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価値方程式のはじまり(1) (hm001-05)

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  A商品x量=B商品y量というもっとも単純な価値表現(49)
  作業中 2022.11.


資本論』の誤訳と翻訳問題—2022
  価値方程式の系列(1)


  ①ヘーゲル概念論ー「普遍・特殊・個別」と「系列」
  ②原子論からメンデレーエフ元素の周期律・表までの「系列」
  ③『資本論』価値表示の「系列」


 『資本論』の誤訳と翻訳問題—2022
  価値方程式の系列(1)

  資本論ワールド 編集部
 1. A商品x量=B商品y量というもっとも単純な価値表現(49)
 2.

 1. 『資本論』第1章商品 

 第1章 第1節商品の2要素 使用価値と価値 (価値実体、価値の大いさ)

 1-5段落 (岩波文庫p.70)
    〔 交換価値ー商品に内在的な、固有の交換価値は一つの背理か?
      われわれはこのことをもっと詳細に考察しよう 〕
 「交換価値は、まず第一に量的な関係〔quantitative Verhältnis:量的比例〕として、すなわち、ある種類の使用価値が他の種類 の使用価値と交換される比率として、すなわち、時とところとにしたがって、絶えず変化する関係として、現われる(原注6)。したがって、交換価値は、何か偶然的なるもの〔Zufälliges:偶然的な価値形態 〕、純粋に 相対的なるものであって、商品に内在的な、固有の交換価値(valeur intrinseque)という ようなものは、一つの背理(原注7)(contradictio in adjecto)のように思われる。われわれはこのことをもっと詳細に考察しよう。」

 1-6段落
   〔〕
 「 一定の商品、1クォーターの小麦は、 例えば、x量靴墨、またはy量絹、またはz量金等々 と、簡単にいえば他の商品と、きわめて雑多な割合で交換される。このようにして、小麦は 、唯一の交換価値のかわりに多様な交換価値をもっている。
 しかしながら、x量靴墨、同じく y量絹、z量金等々は、1クォーター小麦の交換価値であるのであるから、x量靴墨、y量絹、z 量金等々は、相互に置き換えることのできる交換価値、あるいは相互に等しい大いさの交換 価値であるに相違ない。
 したがって、第一に、同一商品の妥当なる交換価値は、一つの同一 物を言い表している。
 だが、第二に、交換価値はそもそもただそれと区別さるべき内在物の 表現方式〔Ausdrucksweise:表現の仕方〕、すなわち、その「現象形態〔 "Erscheinungsform"〔現象の形式〕」でありうるにすぎない。」

 1-7段落
 さらにわれわれは二つの商品、 例えば小麦と鉄をとろう。その交換価値がどうであれ、 この関係〔Austauschverhältnis:交換関係〕はつねに一つの方程式Gleichung に表わすことができる。そこでは与えられた小麦量は、なん らかの量の鉄に等置される。*14 例えば、1クォーター小麦=aツェントネル鉄というふうに。

 こ の方程式は何を物語るか?
二つのことなった物に、すなわち、1クォーター小麦にも、同様にaツェントネル鉄にも、同一大いさのある共通なものがあるということである。したがって、両つのものは一つの第三のものに等しい。この第三のものは、また、それ自身 としては、前の二つのもののいずれでもない。両者のおのおのは、交換価値である限り、こ うして、この第三のものに整約しうるのでなければならない。」

 第3章貨幣または商品流通 第1節 価値の尺度

1-5段落 (岩波文庫p.169)
 「4. ある商品の金における価値表現―A商品x量=貨幣商品y量―は、その商品の貨幣形態であり、またはその価格である。こうなると、鉄1トン=金2オンスというような個々の方程式は、鉄価値を社会的に通用するように表示するために、充分なものとなる。方程式は、これ以上、他の諸商品の価値方程式と隊伍を組んで行進する必要がない。というのは、等価商品である金は、すでに貨幣の性質をもっているからである。」

