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Gallert ガラート 膠状物,凝結・凝固 2022.12
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■価値方程式と連立方程式2022.11.27
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成素ーElement_検索2022.11.28
Element - Elementarform2020.07.22
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価値方程式 Wertgleichung の元素形式 Elementarform
- Element と Gallert -
http://www.marx2016.com/bs_sihonron_element-gallert_01.html#1_houteisiki
<コラム2> 『資本論』のGallert
/ 膠状物・凝結物 と 萌芽Keim 2016.12.06
http://www.marx2016.com/sn_column2_gallert-keim.html#4soutaitekikatikeitai
抽象的に人間的な労働
abstrakt menschliche Arbeit
http://www.marx2019.com/link_abstrakt-menschliche-arbeit.html
Element 成素と要素
http://marx2016.com/yg_element-seiso-youso202004.html
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>>◆成素ーElement_検索2022.11.28
→Element - Elementarform2020.07.22
1.成素 >『資本論』
2.交換価値と貨幣形態の表現方式としての “価値方程式”
3.Element
4.Gallert検索2022.11.28 >メモ帳
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◆ ◆ Gallert検索2022.11.28 >メモ帳
→Element-Gallert集計2020.07.26
→Gallert戦記2022.11—01ーHP掲載
→成素、Element 『資本論』本文検索
→Element と Gallert 両者検索2019.10.31
当座保存2022.09.15>2022.07.17>2022.03.24>資本論関係
Ⅱ. 商品世界のElement - 労働膠状物 Arbeitsgallert
http://www.marx2016.com/yg_4_gallert_gerinnen.html
1.>膠状物 2/2 ◆Gallert
第1節 商品の2要素 使用価値と価値 (価値実体、価値の大いさ)
1-12 われわれはいま*18 労働生産物の残りをしらべて見よう。もはや、*19 妖怪のような同一の対象性いがいに、すなわち、無差別な人間労働に、いいかえればその支出形態を考慮すること のない、人間労働力支出の、単なる膠状物というもの意外に、労働生産物から何物も残って いない。これらの物は、ただ、なおその生産に人間労働力が支出されており、人間労働が累 積されているということを表わしているだけである。*19これらの物は、おたがいに共通な、こ の社会的実体の結晶として、価値―商品価値である。
第2節 商品に表わされた労働の二重性
2-11 したがって、上衣や亜麻布という価値においては、その使用価値の相違から抽象されているように、これらの価値に表わされている労働においては、その有用なる形態である裁縫や機織の相違から抽象されている。上衣や亜麻布という使用価値が、目的の定められた生産的な活動と布や撚糸との結合であるように、上衣や亜麻布という価値が、これと反対に、単なる同種の労働膠状物であるように、これらの価値に含まれている労働も、布や撚糸にたいするその生産的な結びつきによるのでなく、ただ人間労働力の支出となっているのである。上衣や亜麻布という使用価値の形成要素は、裁縫であり、機織である。まさにそれらの質がちがっていることによってそうなるのである。それらの労働が上衣価値や亜麻布価値の実体であるのは、ただそれらの特殊な質から抽象され、両者が同じ質、すなわち人間労働の性質をもっているかぎりにおいてである。
2.>凝結
◆1-16 そんなわけで、ある使用価値の価値の大いさを規定するのは、ひとえに、社会的に必要な労働の定量、またはこの使用価値の製造に社会的に必要な労働時間にほかならないのである(原注9)。個々の商品は、このばあい要するに、その種の平均見本にされてしまう。(原注10)同一の大いさの労働量を含む商品、または同一労働時間に製作されうる商品は、したがって、同一の価値の大いさをもっている。ある商品の価値の他の商品のそれぞれの価値にたいする比は、ちょうどその商品の生産に必要な労働時間の、他の商品の生産に必要な労働時間にたいする比に等しい。
「*21 価値としては、すべての商品は、ただ凝結せる労働時間の一定量であるにすぎない。」(原注11)
◆2 相対的価値形態
a 相対的価値形態の内実
4. 価値としては、商品は人間労働の単なる凝結物であると、われわれがいうとすれば、われわれの分析は、これらの商品を価値抽象に整約するのではあるが、これらの商品に、その自然形態とちがった価値形態を与えるものではない。一商品の他のそれにたいする価値関係においては、ことはちがってくる。その価値性格は、この場合には、それ自身の他の商品にたいする関係によって現われてくる。
6. だが、亜麻布の価値をなしている労働の特殊な性質を表現するだけでは、充分でない。流動状態にある人間労働力、 すなわち人間労働は、価値を形成するのではあるが、価値ではない。それは凝結した状態でin geronnenem Zustand,、すなわち、対象的な形態でin gegenständlicher Form価値となる。人間労働の凝結物としての亜麻布価値を表現するためには、それは、亜麻布自身とは物的に相違しているが、同時に他の商品と共通に亜麻布にも存する「対象性"Gegenständlichkeit"」として表現されなければならぬ。課題はすでに解決されている。
◆3 等価形態
9. 等価のつとめをしている商品の物体は、つねに抽象的に人間的な労働の体現として働いており、しかもつねに一定の有用な具体的労働の生産物である。したがって、この具体的労働は、抽象的に人間的な労働の表現となる。例えば、上衣が、抽象的に人間的な労働の単なる実現となっているとすれば、実際に上衣に実現されている裁縫が、抽象的に人間的な労働の単なる実現形態として働いているわけになる。亜麻布の価値表現においては、裁縫の有用性は、裁縫が衣服をつくり、したがってまた人をもつくる〔ドイツには「着物は人をつくる」という諺がある。訳者〕ということにあるのでなく、次のような一つの物体をつくるところにあるのである。
すなわちこの物体にたいして、人は、それが価値であるという風に、したがって、亜麻布価値に対象化されている労働から少しも区別されない、労働の凝結物(ぎょうけつぶつ)であるというように、みなしてしまうのである。このような一つの価値鏡を作るために、裁縫自身は、人間労働であるというその抽象的な属性以外には、何ものをも反映してはならない。
◆B 総体的または拡大せる価値形態
z量商品A= u量商品B または v量商品C または = w量商品D または = x量商品E または =その他
(亜麻布20エレ=上衣1着 または =茶10ポンド または =コーヒー40ポンド または =小麦1クウォーター または =金2オンス または =鉄1/2トン または =その他 )
1 拡大された相対的価値形態
1. 一商品、例えば、亜麻布の価値は、いまでは商品世界の無数の他の成素に表現される。すべての他の商品体は亜麻布価値の反射鏡となる(23)。こうしてこの価値自身は、はじめて真実に無差別な人間労働の凝結物として現われる。なぜかというに、価値を形成する労働は、いまや明瞭に、一切の他の人間労働がそれに等しいと置かれる労働として、表わされており、その労働がどんな自然形態をもっていようと、したがって、それが上衣に対象化せられようと、小麦や鉄または金等々に対象化せられようと、これを問わないからである。したがって、いまや亜麻布は、その価値形態によって、もはやただ一つの個々の他の商品種と社会関係にあるだけでなく、商品世界と社会関係に立っているのである。それは、商品としてこの世界の市民なのである。同時に、この市民たる表現の無限の序列の中にあるから、商品価値は、使用価値が、どんな形態であろうと、その特別の形態にたいして、無関心であることにもなるわけである。
◆C 一般的価値形態
1 価値形態の変化した性格 Veränderter Charakter der Wertform
