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 資本論用語事典2021
   価値存在Wertsein 価値たること  2021.05.05

 『資本論』 第1章商品 第3節価値形態
 A単純な、個別的な、または偶然的な価値形態
 2 相対的価値形態 a 相対的価値形態の内実
  2. Die relative Wertform  a) Gehalt der relativen Wertform

3. しかしながら、二つの質的に等しいとされた商品は、同一の役割を演ずるものでない。ただ亜麻布の価値のみが表現されるのである。そしていかに表現されるか? 亜麻布の「等価」としての、あるいは亜麻布と「交換され得るもの」としての上衣に、関係せしめられることによってである。この関係において、上衣は価値の存在形態、すなわち、価値物となされる。なぜかというに、このようなものとしてのみ、上衣は亜麻布と同一物であるからである。他方において、亜麻布自身の価値たること Wertsein が前景に押し出される、すなわち、独立の表現を得る。なぜかというに、ただ価値としてのみ亜麻布は、等価物としての、あるいは自分と交換されうるものとしての、上衣に関係するからである。このようにして、酪酸は蟻酸プロピルとはちがった物体である。しかし、この両者は同一の化学的実体―炭素(C)、水素(H)および酸素(O)―から、しかも同一割合の組成、すなわち、C4H8O2から成り立っている。そこで、もし酪酸に蟻酸プロピルが等しい関係に置かれるとすれば、この関係においては、第一に蟻酸プロピルは単にC4H8O2の存在形態とされ、第二に酪酸もまたC4H8O2から成り立つということがいわれるであろう。こうして、蟻酸プロピルを酪酸と等置することによって、その化学的実体は、その物体の形態と区別して表現されるであろう。
(岩波文庫p.93)

9. 上衣が亜麻布の等価をなす価値関係においては、このように、上衣形態は、価値形態とされる。亜麻布なる商品の価値は、したがって、上衣なる商品の肉体で表現される。一商品の価値は他の商品の使用価値で表現されるのである。使用価値としては、亜麻布は上衣とは感覚的にちがった物である。価値としては、それは「上衣に等しいもの」であって、したがって、上衣に見えるのである。このようにして、亜麻布は、その自然形態とはちがった価値形態を得る。その価値たること Wertsein が、上衣との同一性 Gleichheit に現われること、ちょうどキリスト者の羊的性質が、その神の仔羊との同一性に現われるようなものである。
(岩波文庫p.96)

10.  商品価値の分析が以前に告げたような一切のことを、亜麻布は他の商品、上衣と交わるようになるやいなや、自身で、申し述べることがわかる。ただ、亜麻布は、その思いを自分だけにずる言葉、すなわち商品の言葉でもらすだけである。人間労働の抽象的な属性で労働が亜麻布自身の価値を形成することをいうために、亜麻布は、上衣が、亜麻布に等しいとされ、したがって価値であるかぎりにおいて、亜麻布と同一の労働から成っているという風に言うのである。亜麻布の森厳なる価値対象性が、そのゴワゴワした布の肉体とちがっているというために、亜麻布は、価値が上衣に見え、したがって、亜麻布自身が価値物としては、卵が他の卵に等しいと同じように、上衣に等しいという風に言うのである。ついでに述べておくと、商品の言葉も、ヘブライ語でほかに、なお多くの多少正確さのちがったいろいろの方言をもっている。ドイツ語の „Wertsein“ 〔価値あり〕 という言葉は、例えば、ローマン語の動詞 valere, valer, valoir 〔上から順次にイタリア語・スペイン語・フランス語。……訳者〕 ほどにはっきりと、商品Bを商品Aと等置することが、商品A自身の価値表現であるということを表現しない。パリは確かにミサに値する!(Paris vant bien une messe !)〔アンリ4世はパリを支配下において王位につくために、新教から旧教に改宗した。そのとき右の言葉を発したといわれている。……訳者〕。(岩波文庫p.97)


 3 等価形態  3. Die Äquivalentform
 
 1. われわれはこういうことを知った、すなわち、商品A(亜麻布)が、その価値を異種の商品B(上衣)という使用価値に表現することによって、Aなる商品は、Bなる商品自身にたいして独特な価値形態〔価値の形式〕、すなわち、等価の形態〔等価の形式〕を押しつけるということである。亜麻布商品は、それ自身の価値たること Wertsein をば、次のことによって現わしてくる、すなわち、自分にたいして上衣が、その肉体形態とことなった価値形態をとることなくして、等しいものとして置かれるということである。このようにして、亜麻布は自分自身価値であることを、実際には上衣が直接に自分と交換しうるものであるということをつうじて、表現するのである。 一商品の等価形態は、それゆえに、この商品の他の商品にたいする直接的な交換可能性の形態である。(岩波文庫p.103)

8. 一商品、例えば亜麻布の相対的価値形態は、その価値たること Wertsein を、何かその物体と物体の属性とから全く区別されたものとして、例えば、上衣に等しいものとして、表現しているのであるが、この表現自身が、一つの社会関係を内にかくしていることを示唆している。等価形態では逆になる。等価形態であるゆえんは、まさに、一商品体、例えば上衣が、あるがままのものとして価値を表現し、したがって、自然のままのものとして、価値形態をもっているということの中にあるのである。このことは、もちろんただ亜麻布商品が、等価としての上衣商品にたいして関係させられた価値関係の内部においてだけ、妥当することなのである。 しかし、一物の属性は、他物にたいするその関係から発生するのではなくて、むしろこのような関係においてただ実証されるだけのものであるから、上衣もその等価形態を、すなわち、直接的な交換可能性というその属性を、同じように天然にもっているかのように、それはちょうど、重いとか温いとかいう属性と同じもののように見える。 (岩波文庫p.106)


第3章 貨幣または商品流通
 第2節流通手段 a 商品の変態 
   2. Zirkulationsmittel a) Die Metamorphose der Waren

4. 商品は、まず最初は金メッキもされないで、砂糖もふりかけられないで、あるがままの姿で交換過程にはいる。交換過程は、諸商品の商品と貨幣とへの二重化を生ぜしめる。すなわち、一つの外的な対立を生ぜしめる。この対立の中に、商品は、使用価値と価値の内在的対立を示しているのである。この対立において、諸商品は使用価値として、交換価値としての貨幣に相対する。他方において、対立の両側は商品である。したがって、使用価値と価値の統一である。しかしながら、この差別の統一は、両極のおのおのにおいて逆に表示されている。そしてこのことによって、同時に、両極の相互関係が示されているのである。商品は現実に使用価値である。その価値たること Wertsein は、ただ観念的に価格に現われる。価格は、商品を、その実在的な価値態容として対立する金に、関係せしめる。逆に、金材料は価値体化物として、貨幣としてのみ働いている。したがって、貨幣は現実に交換価値である。その使用価値は、ただ観念的に相対的な価値表現の序列の中に現われるにすぎない。この表現において貨幣は、相対する諸商品に、これをその現実的な使用態容の全範囲として関係する。商品のこれらの対立的な形態は、その交換過程の現実的な運動形態である。 (岩波文庫p.186)
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