだから、前提として素材を必要とする。使用価値の異なるにしたがって、労働と自然素材との割合は大変ちがっている。しかし、つねに使用価値は、自然的な原基を含んでいる。どんな形態かで自然的なものを獲得するための合目的的な活動としては、労働は、人間の生存の自然条件である。すなわち、人間と自然との間の物質代謝の条件であって、すべての社会形態から独立している。

  〔22 交換価値の労働ー労働の特殊的に社会的な形態Form/形式〕

 これに反して、交換価値を生む労働は、労働の特殊的に社会的な形態である。例えば、特別な生産活動として、一定の物質的性質を与えられた裁縫労働は、上衣を生産するのではあるが、上衣の交換価値を生産するのではない。労働が上衣の交換価値を生産するのは、裁縫労働としてではなく、抽象的で一般的な労働としてである。そしてこの抽象的で一般的な労働は、社会関係から生ずるものであって、これを裁縫師が縫い上げるわけのものではない。このようにして、古代の家内工業では、職工は上衣を生産したが、上衣の交換価値を生産することはなかった。素材的富の源泉としての労働は、立法者モーゼにも、税官吏のアダム・スミスにも知られていた。




16.  そこで交換価値を労働時間に帰着させることから生ずる若干のもっと細かい規定を考察しよう。


17.  使用価値としては、商品は、原因の作用をする。例えば、小麦は、食糧のはたらきをする。機械は一定の割合で労働に代わる。商品はこの作用によってのみ使用価値となり、消費の対象となるのであるが、これを商品の効役(Dienst:ディーンスト,サービス)と名づけることができる。すなわち、商品が使用価値としてはたす効役である。しかしながら、交換価値としては、商品は、つねに結果の観点からのみ考察される。ここで問題となるのは、商品のはたす効役ではなく、商品を生産するとき商品のためになされた効役なのである。だから、例えば、一の機械の交換価値は、この機械によって置き代えられる一定量の労働時間によって定められるのではなく、この機械そのものに用いられ、したがって同一種の新しい機械を生産するために必要とされる一定量の労働時間によって定められる。


 23 
  労働時間の大いさ、その交換価値は、労働の生産力の増減に逆比例して増減する

18.  したがって、商品の生産のために必要とされる労働量が不変であるとすれば、その交換価値は不変ということになろう。しかし、生産の難易はたえず変化している。労働は、その生産力が増大するならば同一の使用価値をより短い時間で生産する。労働の生産力が低下するならば、同一の使用価値の生産のために要する時間は多くなる。一商品に含まれている労働時間の大いさ、すなわち、その交換価値は、したがって変化するものであって、労働の生産力の増減に逆比例して増減する。製造工業で予め定められた度合で用いられている労働の生産力は、農業や抽出産業においては、同時に統御しえない自然関係によって制約されている。同一労働を用いても、地殻中にふくまれる一定金属の割合が少ないか多いかにしたがって、それぞれそれらの金属の採掘量は、大きくなったり小さくなったりするだろう。同一労働が、豊年には2ブシェルの小麦に、凶年には恐らく1ブシェルの小麦に対象化されるだろう。ここでは、自然関係として稀少であったり、過剰であったりすることが、商品の交換価値を定めるように見える。というのは、この稀少と過剰とが、自然関係に拘束されている特殊の現実の労働の生産力を定めるからである。


19.  さまざまな使用価値は、その不等な分量の中に、同一の労働時間または同一の交換価値を含んでいる。一定量の労働時間を含んでいるある商品の使用価値の分量が、他の使用価値と比較して小さければ小さいほど、この商品の特殊な交換価値は大きい。文化段階がそれぞれ遠く時をへだててちがっている場合に、いろいろの使用価値がおたがいの間に特別の交換価値の系列をつくっており、それらの交換価値が、正確に同じ数の比例をなしてはいなくとも、例えば、金、銀、銅、鉄、または小麦、裸麦、大麦、燕麦というように、相互に上位下位の一般関係をたもっているとするならば、このことから生ずる結果は次のようになる外ない。すなわち、社会的生産諸力の前進的な展開は、かの各種の商品の生産のために必要な労働時間に作用して、これを均等に、あるいは近似的に均等にしてゆくということである。