7. 商品世界の一般的な相対的価値形態は、この世界から排除された等価商品である亜麻布に、一般的等価の性質をおしつける。亜麻布自身の自然形態は、この世界の共通な価値態容であり、したがって、亜麻布は他のすべての商品と直接に交換可能である。この物体形態は、一切の人間労働の眼に見える化身として、一般的な社会的な蛹化(ようか)としてのはたらきをなす。機織という亜麻布を生産する私的労働は、同時に一般的に社会的な形態、すなわち、他のすべての労働との等一性の形態にあるのである。一般的価値形態を成立させる無数の方程式は、順次に亜麻布に実現されている労働を、他の商品に含まれているあらゆる労働に等しいと置く。そしてこのことによって、機織を人間労働そのものの一般的な現象形態にするのである。このようにして、商品価値に対象化されている労働は、現実的労働のすべての具体的形態と有用なる属性とから抽象された労働として、たんに否定的に表示されるだけではない。それ自身の肯定的性質が明白に現われるのである。それは、すべての現実的労働を、これに共通なる人間労働の性質に、人間労働力の支出に、約元したものなのである。
労働生産物を、無差別な人間労働のたんなる凝結物として表示する一般的価値形態は、それ自身の組立てによって、それが商品世界の社会的表現であるということを示すのである。このようにして、一般的価値形態は、この世界の内部で労働の一般的に人間的な性格が、その特殊的に社会的な性格を形成しているのを啓示するのである。
◆ 第2章 交換過程
15. 先に述べたように、ある商品の等価形態は、その価値の大いさの量的規定を含んでいない。金が貨幣であり、したがって、すべての他の商品と直接に交換されうるということを知っても、これによっては、例えば10ポンドの金は、どれだけの価値をもっているかを知ったことにはならない。すべての商品と同じように、金〔カウツキー版・ポール英訳版では金、初版から第3版までは貨幣、エンゲルス版も貨幣、アドラツキー版・ディーツ『全集』版も貨幣であるが、前後の関係から金とした。……訳者〕は、それ自身の価値の大いさを、相対的に、他の商品で表現するほかない。それ自身の価値は、その生産に要した労働時間によって規定される。そして一切の他の商品の一定量で表現される。これら商品にも同一量の労働時間が凝結している(48)。このように金の相対的な価値の大いさの確定は、その生産源でなされる直接の物々交換で行なわれる。それが貨幣として流通にはいると同時に、その価値はすでに与えられている。すでに第17世紀の最後の10年間に、貨幣が商品であるということを知るために、ずっと突き進んだ貨幣分析の開始がなされているのであるが、これはやはり開始にすぎないものである。困難は、貨幣が商品であるのを理解することよりも、商品は、いかにして、なぜに、何によって、貨幣であるかを理解することにある(49)。
◆凝固
凝固した労働時間
bestimmte Masse festgeronnener Arbeitszeit>p.29
第2部 『資本論』第3篇第5章労働過程と価値増殖過程
http://www.mlwerke.de/me/me23/me23_192.htm
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■1.
Die zwei Faktoren der Ware: Gebrauchswert und Wert(Wertsubstanz, Wertgröße)
11. Betrachten wir nun das Residuum der Arbeitsprodukte. Es ist nichts von ihnen übriggeblieben als dieselbe gespenstige Gegenständlichkeit, eine bloße Gallerte unerschiedsloser menschlicher Arbeit, d.h. der Verausgabung menschlicher Arbeitskraft ohne Rücksicht auf die Form ihrer Verausgabung. Diese Dinge stellen nur noch dar, daß in ihrer Produktion menschliche Arbeitskraft verausgabt, menschliche Arbeit aufgehäuft ist. Als Kristalle dieser ihnen gemeinschaftlichen Substanz sind sie Werte - Warenwerte.
2.
■2. Doppelcharakter der in den Waren dargestellten Arbeit
10. Wie also in den Werten Rock und Leinwand von dem Unterschied ihrer Gebrauchswerte abstrahiert ist, so in den Arbeiten, die sich in diesen Werten darstellen, von dem Unterschied ihrer nützlichen Formen, der Schneiderei und Weberei. Wie die Gebrauchswerte Rock und Leinwand Verbindungen zweckbestimmter, produktiver Tätigkeiten mit Tuch und Garn sind, die Werte Rock und Leinwand dagegen bloße gleichartige Arbeitsgallerten, so gelten auch die in diesen Werten enthaltenen Arbeiten nicht durch ihr produktives Verhalten zu Tuch und Garn, sondern nur als Verausgabungen menschlicher Arbeitskraft. Bildungselemente der Gebrauchs- <60> werte Rock und Leinwand sind Schneiderei und Weberei eben durch ihre verschiednen Qualitäten; Substanz des Rockwerts und Leinwandwerts sind sie nur, soweit von ihrer besondren Qualität abstrahiert und beide gleiche Qualität besitzen, die Qualität menschlicher Arbeit.
■2. Die relative Wertform
a) Gehalt der relativen Wertform
4. Sagen wir: als Werte sind die Waren bloße Gallerten menschlicher Arbeit, so reduziert unsre Analyse dieselben auf die Wertabstraktion, gibt ihnen aber keine von ihren Naturalformen verschiedne Wertform. Anders im Wertverhältnis einer Ware zur andern. Ihr Wertcharakter tritt hier hervor durch ihre eigne Beziehung zu der andern Ware.
6. Es genügt indes nicht, den spezifische Charakter der Arbeit auszudrücken, woraus der Wert der Leinwand besteht. Menschliche Arbeitskraft im flüssigen Zustand oder menschliche Arbeit bildet Wert, aber ist nicht Wert. Sie wird Wert in geronnenem Zustand, in gegenständlicher Form. Um den Leinwandwert als Gallerte menschlicher Arbeit auszudrük- <66> ken, muß er als eine "Gegenständlichkeit" ausgedrückt werden, welche von der Leinwand selbst dinglich verschieden und ihr zugleich mit andrer Ware gemeinsam ist. Die Aufgabe ist bereits gelöst.
