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「 比例と価値方程式(1)」と連立方程式 2023.02.05
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『資本論』翻訳問題2022.09.28
J.『経済学批判』D. Zur Kritik der Politischen Ökonomie
マルクス・エンゲルス選集第7巻 『経済学批判』
向坂逸郎訳 新潮社 1959年発行
『経済学批判』 第1冊 資本について 第1編 資本一般
『経済学批判』序文01
si070-01-01
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資本論ワールド編集部
『資本論』への道 序文
1. 『資本論』の源流として、『経済学批判』の特徴の第一は、論理の進展にヘーゲルを基軸に据えていることです。「個人の労働時間が一般的労働時間となる」論理構成は、「個別(個人)と普遍(一般的)」というヘーゲル論理学(『小論理学』a 概念そのもの§163参照)を活用しています。
2. 第二に商品の価値関係の論証に、西洋の伝統的なデカルト「比例と方程式論」を応用しています。商品の価値表現に対し数学論理を援用しながら「比例の系列と価値方程式」を構築しています。
3.
1. マルクス『経済学批判』の序文について
(1) 『経済学批判』と『資本論』の関連について
(2)『ギリシャの哲学者たち』<コラム23> ガスリー
(3)<コラム1> 価値比例と方程式(1)
2. マルクス『経済学批判』の序文
3. マルクスからエンゲルスへの手紙
3. エンゲルス『経済学批判』について
4. 比例と価値方程式の誕生ー『資本論』への道
(1)価値形態の基礎ーデカルト方程式
(2)
5. 『経済学批判』へのヘーゲル論理学の応用(1)
6. 貨幣形成と商品物神性の源流ー『資本論』への道
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価値方程式の系列 |
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翻訳問題 |
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商品の交換価値 |
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商品の使用価値 |
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→比例と価値方程式(2)
→『経済学批判』A商品分析の歴史
→『資本論』第1章第4節商品の物神的性格とその秘密
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さあ始めよう『資本論』への道
『経済学批判』 第1冊 資本について
第1編 資本一般 第1章 商品
序
■『経済学批判』段落目次と
『資本論』関連個所表示ー(資1)は、『資本論』第1章第1節の省略形を示す。
1. 段落1-9
『経済学批判』第1章第1節 使用価値の形態規定と交換価値の量的比率
2. 各人の労働時間は社会的必要労働時間となる、「一般的労働時間」の成立
3. 交換価値を生む労働の物神性 【『資本論』第1章第4節】
4. 「抽象的に一般的労働」は社会関係から生ずる 【『資本論』第1章第4節】
5. 段落13-20
(商品に表わされた労働の二重性) 【『資本論』第1章第2節】
6. 段落16-19
労働の二重性、労働の生産力の増減について 【『資本論』第1章第2節】
7. 段落20-23
商品の使用価値は比例関係に置かれる・比例関係のもとで社会性が生成する
【『資本論』第1章第3節】
8. 段落22-30
一般的価値形態の成立状況 【『資本論』第1章第3節】
9. 段落31-36
交換過程の矛盾と一般的労働時間の生成について 【『資本論』第2章】
10. 段落37-38
社会的労働の総体と貨幣の形成過程
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→si070-01 →si070-02 →si070-03 →si070-04 |
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さあ始めよう『資本論』への道
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資本論ワールド編集部
『資本論』への道 序文
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『経済学批判』 第1冊 資本について 第1編 資本一般
序
第1章 商品
1. 市民社会の富〔bürgerliche Reichtum:ブルジョアの富〕は、一見して、巨大な商品集積〔ungeheure Warensammlung:巨大な,ぞっとするような商品の集まり〕であり、個々の商品はこの富の成素的存在〔elementarisches
Dasein:元素の原基的定在
〕であることを示している。しかして、商品は、おのおの、使用価値と交換価値という二重の観点で現われる。
2. (資1)使用価値の属性
商品は、イギリスの経済学者達の言葉でいえば、まず第一に「人生にとって必要であり、有用であるか、あるいは快適であるなんらかの物」、すなわち人間の欲望の対象、最広義においていう生活手段である。使用価値であるという商品の固有性(Dasein
ダーザイン)とその手でつかみうる自然的な存在とは一致する。例えば、小麦は、綿花、硝子、紙等等の使用価値と区別された一つの特別な使用価値である。使用価値は、使用するための価値にすぎないのであって、消費の過程で初めて実現される。同一の使用価値は、いろいろに利用されうる。だが、その可能な利用の総体は、特定の属性をもった物であるという使用価値の固有性(Dasein
ダーザイン)のうちに綜合されている。さらに、使用価値は、ただ質的に規定されるだけでなく、量的にも規定される。それぞれの使用価値は、その自然的な固有の性質にしたがって、それぞれの量目をもっている。例えば、1シェッフェルの小麦、一帖の紙、1エルレの亜麻布等々というようなものである。
3. (資1)使用価値の形態規定