*20.  商品の交換価値は、それ自身の使用価値のうちに表われるものではない。だか、一商品の使用価値は、一般的な社会的労働時間の対象化として、他の商品の使用価値と比例関係に in Verhältnisse おかれる。

 こ
の一商品の交換価値は、このように、他の商品の使用価値で表明されている。実際上、他の一商品の使用価値に表現された一商品の交換価値が等価〔 Äquivalent:等価物 〕である。例えば、1エルレの亜麻布は2ポンドのコーヒーに値するとすると、亜麻布の交換価値は、コーヒーという使用価値で、しかもこの使用価値の特定の量で表現されている。この割合が与えられているとすれば、亜麻布のいかなる分量でもその価値をコーヒーでいい表わすことができる。一商品、例えば亜麻布の交換価値は、他の特別な一商品、例えば、コーヒーがその等価をなしている比例関係 Proportion でつきているものでないことは明らかである。一般的労働時間の一定量は、これを表示しているのが1エルレの亜麻布であるが、同時に他のすべての商品の使用価値の無限に多様な分量に実現されている。あらゆる他の商品の使用価値が等量の労働時間を表わしている割合にしたがって、それらの商品の使用価値は、1エルレの亜麻布の等価をなしている。したがって、この個々の商品の交換価値を十分に表現するには、他のすべての商品の使用価値がその等価をなしている無限に多数の方程式 unendlich vielen Gleichungen をもってくる外ない。これらの方程式の総計Nur in der Summe dieser Gleichungen、または一商品が他のあらゆる商品と交換される種々の比例関係の総体においてのみ、この商品は一般的等価〔allgemeines Äquivalent:一般的/普遍的等価物〕として、あますところなく表現される。

例えば方程式の系列 die Reihe der Gleichungen
1エルレ 亜麻布 =  1/2 ポンド 茶
1エルレ 亜麻布 = 2 ポンド コーヒー
1エルレ 亜麻布 = 8 ポンド パン
1エルレ 亜麻布 = 6 エルレ キャラコ
は、次のように表わされうる、

1エルレ 亜麻布 = 1/8 ポンド 茶 + 1/2 ポンド コーヒー + 
          2 ポンド パン + 1*1/2 エルレ キャラコ
 〔1エルレ亜麻布の連立方程式を表示している〕


 24  ◆方程式の総計を、その商品の交換価値を一の系列の形で表わす

21. したがって、もしわれわれが、1エルレの亜麻布の価値があますところなく表現されている方程式の総計をもってくれば、その商品の交換価値を一の系列の形で表わすことができよう。事実上この系列は無限である。というのは、商品の範囲は決して最後的に完結するものではなく、つねに拡大されてゆくものであるからである。

 しかしながら、ある一つの商品は、その交換価値を他のすべての商品の使用価値で測っているのであるから、逆に他のすべての商品の交換価値は、これらの商品で測られているこの一つの商品の使用価値で測られる。1エルレ亜麻布の交換価値が ポンドの茶、または2ポンドのコーヒー、または6エルレのキャラコ、または8ポンドのパン等々で表現されているとすれば、コーヒー、茶、キャラコ、パン等々は、それらのものが第三のもの、すなわち亜麻布に等しい割合にしたがって、お互いに等しいということ、したがって亜麻布がこれらの交換価値の共通の尺度としてはたらいている、という結果になる。


 〔25
  1.すべての商品は、対象化された一般的労働時間の一定量として、その交換価値を、    他のすべての商品の使用価値の一定の分量で、順次に表現する。
  2.
他のすべての商品の交換価値は、逆にもっぱらこの一つの商品の使用価値で測られ   る。

 すべての商品は、対象化された一般的労働時間として、すなわち、一般的労働時間の一定量として、その交換価値を、他のすべての商品の使用価値の一定の分量で、順次に表現する。そして他のすべての商品の交換価値は、逆にもっぱらこの一つの商品の使用価値で測られる。しかし、交換価値としては、いかなる商品も他のすべての商品の交換価値の共通の尺度として役立つ唯一の商品であり、また同時に他方では、他のいずれもの商品が多くの商品の全範囲にわたって、その価値を表わすさいのこれらの多くの商品の一つにすぎないものである。