■3. Die Äquivalentform
9. Der Körper der Ware, die zum Äquivalent dient, gilt stets als Verkörperung abstrakt menschlicher Arbeit und ist stets das Produkt einer bestimmten nützlichen, konkreten Arbeit. Diese konkrete Arbeit wird also zum Ausdruck abstrakt menschlicher Arbeit. Gilt der Rock z.B. als bloße Verwirklichung, so die Schneiderei, die sich tatsächlich in ihm verwirklicht, als bloße Verwirklichungsform abstrakt menschlicher Arbeit. Im Wertausdruck der Leinwand besteht die Nützlichkeit der Schneiderei nicht darin, daß sie Kleider, also auch Leute, sondern daß sie einen Körper macht, dem man es ansieht, daß er Wert ist, also Gallerte von Arbeit, die sich durchaus nicht unterscheidet von der im Leinwandwert vergegenständlichten Arbeit. Um solch einen Wertspiegel zu machen, muß die Schneiderei selbst nichts widerspiegeln außer ihrer abstrakten Eigenschaft, menschliche Arbeit zu sein.
■B) Totale oder entfaltete Wertform
1. <77> z Ware A = u Ware B oder = v Ware C oder = w Ware D oder = x Ware E oder = etc.
(20 Ellen Leinwand = 1 Rock oder = 10 Pfd. Tee oder = 40 Pfd. Kaffee oder = 1 Quarter Weizen oder = 2 Unzen Gold oder = 1/2 Tonne Eisen oder = etc. )
1. Die entfaltete relative Wertform
1. Die entfaltete relative Wertform
1. Die Wert einer Ware, der Leinwand z.B., ist jetzt ausgedrückt in zahllosen andren Elementen der Warenwelt. Jeder andre Warenkörper wird zum Spiegel des Leinwandwerts.(23) So erscheint dieser Wert selbst erst wahrhaft als Gallerte unterschiedsloser menschlicher Arbeit. Denn die ihn bildende Arbeit ist nun ausdrücklich als Arbeit dargestellt, der jede andre menschliche Arbeit gleichgilt, welche Naturalform sie immer besitze und ob sie sich daher in Rock oder Weizen oder Eisen oder Gold usw. vergegenständliche. Durch ihre Wertform steht die Leinwand daher jetzt auch in gesellschaftlichem Verhältnis nicht mehr zu nur einer einzelnen andren Warenart, sondern zur Warenwelt. Als Ware ist sie Bürger dieser Welt. Zugleich liegt in der endlosen Reihe seiner Ausdrücke, daß der Warenwert gleichgültig ist gegen die besondre Form des Gebrauchswerts, worin er erscheint.
■C) Allgemeine Wertform
1. Veränderter Charakter der Wertform
9. Die allgemeine Wertform, welche die Arbeitsprodukte als bloße Gallerten unterschiedsloser menschlicher Arbeit darstellt, zeigt durch ihr eignes Gerüste, daß sie der gesellschaftliche Ausdruck der Warenwelt ist. So offenbart sie, daß innerhalb dieser Welt der allgemein menschliche Charakter der Arbeit ihren spezifisch gesellschaftlichen Charakter bildet.
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拡大せる□ entfaltete□(価値形態の第2)□
□『資本論』の第1章第3節価値形態または交換価値
□B総体的または拡大せる価値形態
□ z量商品A= u量商品B または v量商品C または = w量商品D または = x量商品E または =その他
(亜麻布20エレ=上衣1着 または =茶10ポンド または =コーヒー40ポンド または =小麦1クウォーター または =金2オンス または =鉄1/2トン または =その他 )
■拡大された相対的価値形態
「一商品、例えば、亜麻布の価値は、いまでは商品世界の無数の他の成素Element に表現される。すべての他の商品体は亜麻布価値の反射鏡 (Spiegel.鏡
)となる。こうしてこの価値自身は、はじめて真実に無差別な人間労働の凝結物 Gallerte として現われる。」
*詳細資料→[「拡大せる (entfaltete:Entfaltung.展開(「小論理学」)」の用法は、ヘーゲル小論理学(Entfaltung展開)§143補遺、145補遺・・・作業中・・・]□
*関連資料→[「総体的Totale」価値形態 参照]
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形態学(けいたいがく)▼資料へ移行
→シンガー生態学の基礎
1. 形態学 解説:高橋義人ー岩波哲学・思想事典より
〔英〕morphology〔独〕Morphologie
文学者でもあり自然科学者でもあったゲーテによって1817年に創始された学。従来のリンネ風の自然史が生命のないモザイクにしかすぎないことに気づいたゲーテは、生物の生きた形態、変化生成する形態を捉えるものとして形態学を提唱した。彼が創刊した『形態学』誌創刊号の裏扉には「有機的自然の形成と変形」と記されているが、これが、ゲーテによる形態学の定義である。