使用価値は、富の社会的形態がどうあったにしても、つねにこの形態にとってはまず第一には無関係といってよい内容を成している。小麦について、誰がこれを栽培したか、ロシアの農奴だったのか、フランスの零細農民だったのか、それともイギリスの資本家だったのか、ということを味い分けることはできない。使用価値は、社会的欲望の対象であり、したがってまた社会的連関をもってはいるが、すこしも社会的生産関係を言い表わしてはいない。この商品は、使用価値としては、例えばダイヤモンドである。ダイヤモンドについて、それが商品であることを認知しようとしてもできない。ダイヤモンドが使用価値として、美的にまたは機械的に、娼婦の胸にまたはガラス磨りの手に、用いられるところでは、それはダイヤモンドであって商品ではない。使用価値であるということは、商品にとって必要な前提であるように見えるが、商品であるということは、使用価値にとってはどうでもよい規定であるように見える。経済上の形態規定に対してこのようにどうでもよい使用価値、すなわち使用価値としての使用価値は、経済学の考察範囲の外にある。その範囲にはいるのは、ただ使用価値自身が形態規定を持っている場合のみである。直接的には、使用価値は、特定の経済関係、すなわち交換価値が表われる素材的な基礎である。
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(資1)交換価値は使用価値が交換される量的比率quantitatives Verhältnis |
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(資1)交換価値は使用価値が交換される量的比率quantitatives Verhältnis |
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〔 すべての商品は社会的労働の物質化ー同じ等一物の結晶 〕 |
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(資1)交換価値を生む労働は、抽象的で一般的な労働abstrakt allgemeine Arbeit |
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(資1)労働時間は労働の量として生きた正体Daseinー実体
すべての商品は、膠結した労働時間festgeronnener Arbeitszeitの一定の量 |
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(資1.資2)労働時間による交換価値の規定 |
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(資1)単純労働について |
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(資1)各人の労働時間は社会的に必要な労働時間 |
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11 |
(資1)一切の労働が同一種の労働 |
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(資1)個人の労働時間が一般的労働時間allgemeine Aebeitszeit となる |
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(資4)交換価値を生む労働の物神性 |
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(資1)労働は富の父であり、土地はその母である |
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(資1)抽象的で一般的な労働は、社会関係から生ずる・・・物神性の共通性 |
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(資2)労働の生産力の増減についてー労働の二重性 〔方程式の系列と連立方程式〕 |
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社会的生産諸力の前進的な展開 |
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(資3)商品の使用価値は比例関係Verhältnis に置かれる ー比例関係のもとで、社会性が生成するー 20.21.22.23・・・ 〔方程式の系列Reihe ――連立方程式〕 〔編集部注〕 |
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例えば方程式の系列Reihe 〔編集部注〕 →「価値方程式のはじまり(1)」 参照 |
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(資3)一般的価値形態の成立状況 |
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拡大〔展開〕された価値形態の成立状況 |
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(資2)(資4)生産力の増減と交換価値の比例関係――物神性の現われー |
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(資/第2章)交換価値の数量表現ー25.26.27.28.29ー |
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〔 交換過程の意識的担い手 〕 |
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〔 商品の交換過程 〕〔編集部注:①ガスリー『ギリシャの哲学者たち』第7章アリストテレス
②アリストテレスの「現実態(エネルゲイヤ)・可能態(デュナミス)」参照〕 |
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28 |
〔 ヘーゲル論理学の応用ー 交換過程の矛盾と一般的〔普遍的〕労働時間の生成について 〕 |
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4. (資1)交換価値は使用価値が交換される量的比率quantitatives Verhältnis