  

 〔26
〔 例えば、コーヒーの価値が表わされる方程式の系列 Die Reihe von Gleichungen
  一般的社会的労働時間の対象化としての一商品の交換価値に対して、無限に多様な使用価値におけるその商品の 等価性 Äquivalenz の表現が相応じている 〕


22.  一商品の価値の大いさは、その商品の外に他の種類の商品が、沢山あるか少ないか、ということによるのではない。しかしながら、その交換価値が実現される方程式の系列が、大きいか小さいかは、他の商品の多様性が大きいか小さいかにかかっている。例えば、コーヒーの価値が表わされる方程式の系列 Die Reihe von Gleichungen は、その交換可能性の範囲を、すなわち、コーヒーが交換価値として機能する限界を言い表わしている。一般的社会的労働時間の対象化としての一商品の交換価値に対して、無限に多様な使用価値におけるその商品の 等価性 Äquivalenz の表現が相応じている。

23.
 商品の交換価値は、直接にそれ自身の中に含まれている労働時間の量ともに変化するということがわかった。商品の実現された、すなわち、他の諸商品の使用価値に表現された交換価値は、同じように、他のあらゆる商品の生産に投ぜられた労働時間が変化する割合によるということにならざるをえない。例えば、1シェッフェルの小麦の生産に必要な労働時間は変らないで同一であっても、他のすべての商品の生産に要する労働時間が二倍となれば、等価に表現された1シェッフェルの小麦の交換価値は、半分だけ低下したことになる。この結果は実際には、ちょうど1シェッフェルの小麦の生産に要する労働時間が半分だけ減って、他のすべての商品の生産に要する労働時間が不変にとどまるのと同じである。

 商品の価値は、同一の労働時間で生産されうる割合によって定められる。この割合が、どんなおそるべき変化を受けるかを知るために、われわれは、かりにAとBという二商品をとってみよう。第一に、Bの生産に必要な労働時間が、不変であるとする。この場合には、Bに表現されたAの交換価値は、Aの生産に要する労働時間が減少するか増加するかに正比例して減少したり、増加したりする。

 第二に、Aの生産に要する労働時間が、不変であるとしよう。Bに表現されたAの交換価値は、Bの生産に要する労働時間が減少するか増加するかに逆比例して減少したり、増加したりする。

 第三に、AとBの生産に要する労働時間が、同じ比例で減少するか増加するかするとしよう。AのBにおける等価の表現は、この場合は不変にとどまるだろう。どんな事情かで、すべての労働の生産力が、同じ程度に減退し、したがってすべての商品が同じ割合でその生産のためにより多くの労働時間を必要としたとしよう。この場合、すべての商品の価値は増大するだろう。その交換価値の現実の表現は、不変にとどまるだろう。そして社会の実際の富は、減少したであろう。というのは、社会は同一量の使用価値をつくり出すために、より多くの労働時間を必要とするからである。

 第四に、AとBの生産に要する労働時間が、両者にとって、ちがった程度で増大するか、減少するかするとしよう。あるいはAに必要な労働時間は増大したのに、Bに対するそれは減少するとする。あるいは、逆だとする。これらすべての場合は、簡単に、一商品の生産に必要な労働時間は不変であるのに、他の商品のそれは増大するか、減少するかする場合に還元することができる。


23/24.  すべての商品の交換価値は、この使用価値の整数量で示すにしても、その分数量で示すにしても、すべて他の商品の使用価値で表現される。交換価値としては、すべての商品は、それに対象化されている労働時間そのものと同じように分割することのできるものである。諸商品の交換価値を合計することは、これらの商品の使用価値がつくり変えられて一つの新しい商品になるさいに、現実にどんな形態転化 Formwechsel がおこるかということに対してどうでもいいのと同じように、諸商品の等価性は、使用価値としてのこれら諸商品の物的可分性とは無関係である。

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 24/25 〔商品相互の現実の関係は、その交換過程〕