【メタモルフォーゼ Metamorphose】 ゲーテ形態学の中心概念をなすのは、メタモルフォーゼと原型である。それまでは昆虫についてしか用いられなかったメタモルフォーゼ(変態)の概念を、ゲーテは初めて植物や動物にも適用した。植物の基本的な器官である葉は収縮と拡張を繰り返しながら、子葉、茎の葉、萼がく、花弁、雄蕊・雌蕊おしべ・めしべ、そして果実へとメタモルフォーゼしていく。また脊椎動物の骨格の基本的な器官である椎骨は、椎骨、頸骨、尾骨、胸骨などへとメタモルフォーゼし、骨格の全体を形成する。
〔編集部注:萼がく=花の一番外側の、花びらを囲む部分。花は1つの枝が短縮し,その枝の葉がそれぞれ,花の各部分に変形したもの。その葉的器官が花葉である。雄蕊・雌蕊おしべ・めしべ=花の生殖器官。花弁=花びら〕
【原型】 動植物がいかにメタモルフォーゼしたとしても、動物は動物の形態を、植物は植物の形態を
保持しつづける。そこでゲーテは、動物や植物の「本質的な形」を原型と呼んだ。植物の原型は原植物と呼ばれることもある。後にヘッケルはゲーテをダーウィン以前の進化論の創始者と見なし、原植物を原始的な植物のことと解したが、これは誤りである。原型は、生物分類学の基礎をなすものだった。この学において原型は、多種多様な生物の比較の基準となるばかりではなく、ある生物の器官と他の生物の器官が形態構造のなかで同一の位置を占め、〈類似〉ないしは〈相同〉の関係にあることを示す。
〔編集部注:相同=形は違っているが,発生学的にみれば同じ起源に由来した器官同士である場合の関係をいう。たとえばヒトの手、ウマの前肢、コウモリの翼、クジラの胸鰭 (むなびれ) などの関係がそうである。さらに広く考えると鳥の翼もこれらと相同であるが、一方昆虫の翅は起源が異なるので、相似であるという。(ブリタニカ国際大百科事典)〕
【20世紀の形態学】 ゲーテ形態学は、20世紀の生物学ではボルトマンやレマーネ等によって継承された。彼らは、細胞や遺伝子の研究など、ミクロなレベルで行なわれる分析的な生物学を批判して、生物の〈形〉を捉える形態学を再興し、さらには形態学と進化論の統合をめざした。20世紀において形態学は、人文科学の方法論上の原理ともなった。カッシーラーはゲーテ形態学のうちに、〈抽象的普遍〉ではない〈具体的普遍〉の可能性を見いだしたし、人智学を唱えたシュタイナーは、形態学をく有機体学〉として無機的な近代科学に対置せしめた。シュペングラーの〈世界史の形態学〉、シュプランガーの〈文化形態学〉、プロップの〈昔話の形態学〉など、新種の形態学も次々と登場した。ギンズブルグはプロップの影響の下に、形態学と歴史の統合をめざした。ディルタイ学派の解釈学やゲシュタルト心理学にも形態学との強いつながりが認められる。さらに形態学は、チョムスキーやレヴィ=ストロ-スなど、構造主義にも多大の影響を与えた。そのため生物学のなかでは、形態学を構造主義的生物学と見なす立場が生まれたが、他方、オートポイエーシスこそメタモルフォーゼ論を真に継承するものだと主張する立場もある。
{文献Jゲーテ(高橋義人編訳・前田富士男訳)『自然と象徴』冨山房、1982;高橋義人『形態と象徴』岩波書店、1988;高橋義人「形態学と歴史学」『講座・現代思想』12. 岩波書店、1994。 [高橋義人]
(2019.07.11)
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元素Elementの分類と組織化 2020.07.25
目次
1.化学元素とは
2.元素の周期律とは
3.元素の周期表とは
4.元素の周期律・表の科学史上の意義
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1.化学元素とは
18世紀後半から19世紀前半にかけて化学の発展に伴い元素が数多く発見され、ラヴォアジエが作成したリストでは1789年に33個の元素が記載された。その後ドルトンは、水素原子の質量を1として相対原子質量(原子量)の表を出版した。
1830年までにその数は55種まで増えたが、それとともに元素は一体何種類あるのか、そしてこの増大してゆく元素に何かしらの法則性が隠されていないのだろうかという課題が明らかになった。このようにして、物質を構成する基本単位である元素を、化学上の元素で表現し、他の分野で用いられる元素と区別して限定する場合に、「化学元素」と認識されるようになった。
2.元素の周期律とは
化学元素を原子量順に並べると、元素の性質が周期的・巡回的によく似た性質が出現する。1860年代に研究がすすみ、1869年、ロシアのメンデレーエフによって「原子量順に元素を並べると、元素の性質が周期的に変わる」という周期律が提案された。
当時60種ほどの元素が知られていたが、原子量順の周期性を持続するとき、周期律の数か所で未知の元素が現れていた。メンデレーエフは、「未発見の元素」として扱い、その性質の元素がいずれ発見されると予言した。その後、1875年にガリウム、1879年にスカンジウム、1886年にゲルマニウムと次々と新元素が発見され、メンデレーエフの周期律が科学的に証明されることになった。
3.元素の周期表とは
物質を構成する化学元素が持つ物理的または化学的性質を「似たもの同士が並ぶように決められた規則(周期律)に従って配列した表」をいう。
現在利用されている周期表は、1869年メンデレーエフによって提案された「原子量順に並べた元素が近似した性質を示す周期的な特徴を配列した表」に始まる。
4.元素の周期律・表の科学史上の意義
元素の周期的分類は、科学で行われた最も偉大で価値のある一般化の一つと評価されている。この分類法は、「元素を組織化する原理」であり、「元素の性質と原子量の周期律を組織化の原理」としている。その結果、メンデレーエフは、元素を同定し定義するときの基本的な量を確立し、未知の元素を予言することが可能となった。
20世紀には、周期律の意味が原子構造論の言葉で説明されるようになり、原子番号の概念とラザフォードの原子核とが相互に結びつくことによって現代的に再定義された。
■21世紀の定義
*元素の周期律:元素を原子番号順に並べると、化学的性質の似た元素が周期的に現われる。これを元素の周期律(periodic law)という。
*元素の周期表:元素を原子番号順に並べ、化学的性質が似た元素が縦に並ぶようにした表を周期表(periodic table)という。
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あああ
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1. 成素形態:エレメンターフォルム Elementarform
第1編 商品と貨幣 第1章 商品
第1節 商品の2要素 使用価値と価値(価値実体、価値の大いさ)
資本主義的生産様式の支配的である社会の富は、「巨大なる商品集積」として現われ、個々の商品はこの富の成素形態〔Elementarform〕として現われる。したがって、われわれの研究は商品の分析をもって始まる。
向坂訳「成素」と訳されたElementは、ラテン語に語源がある。もともとは、古代ギリシャ語からの翻訳語である。アリストテレスの翻訳者、出 隆は次のように解説を行っている。(『アリストテレス哲学入門』