5. 〔 すべての商品は社会的労働の物質化ー同じ等一物の結晶 〕
6. (資1)交換価値を生む労働は、
抽象的で一般的な労働abstrakt allgemeine Arbeit
7. (資1)労働時間は労働の量として生きた正体Daseinー実体
すべての商品は、膠結した労働時間festgeronnener Arbeitszeitの一定の量
8. (資1.資2)労働時間による交換価値の規定
9. (資1)単純労働について
10. (資1)各人の労働時間は社会的に必要な労働時間
11. (資1)一切の労働が同一種の労働
12. (資1)個人の労働時間が一般的労働時間allgemeine Aebeitszeit となる *13. (資4)交換価値を生む労働の物神性 14. (資1)労働は富の父であり、土地はその母である 15. (資1)抽象的で一般的な労働は、社会関係から生ずる・・・物神性の共通性
16.17.18.(資2)労働の生産力の増減についてー労働の二重性
〔方程式の系列と連立方程式〕
19. 社会的生産諸力の前進的な展開
*20. (資3)商品の使用価値は比例関係Verhältnis に置かれる
ー比例関係のもとで、社会性が生成するー 20.21.22.23・・・
〔方程式の系列Reihe ――連立方程式〕 〔編集部注〕
21 例えば方程式の系列Reihe
〔編集部注〕 →「価値方程式のはじまり(1)」 参照
22.(資3)一般的価値形態の成立状況
23. 拡大〔展開〕された価値形態の成立状況
24.(資2)(資4)生産力の増減と交換価値の比例関係――物神性の現われー
25.(資 第2章)交換価値の数量表現ー25.26.27.28.29ー
26.〔 交換過程の意識的担い手 〕
27.〔 商品の交換過程 〕 〔編集部注:①ガスリー『ギリシャの哲学者たち』第7章アリストテレス
②アリストテレスの「現実態(エネルゲイヤ)・可能態(デュナミス)」参照〕
28. 〔 ヘーゲル論理学の応用ー
交換過程の矛盾と一般的〔普遍的〕労働時間の生成について 〕
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28 |
〔 ヘーゲル論理学の応用ー
交換過程の矛盾と一般的〔普遍的〕労働時間の生成について 〕
(注:ヘーゲル論理学の用語ー 個々の、一般的/普遍的、特別の)
*『小論理学』概念論 §160-171参照
1. 個々の商品〔einzelne Ware〕
2. 一般的〔普遍的〕労働時間〔allgemeine Arbeitszeit〕
3. 特別の物〔besondre Dinge〕〕 |
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29 |
〔 商品の交換過程における矛盾の展開 〕 |
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30 |
〔(資3)価値形態・・第3節価値形態または交換価値・・30.31.32.33.34・〕 ー価値表現の系列ー |
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31 |
〔(資第2章)交換過程の困難 一般的労働時間の生成 〕
〔注1:アリストテレスのエネルゲイア―*「ウィキペディア」 |
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32 |
交換価値の現実の表現ーー
個人的な・~・一般的労働時間の生成ー
直接に一般性という性格を与えるのか? (拡大された価値形態)〕 |
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33 |
〔 交換過程の社会的結果 〕 |
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34 |
〔 亜麻布は、他のあらゆる商品の一定量に対する 等価(物)として現われる一般的等価形態 〕
〔 諸商品の存在の二重化と使用価値の二重化 〕〔 [抽象的に人間的な労働] ーこの概念の実在性と矛盾の解決 〕 |
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35 |
〔商品の貨幣形態の特性ー貴金属〕〔 物々交換の解消作用と貨幣形成 〕
〔 経済学者たちー交換過程の不便ー貨幣の発明 〕 |
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36 |
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37 |
〔 商品の交換は、社会的物質代謝 諸商品のお互いの関係―― 一般的等価(物)
allgemeinen Äquivalents 関係の諸規定―― 交換過程の全体が、流通過程 〕 |
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『経済学批判』〔第1章終わり〕 |
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28. 〔 ヘーゲル論理学の応用ー
交換過程の矛盾と一般的〔普遍的〕労働時間の生成について 〕
(注:ヘーゲル論理学の用語ー 個々の、一般的/普遍的、特別の)
*『小論理学』概念論 §160-171参照
1. 個々の商品〔einzelne Ware〕
2. 一般的〔普遍的〕労働時間〔allgemeine Arbeitszeit〕
3. 特別の物〔besondre Dinge〕〕
29.〔 商品の交換過程における矛盾の展開 〕
30.〔(資3)価値形態・・第3節価値形態または交換価値・・30.31.32.33.34・〕
ー価値表現の系列ー
31.〔(資第2章)交換過程の困難 一般的労働時間の生成 〕
〔注1:アリストテレスのエネルゲイア―*「ウィキペディア」
32.〔交換価値の現実の表現ーー
個人的な・~・一般的労働時間の生成ー
直接に一般性という性格を与えるのか? (拡大された価値形態)〕
33.〔 交換過程の社会的結果 〕
34.〔 亜麻布は、他のあらゆる商品の一定量に対する
等価(物)として現われる一般的等価形態 〕
〔 諸商品の存在の二重化と使用価値の二重化 〕
〔 [抽象的に人間的な労働] ーこの概念の実在性と矛盾の解決 〕
35. 〔商品の貨幣形態の特性ー貴金属〕
〔 物々交換の解消作用と貨幣形成 〕
〔 経済学者たちー交換過程の不便ー貨幣の発明 〕
36.