・・・・
 

価値表現の方程式
 価値方程式の系列(1)・・「価値等式」は誤り・・・・

 <本文の説明>
  『資本論』第1章 本文箇所は、①~⑤で表わし、
  「→、∴」は、報告者(編集部)の要約・説明文


 第1部 価値表現の(価値)方程式について
 『資本論』第1章商品第1節商品の2要素 使用価値と価値

 第1章 価値方程式もっとも単純な価値表現ーA商品x量=B商品y
 第1節 商品の価値表現のはじまり

 1.「 交換価値は、まず第一に量的な関係〔quantitative Verhältnis:量的比例〕として、すなわち、ある種類の使用価値が他の種類 の使用価値と交換される比率として、すなわち、時とところとにしたがって、絶えず変化する関係として、現われる。したがって、交換価値は、何か偶然的なるもの〔Zufälliges:偶然的な価値形態 〕、純粋に 相対的なるものであって、商品に内在的な、固有の交換価値(valeur intrinseque)という ようなものは、一つの背理(contradictio in adjecto)のように思われる。われわれはこのことをもっと詳細に考察しよう。」

2.「 一定の商品、1クォーターの小麦は、 例えば、x量靴墨、またはy量絹、またはz量金等々 と、簡単にいえば他の商品と、きわめて雑多な割合で交換される。このようにして、小麦は 、唯一の交換価値のかわりに多様な交換価値をもっている。
しかしながら、x量靴墨、同じく y量絹、z量金等々は、1クォーター小麦の交換価値であるのであるから、x量靴墨、y量絹、z 量金等々は、相互に置き換えることのできる交換価値、あるいは相互に等しい大いさの交換価値であるに相違ない。」

3.「 したがって、第一に、同一商品の妥当なる交換価値は、一つの同一 物を言い表している。だが、第二に、交換価値はそもそもただそれと区別さるべき内在物の 表現方式〔Ausdrucksweise:表現の仕方〕、すなわち、その「現象形態〔 "Erscheinungsform"〔現象の形式〕」でありうるにすぎない。」

4.「 さらにわれわれは二つの商品、例えば小麦と鉄をとろう。その交換価値がどうであれ、 この関係〔Austauschverhältnis:交換関係〕はつねに一つの方程式Gleichung に表わすことができる。そこでは与えられた小麦量は、なんらかの量の鉄に等置される。例えば、1クォーター小麦=aツェントネル鉄というふうに。」(岩波文庫p.71:1-7)
 
 
  価値方程式◆◆

 一定の商品、1クォーターの小麦は、例えば、x量靴墨、またはy量絹、またはz量金等々と、簡単にいえば他の商品と、きわめて雑多な割合で交換される。このようにして、小麦は、唯一の交換価値のかわりに多様な交換価値をもっている。

   → 1クォーター小麦=x量靴墨、=y量絹、=z量金。
   ∴ 小麦は多様な交換価値をもつ。


 しかしながら、x量靴墨、同じくy量絹、z量金等々は、1クォーター小麦の交換価値であるのであるから、x量靴墨、y量絹、z量金等々は、相互に置き換えることのできる交換価値、あるいは相互に等しい大いさの交換価値であるに相違ない。

    → x 量靴墨 = y 量絹 = z 量金
   ∴ 靴墨、絹、金は相互に等しいある「大きさの交換価値」を表示している。


③  したがって、第一に、同一商品の妥当なる交換価値は、一つの同一物を言い表している。

   ∴ これらの交換価値は、一つの同一物、
   つまり、数式ー連立方程式での〔ある“未知数”概念〕を表している。


④  だが、第二に、交換価値はそもそもただそれと区別さるべき内在物の表現方式
すなわち、その「現象形態」でありうるにすぎない。

 → 交換価値は、互いに異なる商品種が交換される時に、現象してくる。
 ∴ 交換価値は、A商品=B商品の左右の項(A,B商品種)とは違う「形式・形態」としてしか現象しない。