「万物の「もとのもの」(原理)を求めていわゆる四元素をあげ、これらを、ここに「構成要素」と意訳された原語でまた、“stoicheia” 〔ストイケイア〕 と呼んだ最初の人と伝えられるエンペドクレスが挙げられようが、続くアナクサゴラスや原子論者など前第5世紀の自然学者たちも入れてよかろう。この構成要素、要素、元素、原理などと訳される“stoicheia”(単数形ではstoicheion)というのは、もともとギリシャ語で一般に一つの語またはその音節・語節(syllabe)を構成する要素としての「字母」(アルファベット、abc、いろは)を指す語であり、そこでこの語がローマの学者ではおそら<a b c >のようなものという代わりに「 l m n のようなもの」というほどの意味でか“elementa”と訳し用いられ、ここから近代語では英語なら“elements”や“elemental”等々、そしてこれらが日本語では「元素、要素、原理」や「初歩的、原理的」等々と訳されるに至った。なお、推論を成す前提原理、知識の根本命題などの意から、後にラテン語名“Elementa”(英“Elements”)で知られるユークリッドの『幾何学原理』もこの語で“stoicheia”または“stoicheiοsis”と呼ばれたが、これは、この書に集められた幾何学の公理・定義・定理などの諸命題が幾何学的世界を構成する基本的要素と解されたからである。」
また、ヘーゲル『精神現象学』の翻訳では、
岩波書店・金子武蔵(1971年)、河出書房新社・樫山欽四郎(1973年)がElementを「成素」と訳すなど、哲学の世界ではこの『成素』なる用語が古くから流通している。向坂訳は、こうした哲学書の伝統的翻訳語を踏襲してものと推察される。
(詳細は「ヘーゲル哲学のはじめHP3月号」参照<2018.11.20改訂作業中です)
■『精神現象学』 a 自然の観察 (河出書房新社 161-162ページ)
「再生は有機体の形式的概念をつまり感受性を、表現している。だが再生は本来から言えば有機体の現実的な概念であり、また全体である。この全体は、個体としては自己自身の個々の部分を生み出すことにより、類としては個体を生み出すことによって、自己に帰る。
有機体の成素の別の意味つまり外なるものの意味は、それらが形をえた姿である。この形によればこれらの成素は現実的部分として、だが同時にまた一般的な部分、つまり有機的な組織として現存している。感受性は、たとえば神経組織として、再生は個体及び類を保存するための内臓として現存している。」
(なお、岩波書店・金子武蔵訳 『精神の現象学』 (上巻1971年)の「成素」は269ページ参照)
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呪物崇拝Fetishism (じゅぶつすうはい) ウィキペディア一部改変
呪物崇拝20121006 ウィキペディア一部改変
(物神崇拝、物神礼拝)
呪物崇拝 (じゅぶつすうはい、英語:Fetishism,フランス語:Fétichisme) とは、フェティッシュ(呪物または物神)に対する崇拝を意味し、呪術的宗教の一つの形態である。
崇拝の対象となるフェティッシュとは、超自然的な力を備えていると信じられる自然物(石とか植物の種子)で、とりわけ、人間が造った物品で、普通の製作品を凌駕する、圧倒的に大きな超自然的な力を備えるもののことである。フランス語のフェティシュ(fétiche)から来ているが、この語はポルトガル語の「フェイティソ(呪符・護符 feitiço )」から転用された語で、更に遡ると、「製作する」という意味のラテン語の動詞 facere から派生した形容詞 facticius、すなわち「人工の(もの)」が元々の語源にある[1]。
歴史 このフェティッシュという概念は、1757年に、西アフリカの宗教と古代エジプトの宗教における魔術的位相を比較研究していた折に、シャルル・ド・ブロスによって造られたものである[2]。ド・ブロスと18世紀の彼の同僚の学者たちは、この概念を、進化論を宗教に適用する目的で使った。宗教の進化に関する理論において、ド・ブロスは、呪物崇拝(フェティシズム)がもっとも初期の(もっとも原始的な)宗教の段階に当たり、これに続いて多神教と唯一神教の段階があるのであり、宗教における抽象化思考の進展を示していることを主張した。
19世紀においては、ハーバート・スペンサーなどの哲学者たちは、呪物崇拝が「原初宗教」であったとするド・ブロスの理論を否定した。同じ世紀において、E・B・タイラーやJ・F・マクレナンなどの人類学者や比較宗教学者たちが、呪物崇拝を説明するため、アニミズムやトーテミズムの理論を発展させた。
タイラーとマクレナンは、呪物崇拝の概念を通じて宗教歴史学者たちは、人間と神のあいだの関係から人間と物品のあいだの関係へと、関心を切り替えることが可能になったと考えた。彼らはまた、この概念によって、彼ら自身が歴史と社会学における中心問題として「誤謬」だと見なしていた、自然の出来事に関する因果的説明のモデルが確立されたとも考えた。
儀式 理論的には、呪物崇拝はあらゆる宗教にあって存在するが、宗教の研究でのこの概念の用例は、伝統的な西アフリカの宗教的信仰や、そこから派生したヴードゥー教の研究から導出された。
血液はしばしば、もっとも魔力の強い呪物あるいは呪物の原料と見なされた。アフリカの幾つかの地域では、白人の髪の毛がまた魔力が強いと考えられていた。
「フェティシズム」の他の用例 [編集]
• 19世紀には、カール・マルクスが、資本主義における重要な要素としての物神崇拝を説明するため、この用語を流用した。
宗教学
宗教学(しゅうきょうがく)は、経験科学の様々な手法を用いて宗教を研究する学際的な学問である。英語圏の国々においては、"Science of Religion"、または"History of Religions"という名称の下に近代の大学制度に成立するが、近年は"Religious Studies"、"Study of Religion"が用いられることが多い。
もともとは神学の一部であった。現在では研究手法により、宗教社会学・比較宗教学・宗教心理学・宗教人類学などと分類される。特定宗教の教義の研究を行う神学・教学・宗学、あるいは宗教哲学とは区別される。広義の宗教学では、これらを含める場合もある。宗教学は経験科学の範囲内のみとするか、形而上学的範囲を含めるかは課題である。
宗教学は19世紀後半にヨーロッパにおいて成立した。欧米における経験科学の発達、および、植民地支配等による様々な宗教との接触が発生の背景にある。
宗教学研究の初期の段階では、キリスト教と他の宗教を比較検討することにより、宗教の一般的要素、普遍的要素の追求や進化・発展過程の研究が行われた。マクス・ミュラーによるインドの宗教研究に基づいた東洋と西洋の宗教の比較や、ジェームズ・フレイザーによる古代ギリシア・古代ローマの宗教、ヨーロッパ民間信仰、原始宗教の比較研究がこれにあたる。
また、社会学・心理学の発展において宗教はその研究対象となった。社会学の例として、エミール・デュルケームの『宗教生活の原初形態』や、マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』があげられる。
また、心理学においても、スターバックの宗教心理学や、ウィリアム・ジェームズの『宗教的経験の諸相』が19世紀末から20世紀はじめにかけて発表されている。また、文化人類学や民族学、民俗学においては、成立時より、多くの研究領域が重なっているといえる。
このように宗教学は、「宗教」という研究対象に対し、様々な研究方法を用いて研究が進められている。個々の研究は宗教学の研究であると同時に社会学・心理学・文化人類学等それぞれの研究であるとも言える。
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3. 化身(受肉) : インカネーションInkarnation