37.〔 商品の交換は、社会的物質代謝 諸商品のお互いの関係―― 一般的等価(物)
allgemeinen Äquivalents 関係の諸規定―― 交換過程の全体が、流通過程 〕
〔第1章終わり〕
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28. 〔 ヘーゲル論理学の応用ー
交換過程の矛盾と一般的〔普遍的〕労働時間の生成について 〕
(注:ヘーゲル論理学の用語ー 個々の、一般的/普遍的、特別の)
*『小論理学』概念論 §160-171参照
1. 個々の商品〔einzelne Ware〕
2. 一般的〔普遍的〕労働時間〔allgemeine Arbeitszeit〕
3. 特別の物〔besondre Dinge〕〕
28. 個々の商品〔einzelne Ware〕は、使用価値の観点では本来独立の物として現われたのであったが、これと反対に、交換価値としては初めからすべての他の商品に対する関係において考察された。だが、この関係は、ただ理論的な、考えられた関係にすぎなかった。この関係は、交換過程においてはじめて実証される。他方において、商品は、一定量の労働時間がその中に投入されており、したがって商品が対象化された労働時間であるかぎりにおいて、交換価値であるが、しかし、商品を直接的に見るかぎりでは、それは、特別の内容をもって対象化された個人的な労働時間であって、一般的〔普遍的〕労働時間〔allgemeine Arbeitszeit〕ではない。したがって、商品は直接的に交換価値ではなくて、まず交換価値とならなければならぬのである。まず第一に、商品は、一定の役に立つかぎりで、したがって労働時間をある使用価値に表わしているかぎりで、はじめて一般的労働時間の対象化となることができる。このような素材的な条件があって、この条件のもとではじめて、商品に含まれている労働時間が、一般的な社会的な労働時間として前提されたのであった。したがって、商品が、交換価値として実現されてはじめて使用価値となりうるとすれば、商品は、他方では、その譲り渡しで使用価値であることを実証されて初めて交換価値として実現されることが出来るのである。商品は、使用価値となることができるには、それが使用価値となるような、つまり特別の欲望の対象となるような一定の人に引きわたされる外はない。他方では、商品は他の商品と引きかえにのみ引渡される。あるいは、もしわれわれが他の商品の所有者の側に立つとすれば、この所有者、同じように自分の商品が対象となる特別の欲望と、その商品を接触させて譲り渡し、または実現することができるだけである。したがって、諸商品は使用価値として全面的に譲り渡されて、その特殊な性質にもとづいて特別の欲望を充足させる特別の物〔besondre Dinge〕として、素材的な相違にしたがって、おたがいにあい関係させられる。しかし、このような単なる使用価値としては、諸商品はおたがいにどうでもよい存在である、むしろまったく無関係である。使用価値としては、それらは、ただ特別の欲望に関係して交換されうるものであるにすぎない。しかし、それらの商品が交換されることができるのは、ひとえに等価であるからである。そして、それらが等価であるのは、対象化された労働時間の等量であるからである。こうなると、使用価値としての諸商品の自然的属性、したがってまた特殊な欲望に対する諸商品の関係、に対する顧慮はなくなっている。商品は、むしろ等価として、任意に定められた他のあらゆる商品の量に代り、他の商品の所有者にとってそれが使用価値であるかどうかにまったくかかわりなくなってはじめて、交換価値であることを証明するのである。だが、商品は、他の商品の所有者にとっては、それが彼にとって使用価値であるかぎりにおいてのみ、商品である。そしてその商品自身の所有者にとっては、それが他の商品の所有者にとって商品であるかぎりにおいてのみ、交換価値となる。したがって、同じ関係が、本質的に等しく、ただ量的にのみちがっている大いさとしての諸商品の関係でなければならず、一般的/普遍的労働時間の体化物〔Materiatur der allgemeinen Arbeitszeit〕としての諸商品を等置することでなければならないが、それと同時に質的にちがった物としての諸商品の関係、すなわち特別の欲望に対する特別の使用価値としての諸商品の関係、要するに、現実の使用価値として諸商品を区別する関係でもなければならない。しかしながら、この等置するということと等置できないということとは相互に排除し合うものである。そこで一方の問題の解決は他方の問題の解決を前提することになって、問題が悪循環におちいるだけではなく、一条件の充足が直接にその正反対の条件の充足にかかっていることになって、全体が矛盾する要求となって表れている。
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〔 商品の交換過程における矛盾の展開 〕
29. 商品の交換過程は、この矛盾の展開でもあれば、解決でもなければならないのであるが、この矛盾は、交換過程では決してこのような簡単な仕方で表われることのできるものではない。われわれは、商品自身がおたがいに使用価値としてあい関係していること、すなわち、どのように商品は交換過程の内部において使用価値として表われるのか、ということを見たばかりであった。これに反して、これまで見てきたように、交換価値は、ただわれわれの抽象Abstraktionの中に、すなわち、商品を使用価値としては倉庫に、交換価値としては意識の上でもっている個々の商品所有者の抽象の中に存在しているにすぎないといってもよい。
しかし、商品そのものは、交換過程の内部では使用価値としてばかりでなく、お互いのための交換価値としても存在しなければならない。そして、商品のこの存在(Dasein)の仕方は、それら自身のおたがいの関係として現わるべきものである。われわれがまずひっかかった困難は次のようなことであった。