⑤  さらにわれわれは二つの商品、例えば小麦と鉄をとろう。その交換価値がどうであれ、この関係〔Austauschverhältnis:交換関係〕はつねに一つの方程式〔Gleichung〕に表わすことができる。 そこでは与えられた小麦量は、なんらかの量の鉄に等置される。例えば、1クォーター小麦=aツェントネル鉄というふうに。

   → 「例えば小麦と鉄」という場合、①のx量靴墨、またはy量絹、またはz量金等々に表示されている諸商品種の中から代表して取り出されているのである。
  ∴  「例えば、1クォーター小麦=aツェントネル鉄」、
     「例えば、1クォーター小麦=x量靴墨」    
     「例えば、y量絹、=z量金」 の具合に表示されることになる。

 したがってこの「例えば、」は、結局「連立方程式」を意味表示しているのである。
 この「連立方程式」は何を物語っているのか?
 これを解くことが、
 「価値方程式の系列」ー連立方程式で表示される価値概念を理解することになる。


⑥ 価値方程式の系列ー連立方程式ーについて、
  『資本論』では、以下のように「解説」を行なっている。
 第3章貨幣または商品流通_第1節 価値の尺度
  (岩波文庫(一)p.169)  下線部をクリック
4. ある商品の金における価値表現―A商品x量=貨幣商品y量―は、その商品の貨幣形態であり、またはその価格である。こうなると、鉄1トン=金2オンスというような個々の方程式は、鉄価値を社会的に通用するように表示するために、充分なものとなる。方程式は、これ以上、他の諸商品の価値方程式と隊伍を組んで行進する必要がない。というのは、等価商品である金は、すでに貨幣の性質をもっているからである。したがって、商品の一般的な相対的価値形態は、いまや再びその本源的な、単純な、または個々的な相対的価値形態の姿をとるにいたっている。他方において、拡大された相対的価値表現、または相対的価値表現の無限の列は、貨幣商品の特殊的に相対的な価値形態となっている。しかしながら、この列は、いまやすでに商品価格で社会的に与えられている。物価表を逆に読めばいいのだ。そうすれば、可能な、ありとあらゆる商品における貨幣の価値の大いさが、表示されていることを知るのである。・・・以下省略」

  *ちなみに通常 ドイツ語で 方程式を Gleichung、等式を日本では Gleichheit、
   英語では方程式、等式ともに equation 。
  *しかしながら、『資本論』 岩波書店・向坂逸郎訳、河出書房新社・長谷部文雄訳、戦前の改造社版1927年・高畠素之訳以外の岡崎次郎、鈴木鴻一郎、今村仁、中山元等々は、Gleichungを等式と翻訳している。先行者の翻訳用語を変更しているが、いずれもその「改訳」に対して理論的に解説を行なっていない。すなわち、方程式と等式の「数式上の区別」について無頓着と無理解を示しているのである。
  *日本の社会科学系翻訳文化の実情ー『資本論』の「論理学」を破壊ーが如実に露呈している次第。



→ 「個別的なものは、一般的なものへ通じる連関のうちにのみ存在する。」(ヘーゲル)
 ∴ 個別的な1クォーター小麦と a ツェントネル鉄が「=」で連結されるのは、一般的なものへ通じる連関(この表示機能を方程式という)にたいしてである。


  ●<コラム.3>商品の価値表現と価値方程式の抄録 参照   
 ∴ 「等式」が意味表示している事柄は、異種同士の「もの・概念」をつなぎ合わせ「連結」させる機能自体を表示する場合に使用する。
 したがって、③の「一つの同一物〔数学上では、方程式の解法としての “未知数概念” を意味している〕を言い表している」機能を表示する場合には、「方程式」を使用し、「等式」は使用しない。
 (資本論ワールド創刊号)