第3節 価値形態または交換価値 C 一般的価値形態
商品世界の一般的な相対的価値形態は、この世界から排除された等価商品である亜麻布に、一般的等価の性質をおしつける。亜麻布自身の自然形態は、この世界の共通な価値態容であり、したがって、亜麻布は他のすべての商品と直接に交換可能である。 この物体形態は、一切の人間労働の眼に見える化身として、 一般的な社会的な蛹化ヨウカ〔サナギになること〕としてのはたらきをなす。
化身と日本語に訳されたドイツ語Inkarnation は、もともとはキリスト教の「受肉」にあたります。『神学のよろこび 』(定評のあるキリスト教神学入門ガイド、・・)を参照しながら、「受肉」の検討をしましょう。
① イエス・キリストの人格についてキリスト教は、「受肉」という用語で議論されます。
「受肉」とはむずかし い言葉ですが、大切な言葉です。それはラテン語の「肉」に由来し、イエス・キリストが神にして人であるという根本的なキリスト教信仰を要約し、明確に主張しています。
受肉の考えは、キリストの秘儀についてのキリスト教的な反省のクライマックスです。イエス・キリストは神を啓示しておられるということ、彼は神を代理しているということ、神として、神に代わって語っており、また神として、神に代わって行動しているということ、それゆえ彼は神であるということ、受肉の考えは、こうしたことを承認することを意味します。(神が人間としてのイエス・キリストとして現われること。詳細は、「キリスト教神学のはじめ」を参照)
つぎに、化身(受肉)の箇所(『資本論』岩波文庫頁)を紹介します。
② 商品世界の一般的な相対的価値形態は、この世界から排除された等価商品である亜麻布に、一般的等価の性質をおしつける。亜麻布自身の自然形態は、この世界の共通な価値態容であり、したがって、亜麻布は他のすべての商品と直接に交換可能である。この物体形態は、一切の人間労働の眼に見える化身(受肉)として、一般的な社会的な蛹化としてのはたらきをなす。p.122
③ 土地の内奥から取り出されてきたままの金と銀とは、同時にすべての人間労働の直接的な化身(受肉)である。このようにして貨幣の魔術が生まれる。P.167
④ 価値の尺度として、また価格の尺度標準として、貨幣は二つの全くちがった機能を行なう。貨幣は、人間労働の社会的化身(受肉)として、価値の尺度である。確定した金属重量としては、価格の尺度標準である。貨幣は、価値尺度としては、雑多にちがっている商品の形態を価格に、すなわち、観念化された金量に転化するために用いられる。P.174
⑤ 貨幣は、自身商品であり、外的な物であって、どんな人の私有財産ともなることができる。こうして、社会的な力は、私人の力となる。したがって、古代社会は、貨幣を、その経済的なおよび道徳的な秩序の破壊者として非難する。すでにその幼年時代に、かのプルトゥスを、神をつかんで大地の中から引き出す近代社会は、金の聖杯を、そのもっとも固有なる生活〔生命〕原理の燦爛サンランたる化身(受肉)として、これに敬意をささげている。
『資本論』で「商品の物神性」を語るとき、「類似性を見出すためには、われわれは宗教的世界の夢幻境にのがれなければならない」と商品世界の物神的性格について述べています。キリスト教神学になじみのない私たちは、神の化身・受肉について考えるとき、ヘーゲル哲学が道しるべとなります。
後から「資本論のヘーゲル哲学」のなかで「存在とはなにか」を学んでゆきますが、現実的と思われている「一般的な存在」を次のように分析をしています。「対立しあっているもの(個別的なものは一般的なものに対立している)は同一である。個別的なものは、一般的なものへ通じる連関のうちにのみ存在する。一般的なものは、個別的なもののうちにのみ、個別的なものによってのみ存在する。」(レーニン『哲学ノート』)
これらの文脈から化身・受肉をイメージする場合、「一般的(普遍的)存在(神)を個別的なもの(人間としてのイエス・キリスト)によって存在する」具合に現段階では、とりあえず類推しておくことにします。「商品の物神性」に続いて、「三位一体」「ペルソナ」などのキリスト教神学用語が数多く使われていますので、後で「資本論とキリスト教神学」において検討を続けてゆきます。
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啓示 offenbaren, Offenbarung(けいじ)
啓示(けいじ)
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E5%95%93%E7%A4%BA/
[ 日本大百科全書(小学館) ]
revelation [英語] r v lation [フランス語] Offenbarung [ドイツ語]
人間の力では不可知の真理や神秘が、神などの超越者によって開示されること。啓示を意味する欧米語の源泉となっているギリシア語「アポカリュプシス」apok lypsisが、隠されているものの覆いが取り除かれることを意味しているように、啓示とは、人間の目には隠されている神的な神秘が覆いを取り去られて示される宗教的なできごとを意味する用語である。このような啓示のできごとに基づく宗教を啓示宗教といい、人間の自然的本性に基づいて宗教的神秘ないし神を認識しうると主張する自然宗教、理性宗教と対比される。宗教学の対象として取り上げられる実証的宗教、すなわち歴史的現象として対象化される宗教は啓示に基づく宗教であって、教祖、教典、教団組織などは、いずれも歴史的なできごととしての啓示を抜きにしては考えられない。たとえばセム的唯一神は、イスラム教では預言者ムハンマド(マホメット)に啓示され、『旧約聖書』ではモシェー(モーセ)に「アブラハム、イサク、ヤコブの神」として啓示され、さらには各時代の預言者を通して啓示される歴史の神である。キリスト教においては、さらに歴史的な存在であったイエス・キリストを通して神の啓示が与えられるだけではなく、イエス・キリストが神の啓示そのものである、という形で明瞭(めいりょう)な啓示宗教が成立する。とくにイエス・キリストが神の啓示といわれる場合、それは単なる知識の伝達にとどまらず、罪によって破れた関係の和解を求める意志の伝達として、主体的応答を求める招きの性格をもち、啓示が信仰によって対応されるべきことが明らかにされている。
[ 執筆者:熊澤義宣 ]
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啓示2015.1207 offenbaren, Offenbarung
1)一般的価値形態 D.30-9 J/p.89-9
・一般的価値形態は、この世界で労働の一般的に・・社会的な性格を形成している啓示する
・So offenbart sie, daß innerhalb dieser Welt der allgemein menschliche Charakter der
Arbeit ihren spezifisch gesellschaftlichen Charakter bildet.
2)物神的性格 D.39-10 J/p.100-11
・私的労働の社会的性格を、 ~ 誤訳可能性 ~
・Es ist aber ebendiese fertige Form - die Geldform - der Warenwelt, welche den
gesellschaftlichen Charakter der Privatarbeiten und daher die gesellschaftlichen Verhältnissen der Privatarbeiter sachlich verschleiert, statt sie zu offenbaren.