交換価値として、すなわち対象化された労働として表われるためには、商品はあらかじめ使用価値として引き渡されなければならない、すなわち、人の手に渡らなければならないのに、他方では、商品の使用価値としての引き渡しは逆に商品が交換価値として存在することを前提している、というのである。しかし、この困難は解決されると仮定しよう。商品は、個々の人の特殊な労働そのものであるだけでなく、社会的に有用な労働であるために、商品の特殊な使用価値をぬぎすてて、これを引き渡すことによって素材的な条件をみたしとしよう。こうなると、商品は、交換過程において交換価値として、他のすべての商品に対して一般的等価(物)、すなわち対象化された一般的労働時間とならなければならない。そしてこのようにして、もはや特別の使用価値の限定された作用をもつだけでなく、その等価(物)としてのすべての使用価値の中に直接的な表示能力をうることにならなければならない。だが、どの商品も、このようにしてその特殊な使用価値の引き渡しによって、一般的労働時間の直接の体化物として現われざるをえない商品である。しかし他方、交換過程では、特別の商品が、すなわち特殊の使用価値に体現された私的個人たちの労働が、相対しているだけである。一般的/普遍的労働時間自体は抽象であって、そのものとして諸商品に実在するのではない。
〔(資3)価値形態・・第3節価値形態または交換価値・・30.31.32.33.34・〕
ー価値表現の系列ー
30. 一商品の交換価値がその現実の表現をおこなっている方程式の総計〔系列〕を考察すると、例えばこうである。
1エルレ 亜麻布 = 2ポンド コーヒー
1エルレ 亜麻布 = 1/2ポンド 茶
1エルレ 亜麻布 = 8ポンド パン 等々
〔(資第2章)交換過程の困難 一般的労働時間の生成 〕
31. これらの方程式は、なるほど等しい大いさの一般的、社会的労働時間が、1エルレの亜麻布、2ポンド コーヒー、 ポンド 茶等々に対象化されているということを示してはいるが、しかし、実際上、これらの特殊な使用価値に表われている個人的な労働は、それらの使用価値が現実にその中に含まれている労働の継続時間の割合でおたがいに交換されてはじめて、一般的な、そしてこの一般的という形で社会的な労働になるのである。社会的な労働時間は、いわば潜在的にこれらの商品の中にあるだけであって、その交換過程ではじめて発現するのである。出発点は共同労働としての個人の労働ではなく、逆に、私的個人の特殊な労働である。この特殊な労働は、交換過程ではじめてその本来の性格を止揚して、一般的社会的な労働であることを証明する。だから、一般的に社会的な労働というのは、完成された前提ではなくて、生成してゆく結果なのである。
こうして、諸商品は一方では対象化した一般的労働時間として交換過程にはいらなければならないが、他方では、労働時間が個人の一般的な労働時間として対象化されること自身は、交換過程の生産物に外ならない、という新しい困難が生ずる。
〔注1:アリストテレスのエネルゲイア―*「ウィキペディア」〕
エネルゲイアとは、アリストテレスによって提唱された哲学用語。現実態と訳される事もある。可能的なものが発展する以前の段階であるデュナミスが、可能性を実現させた段階をエネルゲイアとアリストテレスは呼んだ。例えば種子と花を例とすれば、まだ成長していない種子はデュナミスであり、その種子が花となった段階はエネルゲイアということである。さらに可能性を完全に実現して、その目的に至っている状態のことをエンテレケイアと呼んだ。〕
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〔交換価値の現実の表現ーー
個人的な・~・一般的労働時間の生成ー
直接に一般性という性格を与えるのか? (拡大された価値形態)〕
32. すべての商品は、その使用価値を、したがってその本来の存在を引き渡してしまって、その交換価値としてあるべき存在を受けとるべきものである。だから、商品は交換過程でその存在を二重化せざるをえない。他方は、交換価値そのものとしてのその第二の存在は、他の商品である外はない。何故かというに、交換過程では、もっぱら諸商品だけが相対しているのであるからである。
どうして、一つの特殊な商品を直接に対象化された一般的労働時間として表わして、または同じことであるが、どうして一つの特殊な商品に対象化されている個人的な労働時間に、直接に一般性という性格を与えるのか?
一商品、すなわち、一般的等価(物)たる各商品の交換価値の現実の表現は、次のような方程式の無限の総計の中〔系列〕に示されている。
1エルレ 亜麻布 = 2ポンド コーヒー
1エルレ 亜麻布 = ポンド 茶
1エルレ 亜麻布 = 8ポンド パン
1エルレ 亜麻布 = 6エルレ キャラコ
1エルレ 亜麻布 = 等々その他。
〔 交換過程の社会的結果 〕
33. このような言い表わしは、商品が対象化された一般的な労働時間の一定量と考えられただけでは、理論的なものであった。特別なる商品〔besonderen Ware〕が一般的等価(物)〔allgemeines Äquivalent〕として存在するにいたるのは、上記の方程式の系列を単純に逆にすることによって、単なる抽象から交換過程自体の社会的結果となるのである。したがって、例えばこうだ。
2ポンド コーヒー = 1エルレ 亜麻布
1/2ポンド 茶 = 1エルレ 亜麻布
8ポンド パン = 1エルレ 亜麻布
6エルレ キャラコ = 1エルレ 亜麻布
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〔**32.同様〕
〔交換価値の現実の表現ーー
個人的な・一般的労働時間の生成 (拡大された価値形態)〕
直接に一般性という性格を与えるのか? (拡大された価値形態)〕
32. すべての商品は、その使用価値を、したがってその本来の存在を引き渡してしまって、その交換価値としてあるべき存在を受けとるべきものである。だから、商品は交換過程でその存在を二重化せざるをえない。他方は、交換価値そのものとしてのその第二の存在は、他の商品である外はない。何故かというに、交換過程では、もっぱら諸商品だけが相対しているのであるからである。
どうして、一つの特殊な商品を直接に対象化された一般的労働時間として表わして、または同じことであるが、どうして一つの特殊な商品に対象化されている個人的な労働時間に、直接に一般性という性格を与えるのか?