3) D.53-注33 J/p.107-注33
・啓示宗教 Offenbarung Gottes
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現象
現象は、現象としてだけあるわけでなく本質として現れる。
詳細資料→[本質―現象 Wesen ― Erscheinung]
関連用語→[本質・・・ を調べる]
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1>価値の比例論 抄録
比例論要約 (marx2016.com)
http://www.marx2016.com/11hireironyouyaku.html
2>
現象は、現象としてだけあるわけでなく本質として現れる。
詳細資料→[本質―現象 Wesen ― Erscheinung]
関連用語→[本質・・・ を調べる]
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価値形態□□□□□□□□□□
『資本論』の価値形態は、
第1形態□A 単純な、個別的な、または偶然的な価値形態□□□□□□□第2価値 B 総体的または拡大せる価値形態
第3価値 C 一般的価値形態
第4形態 D 貨幣形態
詳細資料→[第1・A、第2・B、第3・C、第4・D 下線を検索]
関連資料→[ ヘーゲル論理学・「価値形態 Wertform と形式 Form の二重性(2)参照 ]□□□□□□□□□
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個別的な□einzelne□(価値形態の第1)
□『資本論』の第1章第3節価値形態または交換価値
□A 単純な、個別的な、または偶然的な価値形態
x量商品A = y量商品B あるいは、x量の商品Aは y量の商品B に値する (亜麻布20エレ = 上衣1着 または20エレの亜麻布は1着の上着に値する)。「一切の価値形態の秘密は、この単純なる価値形態の中にかくされている。」
*詳細資料→[「個別的なeinzelne」]の用法は、ヘーゲル小論理学§126補遺,136補遺2,163,164・・・作業中・・・]
*関連資料→[「単純な」「偶然的な」価値形態 参照 ]
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偶然的な zufällige□(価値形態の第1)□
□『資本論』の第1章第3節価値形態または交換価値
□A 単純な、個別的な、または偶然的な価値形態
x量商品A = y量商品B あるいは、x量の商品Aは y量の商品B に値する (亜麻布20エレ = 上衣1着 または20エレの亜麻布は1着の上着に値する)。「一切の価値形態の秘密は、この単純なる価値形態の中にかくされている。」
*詳細資料→[「偶然的なzufällige」の用法は、ヘーゲル小論理学§136補遺2,166補遺,173補遺,186,・・・作業中・・・]
*関連資料→[ 必然性と偶然性。偶然性:§144,145,145補遺 ]□□
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拡大/展開せる□ entfaltete□展開ー(価値形態の第2)□
□『資本論』の第1章第3節価値形態または交換価値
□B総体的または拡大せる価値形態
□ z量商品A= u量商品B または v量商品C または = w量商品D または = x量商品E または =その他
(亜麻布20エレ=上衣1着 または =茶10ポンド または =コーヒー40ポンド または =小麦1クウォーター または =金2オンス または =鉄1/2トン または =その他 )
■拡大された相対的価値形態
「一商品、例えば、亜麻布の価値は、いまでは商品世界の無数の他の成素Element に表現される。すべての他の商品体は亜麻布価値の反射鏡 (Spiegel.鏡
)となる。こうしてこの価値自身は、はじめて真実に無差別な人間労働の凝結物 Gallerte として現われる。」
*詳細資料→[「拡大せる (entfaltete:Entfaltung.展開(「小論理学」)」の用法は、ヘーゲル小論理学(Entfaltung展開)§143補遺、145補遺・・・作業中・・・]□
*関連資料→[「総体的Totale」価値形態 参照 ]□□□
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価値実体と価値変化□Wertsubstanz /□Wertwechsel□□□
□『資本論』経済学批判 目次
第1章 商 品
第1節 商品の2要素 使用価値と価値
((1/3)価値実体Wertsubstanz、価値の大いさ)
■(2/3)価値実体 Wertsubstanz と 価値変化 Wertwechsel
第1篇 商品と貨幣
第1章 商 品
第3節 価値形態または交換価値
A 単純な、個別的な、または偶然的な価値形態
2 相対的価値形態 b 相対的価値形態の量的規定性
□1. 価値の表現せられるべきあらゆる商品は、15シェッフェルの小麦、100ポンドのコーヒー等というように、一定量の使用対象である。この与えられた商品量は、人間労働の一定量を含んでいる。したがって、価値形態は、ただに価値一般を表現するだけでなく、量的に規定された価値、すなわち価値の大いさをも表現しなければならぬ。商品Aの商品Bにたいする価値関係、亜麻布の上衣にたいする価値関係においては、したがって、上衣なる商品種は、ただに価値体一般として亜麻布に質的に等しいと置かれるだけでなく、一定の亜麻布量、例えば20エレの亜麻布にたいして、価値体または等価の一定量、例えば1着の上衣が等しいと置かれるのである。
2. 亜麻布20エレ=上衣1着 または亜麻布20エレは上衣1着に値する」という方程式は、1着の上衣のなかにまさに20エレの亜麻布の中におけると同じだけの量の価値実体がかくされているということ、両商品量は、したがって、おなじだけの労働が加えられている、または同一大いさの労働時間がかけられているということを前提とする。しかしながら、20エレの亜麻布または1着の上衣の生産に必要なる労働時間は、機織または裁縫の生産力における一切の変化とともに変化する。そこで、価値の大いさの相対的表現に及ぼすこのような変化の影響が、もっと詳細に研究されなければならぬ。
3. I 亜麻布の価値は変化するが(19)、上衣価値は不変であるとするばあい。亜麻布の生産に必要な労働時間が、例えば亜麻栽培地の豊度の減退の結果、2倍となったとすれば、その価値は2倍となる。亜麻布20エレ=上衣1着のかわりに、われわれは亜麻布20エレ=上衣2着という式をもつことになる。というのは、1着の上衣は、いまでは20の亜麻布の半ばだけの分量の労働時間を含むにすぎないのであるからである。これに反して、亜麻布の生産に必要な労働時間が半分だけ、例えば織台改良の結果、減少するとすれば、亜麻布価値は半分だけ低下する。したがってこんどは亜麻布20エレ=上衣1/2着となる。商品Aの相対的価値、すなわち、その商品Bに表現された価値は、このようにして、商品Bの価値を同一としても、商品Aの価値に正比例して上騰したり、低下したりするのである。
4. Ⅱ 亜麻布の価値は不変であって、上衣価値が変化するばあい。この事情のもとでは上衣の生産に必要な労働時間が、例えば羊毛剪截〔せんせつ:はさみで断ち切ること〕が不便とたったために、2倍となったとすれば、われわれは亜麻布20エレ=上衣1着という式のかわりに、いまでは亜麻布20エレ=上衣1/2着という式を得る。これに反して、上衣の価値が半分に低下したとすれば、亜麻布20エレ=上衣2着という式を得ることになる。したがって商品Aの価値を不変としても、商品Bで表現されるその相対的価値は、Bの価値変化と反比例で、低下したり上騰したりするのである。
5. I および Ⅱの項における各種のばあいを比較すると、次のような結果が生ずる。すなわち、相対的価値の同一なる量的変化が、全く相反した原因から発生しうるということである。このようにして、亜麻布20エレ=上衣1着という式から、(1)、亜麻布20エレ=上衣2着という方程式が出てくる。それは亜麻布の価値が2倍となったのか、または、上衣の価値が半ばに低下したのかによるのである。さらに、(2)、亜麻布20エレ=上衣1/2着という方程式も出てくる。それは亜麻布の価値が半分に低下したのか、または上衣の価値が2倍にのぼったからである。
6. Ⅲ 亜麻布と上衣の生産に必要な労働量は、同時に同一方向に同一割合で変化することもある。このばあいには、その価値がどんなに変化しても、依然として亜麻布20エレ=上衣1着である。この価値変化Wertwechselを発見するには、これらの二つの商品を、価値不変なる第三の商品と比較しさえすればよいのである。一切の商品の価値が、同時に同一割合で上騰または低下するならば、その相対的価値は不変にとどまるであろう。こんどは、この実際の価値変化は、同一労働時間に、以前より大きな商品量か、小さな商品量かが、同じように供給されるということから明らかとなるであろう。
7. Ⅳ 亜麻布と上衣の生産にそれぞれ必要な労働時間、したがって、それらの価値は、同時に同一の方向に変化するとしても、ちがった程度に変化するばあい、または反対の方向に変化するばあい等々がある。一商品の相対的価値にたいする、この種のあらゆる可能な組み合わせの影響は、簡単にI、Ⅱ、Ⅲのばあいの応用によって明らかとなる。
このようにして価値の大いさの現実の変化は、その相対的な表現において、あるいは相対的価値の大いさにおいて、曖昧さを残さず反映されるわけでも、剰(あま)すところなく反映されるわけでもない。一商品の相対的価値は、その価値が不変であっても変化しうる。その相対的価値は、その価値が変化しても、不変でありうる。そして最後に、その価値の大いさとその価値の大いさの相対的表現とにおける同時的変化は、決して相互に一致するわけのものではないのである(20)。
(20) 第2版への注。価値の大いさとその相対的表現との間のこの不一致は、俗学的経済学によってもちまえの鋭敏さで、利用しつくされている。例えば、「かりに、Aが低落するのは、その間にAにたいして支出される労働は減少しないとしても、その交換されるBが上騰するからであるということを承認するとしたらどうか。そうなったら、諸君の一般的な価値原理は崩壊するであろう。……もし、Aの価値は相対的にBにたいして上騰し、Bの価値は相対的にAにたいして低下するということを承認するならば、リカードが、一商品の価値はつねにこれに体現されている労働の量によって規定されるという、彼の大命題を樹立した基礎は、ゆらぐ。なぜかというに、もしAの費用における変化が、それが交換されるBにたいする比率において、それ自身の価値を変化させるだけでなく、Bの生産に要する労働量においてなんらの変化が起こらなかったにもかかわらず、相対的にAの価値にたいするBの価値をも変化させるとする力らば、一商品にたいして支出される労働量が、その価値を規制するということを主張する教義は、崩壊するだけでなく、一商品の生産費がその価値を規制するという教義も、亡びることになるからである」(J・ブロードハースト『経済学にかんする論策』ロンドン、1842年、11・14ページ)。
ブロードハースト氏は、これと同じように、こうも言うことができたのだ。こころみに10/20、10/50、10/100等々という数的比率を考えて見るといい。10なる数に変わりはない。だがしかし、その比、その分母たる20,50,100にたいする相対的な大いさは、不断に減少している。だから、10というような整数の大いさが、例えば、これに含まれている1の倍数によって「規制」されるという大原理は、崩壊してしまう、と。
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■(3/3)価値実体Wertsubstanz
C 一般的価値形態 1 価値形態の変化した性格
6. 亜麻布に等しいものの形態において、いまではあらゆる商品が、ただに質的に等しいもの、すなわち価値一般としてだけでなく、同時に量的に比較しうる価値の大いさとしても現われる。すべての商品が、その価慎の大いさを同一材料で、亜麻布で写し出すのであるから、これらの価値の大いさは、交互に反映し合うのである。例えば
茶10ポンド = 亜麻布20エレ、さらに コーヒー40ポンド = 亜麻布20エレ. したがって、茶10ポンド = コーヒー40ポンド というようにである。あるいは1ポンドのコーヒーには、ただ1ポンドの茶におけるものの4分の1だけの価値実体Wertsubstanz、すなわち、労働が含まれているというようにである。
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価値表現□Wertausdruck□□□□□□□□□□□
http://www.marx2019.com/yg_kati-hyougen_houteisiki.html
「ある商品の金における *価値表現* ―A商品x量=貨幣商品y量―は、その商品の貨幣形態であり、またはその価格である。こうなると、鉄1トン=金2オンスというような個々の方程式は、鉄価値を社会的に通用するように表示するために、充分なものとなる。方程式は、これ以上、他の諸商品の価値方程式と隊伍を組んで行進する必要がない。というのは、等価商品である金は、すでに貨幣の性質をもっているからである。したがって、商品の一般的な相対的価値形態は、いまや再びその本源的な、単純な、または個々的な相対的価値形態の姿をとるにいたっている。他方において、拡大された相対的 *価値表現* 、または相対的 *価値表現* の無限の列は、貨幣商品の特殊的に相対的な価値形態となっている。(第3章
貨幣または商品流通 第1節 価値の尺度)
1. 『資本論』 「価値表現」の形式 - x量商品A = y量商品B - において、採用されている「ヘーゲル論理学」のなかでも、第2部本質論が、「方程式の基礎 Leinwand = Rock ist die Grundlage der Gleichung.」を形成しています。そして、「その基礎 Grundlage (根拠)」となっているのが、ヘーゲルの 「A 現存在の根拠としての本質 Das Wesen als Grund der Existenz 」です。
2. さらに、「価値形態 Wertform (価値の形式)」の論理展開の根底・根拠には、ヘーゲル論理学の「C 現実性 Die Wirklichkeit 」があります。
3. 「価値表現」(価値表現の両極 Die beiden Pole des Wertausdrucks、すなわち相対的価値形態と等価形態)では、ヘーゲル「同一性 Identität」概念が不可欠であり、また、「価値形態の展開」では、ヘーゲルの「事柄と条件」( 『ヘーゲル論理学入門』 ▼条件-▼実在的可能性 )が、価値概念(事柄)の進展を“条件”づけしています。これらの相関関係の分析によって、はじめて「貨幣形式」の端緒形態である 商品体 Warenkörper ( すなわち、使用価値が同時にー交換価値の素材的担い手をなしている商品体 )を体感することが可能となります。
■商品の価値表現と方程式・価値方程式 <HP2016-コラム3>
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□会員ページ□□□□□□□□□
□会員ページ□『資本論』詳細案内
sihonron-sihonron-gest-1-1-01-02□□□□□□□□□
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系列―序列□□□□□□□□□
系列Reiheと序列Rang_2022.12.02
精選版 日本国語大辞典「系列」の解説 Reihe
系統立てられた物事や数の配列。また、(組織的な)つながりのある物事の集まり。
Reihe 列、行列、隊列、並び 2.順番、順序.3.連作、シリーズ. 秩序
6.まとまって存在するもの、 (数)級数
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じょ‐れつ【序列】 の解説 Rang
1 順序をつけて並べること。また、順に並ぶこと。
2 一定の基準に従って並べた順序。きまった順序。「―をつける」「年功―」
Rang 地位、身分、階級、序列、ランク.等級、格.4.ランキング、順位□□□□□□□□□□□□□□□□□□
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