一商品、すなわち、一般的等価たる各商品の交換価値の現実の表現は、次のような方程式の無限の総計の中に示されている。
1エルレ 亜麻布 = 2ポンド コーヒー
1エルレ 亜麻布 = ポンド 茶
1エルレ 亜麻布 = 8ポンド パン
1エルレ 亜麻布 = 6エルレ キャラコ
1エルレ 亜麻布 = 等々その他。
〔 交換過程の社会的結果 〕
33. このような言い表わしは、商品が対象化された一般的な労働時間の一定量と考えられただけでは、理論的なものであった。特別なる商品が一般的等価(物)として存在するにいたるのは、上記の方程式の系列を単純に逆にすることによって、単なる抽象から交換過程自体の社会的結果となるのである。したがって、例えばこうだ。
2ポンド コーヒー = 1エルレ 亜麻布
1/2ポンド 茶 = 1エルレ 亜麻布
8ポンド パン = 1エルレ 亜麻布
6エルレ キャラコ = 1エルレ 亜麻布
〔 亜麻布は、他のあらゆる商品の一定量に対する
等価(物)として現われる一般的等価形態 〕
34. コーヒー、茶、パン、キャラコ等、要するにすべての商品がそれ自身の中に含まれている労働時間を亜麻布で表現しているので、逆に、亜麻布の交換価値は、その等価(物)としてのすべての他の商品の中に展開され、亜麻布自身の中に対象化されている労働時間が、直接に、他のすべての商品のちがった分量に均等に表われている一般的労働時間となる。
〔 注:2ポンド コーヒー = 1エルレ 亜麻布 ( 等価形態にある亜麻布交換価値としてのコーヒーの"交換価値"ーーすなわち一般的等価(物)) 〕
ここでは、亜麻布は、他のすべての商品の亜麻布に対する全面的行動によって、一般的等価となる。交換価値としては、どの商品も、他のすべての商品の価値の尺度となった。ここでは逆に、すべての商品がその交換価値を特別な商品で測るために、この除外された商品は、交換価値の適合した姿(Dasein)、すなわちこれを一般的等価(物)として表わす物(Dasein)となる。
これに反して、無限の系列、すなわち、各商品の交換価値が表われた無限に多数である方程式は、二つの項をもつだけの唯一の方程式に縮まってしまる。2ポンドコーヒー=1エルレ亜麻布ということは、いまでは、コーヒーの交換価値の十全な表現である。というのは、亜麻布は、この瞬間、直接に、他のあらゆる商品の一定量に対する等価として現われているからである。
したがって、交換過程の内部では、諸商品は、いまや代替できるものとなっている、あるいは、おたがいが亜麻布という形態で交換価値として現われている、といってもよい。すべての商品が、交換価値として現われている、といってもよい。
すべての商品が交換価値として、対象化された一般的な労働時間のただ量だけがちがっているものとして、おたがいにあい関係し合っているということは、いまやこのように現われる、すなわち、他のすべての商品は、交換価値として、同一対象である亜麻布のそれぞれがちがった量だけを表わしているということになるのである。
したがって、一般的労働時間の側からいうと、それは特別の物として、他のすべての商品と並んでその外にあるものとして、表われることになる。しかし、同時に、商品が商品に交換価値として等しいことを示している方程式、例えば、2ポンドコーヒー=1エルレ亜麻布は、まだこれから実現さるべき等置関係なのである。商品を使用価値として譲り渡すことは、商品が欲望の対象であることが交換過程で実証されるかどうかに依存しているのであるが、このことによってはじめて商品は、現実にそのコーヒーという姿(Dasein)から亜麻布という姿(Dasein)に転化され、こうして一般的等価(物)の形態をとる。そして現実に他のすべての商品に対する交換価値となる。
逆に、すべての商品が使用価値として引き渡されて亜麻布に転化されることによって、亜麻布は他のすべての商品の転化された姿(Dasein)となり、他のすべての商品のこの商品へのこのような転化の結果として、はじめて、直接に一般的労働時間の対象化となる。すなわち、全面的引渡しの生産物となり、個人的労働の止揚となるのである。
〔 諸商品の存在の二重化と使用価値の二重化 〕
諸商品が、こうして、おたがいの交換価値として現われるために、その存在を二重にしたとすれば、一般的等価として除外された商品も、その使用価値を二重にする。この商品は、特別の商品としてのその特別の使用価値の外に、一般的な使用価値を受けとる。この商品のこういった使用価値は、それ自身形態規定であって、さらにいえば、この商品が、自分に対する他の商品の全面的な行動によって交換過程で演ずるようになる特殊の役割から出ているのである。
〔 [抽象的に人間的な労働] ーこの概念の実在性と矛盾の解決 〕
特別の欲望の対象としての各商品の使用価値は、それぞれちがった人の手にあってちがった価値をもっている。例えば、これを譲り渡す人の手にあるときは、これを取得する人の手にあるのとちがった価値をもっている。一般的等価(物)として排除された商品は、いまでは交換過程そのものから発生してきた一般的欲望の対象であって、どの人にとっても交換価値の担い手、すなわち一般的交換手段であるという同一の使用価値をもっている。このようにしてこの一商品において、特別の使用価値として同時に一般的な等価(物)であり、したがって、すべての人に対する使用価値、すなわち一般的使用価値であるという商品が商品として内包している矛盾が、解決されている。
したがって、他のすべての商品がいまやまず第一に、その交換価値を、この排他的な商品との間の観念的な、実現せらるべき方程式として表わすのに反して、この排他的の商品においては、その使用価値は、現実的のものではあるが、過程自身の中で実際の使用価値に転化することによってはじめて実現さるべき単なる形態存在として現われる。
初めからこの商品は、商品一般として、ある特別の使用価値に対象化された一般的労働時間として表わされる。交換過程では、すべての商品が、商品一般としての排他的商品に、すなわち、ある特別の使用価値に一般的〔allgemeine 普遍的〕労働時間を体現(Dasein)している商品に、関係するのである。したがって、すべての商品は、それぞれ特別の商品〔〕として、一般的商品〔〕としてのある特別の商品〔〕に相対立する。このようにして商品所有者たちがおたがいにその一般的社会的労働としての労働に関係するということは、次のような形で示されている、すなわち、彼等がその交換価値としての商品に対してあい関係しあっているということ、また交換過程における交換価値としての諸商品の相互関係が、それらの商品の交換価値の適合した表現としてのある特別な商品に対するその全面的な関係として現われているということ、このことは、逆にまた、この特別の商品の他のすべての商品に対する特殊な関係として、したがってまた、一定のいわばある物の自然発生的に社会的な性格として現われる、ということである。このようにすべての商品の交換価値の適合した体現であることを示している特別の商品、あるいは、諸商品の、ある特別な排他的な商品としての交換価値、これが貨幣である。それは、諸商品が交換過程そのものの中で形成するおたがいの交換価値の結晶である。したがって、一方で諸商品は、交換過程の内部ですべての形態規定性をはぎとり、その直接的な素材態容であい関係し合うことによって、おたがいのための使用価値となるとすれば、相互に交換価値として現われるためには、新しい形態規定性をとり、貨幣形成にすすまなければならない。貨幣は象徴ではない。それは使用価値が商品として存在しても、象徴でないのと同じである。個人たちの外に存する対象として社会的生産関係が、すなわち個人たちの社会的生活の生産過程で結ばれる一定の諸関係が、一の物の特殊な属性として表わされるということ、この錯倒と想像的でない、散文的に現実的な神秘化とが、交換価値を生む労働のすべての社会形態を特徴づけている。貨幣においては、この神秘化は、商品におけるよりはるかに驚嘆に値するものとなっているだけのことである。
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〔商品の貨幣形態の特性ー貴金属〕
35. すべての商品の貨幣形態がそこに結晶すべき特別の商品の必要な物的属性は、それが交換価値の性質から直接に生ずるものであるかぎり、随意に分割されうること、各部分が一様であること、およびこの商品のどの一つをとっても無差別であることである。一般的労働時間の体化物としては、この商品は、同性質の物質で、ただ量的な相違だけを示すことができるものでなければならない。他の必要な属性は、その使用価値の永続性である。というのは、この商品は交換過程の内部に持続的にとどまることのできるものでなければならぬからである。貴金属は、これらの属性を極めてよくもっている。貨幣は、反省または協定の産物でなく、いわば本能的に交換過程で形成されるものであるから、極めていろいろの多かれ少なかれ不適当な商品が、代るがわる貨幣の機能をつとめた。交換過程の発展のある段階で、交換価値と使用価値の規定を対極的に商品に分与し、したがってある商品が、例えば交換手段として機能し、他の商品が使用価値として売り渡されるという必然性は、いたる所で一定の商品あるいはまた若干の最も一般的な使用価値をもっている商品が、まず偶然に貨幣の役割を演ずることをおのずと伴うのである。直接に存在する欲望の対象ではなくとも、これらの商品が富の素材的に最も重要な構成部分としてあるということは、これに他の使用価値よりも一般的な性格を与える。
〔 物々交換の解消作用と貨幣形成 〕
35. 交換過程の自然発生的形態である直接的な物々交換は、諸商品の貨幣への転化というよりむしろ使用価値の商品への転化の開始を表わしている。交換価値はまだ自由な態容をもたず、なお直接に使用価値に拘束されている。このことは二重に示される。生産そのものはその全構造において使用価値を目的としていて、交換価値を目的としてはいない。したがって、使用価値がここで使用価値であることをやめ、交換の手段すなわち、商品となるのは、ただ消費に必要とされる程度を使用価値が越えた場合におこるだけのことである。
他方において、使用価値は、対極的に分れていても、直接的な使用価値の限界内で、商品となるだけである。したがって、商品所有者たちによって交換さるべき商品は、双方にとって使用価値でなければならないが、両使用価値ともに、その非所有者にとっても使用価値でなければならない。実際において、商品の交換過程は、本来自然発生的な共同体の胎内で現われるのではなく、共同体が終る所、すなわち、その境界で、共同体が他の共同体と接触する僅少の地点で、現われる。ここで、物々交換が始まり、またここから共同体の内部にはいりこみ、これに分解的な作用を及ぼした。したがってちがった共同体の間の物々交換で商品となる、奴隷、家畜、金属のような特別の使用価値が、多くは共同体自身の内部における最初の貨幣となっている。
われわれの知ったところによると、一商品の交換価値は、その等価の系列が長く、その商品に対する交換の部面が大きいほど、交換価値である度が高いということであった。したがって物々交換が漸次拡大され、交換が増大し、物々交換にはいってくる商品が多様化するほど、交換価値としての商品は発展させられ、貨幣の形成が迫り、それとともに直接的物々交換に解消的な作用がもたらされる。
〔 経済学者たちー交換過程の不便ー貨幣の発明 〕
経済学者たちは、貨幣を、拡大された物々交換がぶつかる外的困難から導き出すのを常とする。しかしその際、この困難が交換価値の、したがってまた一般的労働としての社会的労働の発展から生じているということを忘れている。例えば、商品を随意に分割することは、交換価値としてはもっていなければならぬ性質であるが、使用価値としてはもっているとはかぎらない。あるいはAの商品はBにとって使用価値であったとしても、Bの商品がAにとって使用価値であるとはかぎらない。あるいは商品所有者たちは、彼らがおたがいに交換しようとする分割できない商品を、ひとしくない価値の割合で必要とするかもしれない。他の言葉でいえば、経済学者たちは、単純な物々交換を考察するという口実で、使用価値と交換価値の直接的な統一としての商品の存在が包含している矛盾のある面を、具体的に示しているのである。他方において、彼等は、このようにして物々交換を商品の交換過程の適合した形態としてどこまでも固執していて、ただ、この交換過程にはある種の技術的な不便がつきまとっているので、貨幣はそのためにうまく発明された弥縫策なのであるというわけだ。
したがって、このようなまったく浅薄な立場からすれば、才気あふれるあるイギリスの経済学者が、貨幣は船や蒸気機関のような物的な道具にすぎないもので、ある社会的生産関係を表わすものではない、したがってまた経済学的範疇ではない、と主張しているのはもっともなことである。したがって、実際上、技術学と少しの共通性もない経済学で取扱われるのは、誤用にすぎないというのである。
36. 商品世界では分業の発達が前提となっている。あるいは分業の発達は、むしろ直接に使用価値の多様性に表われているといってよい。それらの使用価値は、特殊の商品として相対し、その中に、同じように多様な労働様式がかくされている。特別な生産的活動様式の全体としての分業は、素材的側面から見た社会的労働の総体が、使用価値を生産する労働として考察されたものである。しかしながら、このような労働として、商品の立場から交換過程の内部で見るならば、分業は、ただこの労働の結果に、すなわち商品そのものが特殊のものに分れるということに存するものである。
〔 商品の交換は、社会的物質代謝 諸商品のお互いの関係―― 一般的等価(物)
allgemeinen Äquivalents 関係の諸規定―― 交換過程の全体が、流通過程 〕
37. 商品の交換は、社会的物質代謝、すなわち、私的個人の特殊の生産物の交換が、同時に一定の社会的生産諸関係の生産となる過程であって、諸個人はこの物質代謝においてこの生産諸関係を結んでいるのである。諸商品がおたがいに働きかけ合う関係は、一般的/普遍的等価(物)allgemeinen Äquivalents 関係のさまざまな規定になって結晶し、したがって、交換過程は同時に貨幣の形成過程である。別々の過程の経過となって表われる交換過程の全体が、流通(過程)Zirkulationである。
〔第1章終わり〕
・・・( A. 商品分析の歴史 A. Historisches zur Analyse der Ware )・・・
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